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犠牲精神とは何者か

犠牲精神とは何者か

キリスト教に於いての殉教、共産主義における自己犠牲、仏教の利他心、そし親の子への、神は死んでも、人は、信念、真理、共同体のために、主義のために、被抑圧者のために、貧しき者のためにと、犠牲となることを讃え、新しき犠牲精神とは、津波に対する「てんでんこ」のような核汚染地への帰村ではなく、保養または移住、愛郷ではなく、安全な土地へのように、もはや人を助けることに意味はなく、自らが生きるだけで十分な、こうしたすべての意味を剥奪された世界での、愛といわれた犠牲精神に変わる、最期の人々の、新しき犠牲精神とはいかなるものに、人のために、人の助けに、人と共に、美に、真理に、自由に、平等にと、意味を見いだし、作り上げてきた世界に、核という絶対の前に、対処療法しか持たない科学に、世界の核汚染地を生きる人々に、どのような精神が、人間の過去の文化を以っては役に立たない、結局は絶望を肯定、受容して、今在ることを、死すまでの喜びとする以外に、貧しくとも、病んでいたとしても、今在ることの、他者の価値、喜びは知らず、私対世界としての今となるのだった、個人主義でも、厭世、虚無でもない、只、私の世界所有でしか、

家族愛と特攻隊

特攻隊員の告白が、自分が死んだら家族がどうなるかが心配だったと、自分の命より家族の行く末を案じているようなTV、ヤクザが、ISISが家族の面倒は見ると言われて、殺しをするような、個人の尊厳が、組織、国家のために、愛と言うもの、自己犠牲というものの、利他主義の、個人の忘却が、敵と言われる相手を人間として見ない、自己矛盾した精神が、相手を尊重しないものに、愛とは与えるものではなく、利己の、互いの利己によって、契約でもない、私の為が了解されて成立することの、キリストの愛、国家の愛、組織の、共同体の、又は子の、親のと、愛は犠牲の産物のように継承され、人間文化が形作られ、未だ、人は十全には生きていないのだった、これほどの愛の強要の世界、愛の肯定の世界、罪の洗脳の世界、人間を子羊にしてきた世界、

マザーテレサの不信心と川端のノーベル賞

マザーテレサが死ぬその時まで、神への不信に苛んだとの、テレサの神父への手紙、無神論に陥って、テレサがそれでも神を求め、自分の行いで神を示すことで、自己欺瞞を繕っていたのだが、苦悩は増し、告白への手紙へと、ノーベル賞はその欺瞞が頂点に、神を信じていないのに、信じている姿を、そして人に神を示すという罪、愛してもいないのに、愛しているというような、川端のノーベル賞も、美しい日本の私などと、日本賛美したのだが、川端は少しも美など感じてはいなかったのだ、退廃、末期、もののあわれの中に、世捨て、逃避した世界にこそ存在を感じ、骨董、キスリング、自分の作品世界、ノーベル賞はそれらの対立世界の頂点となった、少女趣味の喪失からの自殺ではなく、生命の否定への帰結としての、作ってきた、過ごしてきた、自らの美への殉教としての自殺であった、それは三島も同じ、その点では自己に誠実であった川端、一方のマザーテレサは、自己に誠実であろうとしての懐疑からの、欺瞞、偽善からの苦悩、不実の人生であった、自己に誠実であればこそ、ソクラテスであり、多くの自己貫徹者こそ、新しき人である、

Mが死んだ

子供から先に死んでいく世界、それが当たり前となってしまった、膵臓癌で、一年足らずで、あっと言う間に、2人に1人は癌で死ぬと言って、それがどうしてなのか、どうしてこんなことにかは問わず、タバコだ、食品だ、排ガスだと、核の被曝が全てに関わっていることを無視し、癌は現代病であると、長寿社会が、子から死んでいくというのに、奇形、難病が増え、子の人生が50年になるというのに、核武装、核拡散、核汚染は止まず、癌死の者ら従容と死の床につき、こんな世界と運命に、感謝を捧げ、核への憎しみは吐露することなく、

ジャコメッティ

ジャコメッティの彫刻は、フクシマに生きる人々に、チェルノブイリに生きる人々に、世界の核汚染地に生きる人々に、良く似合う、口を引き締め、虚空を見つめ、為すすべなく立ち尽くす人の姿、嘆きを剥ぎ取られ、喜怒哀楽を剥ぎ取られ、只在る絶望の姿、絶滅までの人の姿、見えないものを見ている、予感できないものを感じている、が、見えている、感じている、絶望を生きるという姿で、未来を、世界を、その愚かしさ、苦痛を生きるという形に於いて表わしている、立ち向っている、それ以外に方法が無いという形において、蹲る、嘆く、怒る、殺しあう、自殺する、飢える、病む、あらゆる人間の断末魔の後に、生き残った新しき人、絶望に対して、パンドラの箱に対して、それでも生きるという、生命の原形質、新しき人とは、この生命の原形質を生きる人、

美しい日本の私〜川端〜

3.11震災以降の、美しい日本、素晴らしい日本のプロバガンダTV、新聞、講演、対話、あらゆる媒体に意図され、奏でられている、フトその昔、違和感を持った川端の、ノーベル賞受賞のスピーチを思い出して、彼は本当に美しい日本と捉えていたのか、何を美しいとしていたのか、その美しいとするものに、意味と、平安を感じていたのか、ジャパン、ザ、ビューティフル、アンド、マイセルフの英訳、美しい日本と私ではあるが、美しい日本の私と、私と日本を対置するのではなく、一体化させた助詞の表現、道元、明恵、良寛、一休の紹介、3日徹夜して書いたと、空、無涯無辺、無尽蔵の心の宇宙、融通無碍、もののあわれ論、私は日本古来の悲しみの中に帰っていくばかりと、日本に近代化以前の宿命があり、それがもののあわれというものであり、この滅びの世界に殉じると、何かに書いていた、覚悟をもっての敗戦から20年、70才にして、万物一如の思想、脚下照顧、近代進歩に対しての保守、川端の、三島の、戦後を生きるよすがとしての、侘び、寂び、もののあわれ、彼らの心にどれ程の哀れが、喪われた、国破れた、寄る辺のない、弧塁の、生存の意味、末期の、末裔の遺書としての、

井の頭公園とナジャ

エミコとデイトをするように、井の頭公園界隈を歩く、私はカメラのモチーフを探して、エミコはショッピング、かつてシュールリアリズムを特別な詩人の世界のように思い、憧れ求めた、意識を排除して無意識、自動筆記などと、が、今世界がシュールリアリズムとなってしまって、世界に何ら期待も、希望も持てなく、むしろ絶望だけを見る私にあっては、世界は全て無意識世界となった、禅寺に遊ぶ私とエミコ、70を過ぎ、間もなく生命を終えようとしている二人が、このシュールな世界を、ナジャと遊ぶように、若き日、ナジャは、想像、自由、理想、芸術の女神と思えた、そのナジャが今私の中にいると思える、吉祥寺の店に、人々に、公園、動物園、彫刻館に、核汚染、絶滅への刻みからだけではない、私の価値観の変更から、もちろん癌サバイバー、3.11が決定的ではあったが、この狂気を、エミコと二人で、ナジャが様々にしゃべってくるように、「どうして?」「あれは何?」「あら」「ねえ見て」と、エミコがとある中東人の店で指輪を買った、色がきれいだと3千円の赤い石、たとえ100カラットの宝石であっても、今や意味をなさなくなった、シュールな時代に、その柘榴のような赤い石は鈍い光を放っていた、「どう、この色、ルビーとも違う」「ねえ、ねえ、」エミコという私のナジャ、私は40年を愛でて来たのだなーと、ゼミで「遊びにおいでよ」と気さくに呼ばれた翻訳者の稲田さん2013年に亡くなっていた、

シュールレアリスム宣言と絶望主義

書くべき、今やシュールレアリスム宣言は完成、頂点の域、核、原発、世界の汚染地帯、DNAの毀損、人間はこの現実世界に於いて、放射能管理区域に於いて、セックスをし、芸術と言われる便器を量産し、人間のしていることが全てシュールに、誰もがシュールレアリストに、このシュールを冷徹に、哀悼をもって味わう絶望主義文学を、

ノスタルジアの嫌な気分

過去を書いていて、ふとFBで小学校の同窓生の記事を目にし、思わず懐かしさが湧き、交友を思い立ち、メールをし、TS、KT、KSには電話もし、そして訪れた虚しさ、私の現在の、3.11以降の絶望感情との違和感に遭遇し、自己嫌悪に陥る、彼ら、ノスタルジーなどなく、現在を、日常を生きてきている、私は絶望の日常から、ことさらの感情に捉われている、その落差があるのに、昔の子供時代のノスタルジーに依存して、メールをし、電話もしたことの、乖離、アンビバレンツ、アナグロニズム、SK、K子、AT、FT、etcと、人との絶交を良しとして、私を生きてきたのに、今更何かを求め、その一人生く事の気休めで、人と交わったことへの、先日のT、I達への、その日限りの、気分的な共感の交流と同じように、嫌なものが、彼らの日常を邪魔したような、私が偽善を思い起こさせてしまったような、私対世界とは、私からの共感ではないのだから、3.11以降とはそうしたもの、3.11とは「ベルリン天使の詩」のように、彼らには見えないのだから、裏切り者、変節者、気分屋、利己主義、闖入者、自分勝手、冷たい人、苦労知らず、と私の頑なさにかつて友等は言い、私はそれらを良しとし、異邦を生きて来た、ノスタルジーとは、私から過去への、今は亡き世界への、失われた時を求めてではないのだ、過去は今や断たれた世界、決して時は見出されることはないのだ、

核問題が、私の絶望主義が、政治で解決するのか

権力者が持ちたい、武器としての核、権力という人間の姿、それらが起こした核のパンドラ、不可逆の、戻せない世界の、核汚染という絶望というものが、政治で解決しないと思えていて、この取り戻せない世界への絶望が、組織と個人の、かつての政治参加の問題を超えて、私の政治への無関心になっている、この無を共有することで、全ての問題をアウヘーベンできないものかと、神という絶対から、核という絶対、神は無形、沈黙、核は有形、現実、いずれ人は核の惨禍を経て、対立、矛盾を超えていくだろうとの希望、助け合い、支えあうしか方法が無いことへの共有へと、政治、権力は、必要も、意味もなくなり、原始共産制のような社会へと、







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カミュの反抗的人間が

カミュの反抗的人間が

成立するのか、力になるのか、明晰に見据えることでいいのか、見ることと、アガージュすることの、絶望に対して有効性は、戦争に対して、ファシズムに対して、核に対して、人間の愚劣に対して、種としての欠陥に対して、果たして有効なのか、革命か反抗かで、反抗とは、革命の理論的殺人へのノンであるのだと、ペストにおいての、誠実と、見続けることを反抗の形としたのだが、反抗は生命の自然であるのだから、革命はその反抗の量から質への自然であるばかり、が、この核汚染の、絶望にあって、反抗も、革命も、有効性は無いのだった、絶望の共有、見納めの世界、今という時なだけ、

カミュの言葉

「この世界のうちにある何かが意味を持っていることを知っている。それは人間である。なぜなら人間こそ,意味をもつことを要求されている 唯一の存在だからだ。この世界には,少なくとも人間という真理がある」 
「人間の連帯性は反逆に基づいており,この連帯性のみが反逆を正当化するものだ,ということである。この連帯性を否認するような反逆は,どんなものであれ,真実の反逆ではなく,殺人への黙認に他ならない。」 

 自殺であろうと殺人であろうと、死は絶対悪であり、死を招来するものはニヒリズムに通ずるというのが、カミュが到達した地点である、
殺人は、いかなる理由があろうとそれは絶対悪だし、目的のために手段を選ばないということで、革命のために殺人を犯すことをニヒリズムだと弾劾した、

「報道は、原爆が平和をもたらすために必要なものとして語っているが、耐えがたい。なぜなら原爆は、下手をすると人類の滅亡をもたらすからであり、それほどの脅威を前にして、手放しで称賛するのはおかしい」と、カミュの到達、思考であっても、反抗だけが意味であっても、絶望に抗する有効性はなく、結局はリュウ医師のように、半ば呆れて、見続けるだけ、

人間幸せでなくとも

在っただけで良しとする以外、「山のあなたの空遠く、幸い住むと人の言う」、が、今や山のあなたに幸いはなく、足元の、私の中に幸いがと、ただ在るだけで幸いだと、目覚めた世界が3.11の功罪、理想主義が幸せの探求であったが、生きることが幸せの探求であったが、幸せでなくともよい、在るだけで、在っただけへと、生きられない世界、生まれない世界、病む世界、幸せでなくとも良いとする、存在の肯定、存在こそすべてに優位するとの、不幸も存在のバリエーション、不幸を生きることも、幸せを生きることと同じように意味であり、時であるとの、

大原、大塚美術館行

人間の文化に対する個の位置、画家が描いたものが、50億、100億で大富豪に買われ、大塚にあるすべての絵は、それらの複製、美術とは一部の富豪、国家のもので、芸術と言うものが、個人、庶民には縁遠いものであり、また、その絵を描いた画家も、何のために描いたのかが、本来、絵画が一人称であり、私対世界の関係であり、私の美的世界であるということが、3.11以前、美的なるものに何を感じていたのか、美人、風景、画家の技術、色彩への、見る体験、見たという、知ったという、が、3.11以降、それらが物存在に過ぎなくなって、人の技術の、存在のどれ一つにだって及ばない、只の平面、似せただけの、無機物の、画家の営為を嘲笑う物存在の優位性、対話したい画家、かつて山本弘だった、誰よりも大胆な絵の具使いだった、風景を10筆位で描いていた、私と世界を絵に封じ込めていた、
ソフィ・カルが現したのは、追体験という人それぞれの絶対の主観性であるのだった、アルタミラに、ラスコーに、それらは残されて在り、

あと10年という人生

共感するものも必要なく、只、私と死があるばかり、山本陽子の詩のように、批評、共感を拒否した世界でも良いのだった、生とは、私と世界であるのだから、山本陽子の徒労、言葉の断念、意味の剥奪、深淵へのと、チェルノブイリ以前の未だ、何かが有るのではの、足掻き、しかし、今3.11以降の世界にあって、断念ではなく再生、剥奪ではなく付与、深淵ではなく平易、癌になって蘇った日常のような、今という時の無上へ、この10年を射程におかねば、

戦争と同じように、人間のやっていることは全て正常でしょう、

戦争という殺人行為の中での、慰安婦、毒ガス、原爆、世界の核汚染の中での人の行為、愚行も、善行も全て正常でしょう、収容所無きホロコースト、核のゴミに囲まれ、

アウシュビッツの生還者のように

癌患者、障害者、貧困者が現代社会を、核汚染を告発し、世界が彼らを被害者として捉え、共感する関係が未来の社会、アウシュビッツを、核を、人間の悪として捉え、犠牲に対し、聞き、学ぼうとする心のような、それは犯罪に対しても、権力に対しても、何故に生命を、存在を、そのようにと、世界の不幸が我がこととならないのは、核の絶望を見ないから、核の前にあっては、皆犠牲、皆無意味の、皆我が事であるのに、

女の一生〜野村芳太郎 

岩下志麻、左幸子で日本版「女の一生」というわけだが、モーパッサンをなぞっただけの、日本的因習の、家父長制、男尊社会の女の一生、戦後といえど、未だ明治の封建を生きている女、様々に小説で書かれてきた、家と、妾と、姑と、耐えてやっと、夫や姑が死んで後、束の間の母と子の喜びの時、最期は息子の不倫の孫と、妾との和解、モーパッサンとは違うのだった、生きるということが問われているのではない、先ずもって食わねばならない、封建奴隷の女たちであった、昭和生まれの我が母といえど、男依存、自由、平等といった自立の精神は無いのだった、現代女性、男においても、本質は変わらず、人生とは何か、どうあらねばの探求は無いのだった、3.11を経てもなお、それらは変わらず、日本映画が個の追求がテーマとなることは無いのだった、リアリズムが、メロドラマに、復古へ、もう一度日本へと、

反核、反原発、反権力

3.11以降この6年間、これらのことで思考を巡らせ続け、人生これで終わってしまうのかと、私の文学はこれらとは違うのだと思いながらも、これらがのしかかり、これらとの関連を無視しては書けず、超越したところの私対世界であっても、核、権力容認の社会に、
虚無、不条理ではない、私の意味に於いての私対世界の再構築が、癌サバイバーからの私対世界への覚醒であった、それは私に刻印された感情、核汚染の、恐怖政治の、悲惨の世界であっても、今少し生きていたいという、あと5年、あと10年位をと、生きているだけで良いとする、存在することへの喜び、病んでも、狂っても、在ることの無上感、そこに戻らねば、

死生観と死に方

死ぬなら癌で、癌になったら放置して、餓死、自然死、これで死の問題は解決なのだが、残り少なくなった人生に対して、何かを楽しみたいとは思わない、考えたいとは思う、考えたことを、日記のように、自在に書き続けるだけ、

死生学が

Mが危ないと、エミが暗い顔、Mの母のKちゃんが夜一人になると泣けてくると、癌が、あらゆる病気が必然の事となった、核汚染の地球にあって、子供からの死生学が、必然、必要科目となっているのだった、人生の意味も、目的も、どこからどこへも、信仰も、無信仰も、必然の出来事として受容し、今在ることの万感の喜びへと、用意していた死なら、さようなら、さようならと、別れも告げられる、一期一会の、人生50年の、五体不自由であっても、満たされた人生であったと、

Tに語ったこと

共産を主義とするとは、思想に於いて、感情に於いて、財産制度の共有に留まらず、人への一体の感情を持つということ、共産党に入った時、それらが聖フランチェスコのような人々の集団に仲間入りするのだといった、人間の本来の姿をした人々に出会えると期待した、が、それは理想、観念であって現実には誰もが途上で、もちろん自分も途上であることを思い知り、自らが聖フランチェスコにならねばと、人間の共産を主義とするものを求め、自らを作ってきた、共産を主義とするとは、私に於いては恋愛の感情に似る。人間の思想、哲学、芸術の全てがそこに含まれてあり、意味の全てがある、その深化が結婚という精神と肉体の一体、家族における共産の起源がある、共産を主義としたから、必要に応じ、能力に応じ支えあい、それを主義とするとは、他者に対しても抱くという感情、核時代とは絶滅への予感があって、こうした精神、物質に於いての、共産への質的変化が起き、絶滅回避への愛他精神が共有され、理想した共産主義社会が誕生すると、共産とは物が有り余って、差別や闘争が必要ではなくなっ後に、誕生するものでもなく、必要に於いて、共感に於いて、子が親より先に死んでいく、核汚染世界に於いて、支えあう家族を通して拡がっていくものと、

3.11に対して

TVでは、バレー、サッカーの試合、小学生日本一のテスト、自民党の派閥集会、北朝鮮のミサイル、etc、私は駅前まで、タバコを買いに行き、帰って植木に水やり、そしてツイッターで3.11が人為的なものであることの証拠を投稿、
〇トモダチ作戦のワッペンを米軍は、上陸直後にすでにつけていたことの、
〇三陸沖で被曝したレーガンがヘリウムを輩出していた、
〇3.11直前に、円買い、円高が演出されていた、
〇レーガン乗務員の被曝が、重大、重症である点、
〇気象庁の会見で、爆発が3度記録されているとの、
〇P波が無く、核爆発の音波が観測されている、
これらの事実が明らかであっても、これが計画的、人為的なものであるとの思考、調査にはならない、想定外の、今までにはないことがと、誰であっても、自らを、罪のない者を害するようなことはしない、そんなことして何の得がと、陰謀であるなら、誰かが告発するはず、と、9.11がテロなどではなく、イラク攻撃のフェイク、やらせであっても、アポロの月着陸が嘘であっても、同じ心情から、歴史となったことは否定、暴かれることはない、それがどうしたのと、核実験、ホロコースト、ラーゲリ、反革命、植民地、奴隷制、王制、戦国時代、etc、人間の歴史は、陰謀と、謀略の歴史である、現代はあらゆることが可能となり、捏造、謀略の歴史は世界を覆い、いずれ真実がどうであっても、核汚染という取り返しのつかない現実は、変わることはなく、人はすべからく被害者となり、悪も善も、自らの事に、







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ルアイリ・ロビンソン

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ルアイリ・ロビンソン


ルアイリ・ロビンソンは、アイルランドの映画監督と作家です。

バイオグラフィー

彼は、彼の科学フィクション短編映画やアニメーションのために主に知られているの一つであり、五十パーセントグレー、のために指名されたアカデミー賞。[1] 五十パーセントグレイはまたに含まれていた番組のアニメーションを表示します。サイレント市は危険なポスト黙示録荒れ地をさまよった兵士のグループに関係します。キャストは俳優含まキリアン・マーフィーを。[2]彼の短編BlinkyTMは 2011年3月20日にリリースされ、殺人ターンロボットヘルパーに関するましました。[3]

彼はの実写適応向けることに署名したアキラを、しかし、ロビンソンが去った後、プロジェクトがキャンセルされました。[4] 2013年に、ロビンソンは、監督ラスト・デイズ・オン・マーズ、サイエンスフィクション短編小説の適応アニメーターによってシドニーJ.境界を。[5]初期の2015年に彼が向け概念実証 ショートフィルムを リバイアサン、[6]全長版の話を産卵、ウイルスの大ヒットとなりました。[7]

フィルモグラフィー

俳優として

BlinkyTMブリンキーとして(音声)(2011、ショート)
ディレクターとして、
デイムストリートの家(1999年、短く、またプロデューサーと作家)
五十パーセントグレー(2001、短い、また作家)
サイレント市(2006年、短い、またプロデューサーと作家)
BlinkyTM(2011年、短い、また作家)


イマジナリ軍(2014年、短く、また作家、ポストプロダクション)
リヴァイアサン(によって書かれた2015年、コンセプトのティーザー、ジム・ユールズ)
プロデューサーとして
アンクルビルのバレル(2008年、短い、エグゼクティブプロデューサー)

作家としての

ドイツ語(2008年、短いもエグゼクティブプロデューサー)

参考文献

「アイルランドのアニメーターのための二つのオスカーうなずきます」。RTÉ。2002年2月12日。取得した3月27日に 2015。
「ルアイリ・ロビンソンによってサイレント市」。BBC映像ネットワーク。取得した13年2月 2010年。
"BlinkyTM(2011)"。インターネット・ムービー・データベース。
「ディカプリオからノー実写アキラ?」。スターオンライン。2009年6月16日。取得した13年2月 2010年。
「ルアイリ・ロビンソンが監督するアニメーター」。毎日の画面が表示されます。2010年11月22日。検索された11月22日に 2010。
「リヴァイアサンギアリングアップハリウッドのうちかみ傷を取るために」。DC。2015年3月23日。取得した3月23日に 2015。
「『リヴァイアサン』ティーザーは、潜在的なのSF叙事詩を示しています!」。ブラッディ嫌。2015年3月23日。取得した3月23日に 2015。

外部リンク

公式サイト




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ジョン・ムーア

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ジョン・ムーア

ジョン・ムーア(John Moore, 1970年 - )は、アイルランド出身の映画監督。

略歴

幼少期をIRA暫定派の潜伏地帯として有名なダンドークで3男1女の次男として育つ。(兄のイーモンは公衆衛生医師であり、弟のポールはアイルランド国防軍の狙撃手である)少年時代に報道カメラマンに憧れ、ダブリンのテクニカル・フィルム・スクールを卒業後戦場カメラマンとしてレバノンやボスニアで取材を行う。その後ジム・シェリダンやニール・ジョーダンの映画に撮影助手として参加し、ミュージックビデオやコマーシャルの世界で活躍後に「エネミー・ライン」で映画監督デビューをする。

フィルモグラフィ

Jack's Bicycle (1990) 短編映画、監督・脚本
He Shoots, He Scores (1995) 短編映画、監督・製作・脚本
Pips (1996) 脚本
エネミー・ライン Behind Enemy Lines (2001) 監督
Wild West's Most Wanted (2003) テレビ映画、脚本
フライト・オブ・フェニックス Flight of the Phoenix (2004) 監督
オーメン The Omen (2006) 監督・製作
マックス・ペイン Max Payne (2008) 監督・製作
ダイ・ハード/ラスト・デイ A Good Day to Die Hard (2013) 監督


外部リンク




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マーティン・マクドナー

マーティン・マクドナー(英語: Martin McDonagh、発音[məkˈdɒnə]、1970年3月26日 - )は、イギリス及びアイルランドの劇作家、脚本家、映画監督である。1996年に戯曲『ビューティ・クイーン・オブ・リーナン』でデビューし、2004年に短編映画「シックス・シューター」で映画に進出して、2017年には長編映画『スリー・ビルボード』を監督した。演劇と映画の両方で成功をおさめたクリエイターであり、劇作家としてローレンス・オリヴィエ賞を、映画作家としてはアカデミー賞、英国アカデミー賞、ゴールデングローブ賞、ヴェネツィア国際映画祭での受賞経験がある。

演劇ではアイルランドの西部にあるコネマラ地域を題材にしたリーナン三部作と、アラン諸島を舞台とするアラン諸島三部作によって劇作家としての地位を確立した。ブラックユーモアを特徴とする作風が特徴であり、現代アイルランド文学において、存命の劇作家の中では最も重要なひとりと見なされている[1]。映画作家としても脚本が高い評価を受けている。

生い立ち

アイルランド人の両親のもと、ロンドンのキャンバーウェルで生まれた[2]。イギリスとアイルランド両方の国籍を保有している[3][4]。母はスライゴー州イースキーのキリーンダフ出身、父はゴールウェイ州コネマラのレターマラン出身で、1992年に家族でゴールウェイに戻り、マクドナーと兄でのちに映画監督になるジョン・マイケル・マクドナーはロンドンに残ることになった[5][6]。高等教育は受けておらず、劇作家として成功するまでは非正規雇用で働いたり、失業手当を受けたりして暮らしていた[7]。1995年にドルイド・シアターの演出家ギャリー・ハインズが『コネマラの骸骨』の草稿を読んだことをきっかけとして、演劇のキャリアを始めることとなった[8]。

キャリア

演劇

リーナン三部作(コネマラ三部作)
マクドナーの最初の6作の戯曲は二つの三部作になっており、マクドナーが子ども時代に休暇を過ごしたゴールウェイ州周辺を舞台としている。最初の三部作はアイルランド西岸地域にある小さな村リーナンを舞台にしており、『ビューティ・クイーン・オブ・リーナン』(1996年)、『コネマラの骸骨』(1997年)、『ロンサム・ウェスト』(1997年)からなる[9][10]。

『ビューティ・クイーン・オブ・リーナン』(1996年)は、独身の中年女性と威圧的な母親の機能不全な関係を描いた作品である。娘は生涯最後の恋愛のチャンスを得るが、残念な結果に終わる。この作品は1996年にゴールウェイで初演された時から評価が高く、アトランティック・シアター・カンパニーにより1998年にオフ・ブロードウェイでも上演された[11]。1998年にブロードウェイに引っ越し、トニー賞演劇作品賞候補となった[12]。

『コネマラの骸骨』(1997年)では、コネマラの男がいっぱいになった墓地から遺骨を掘り出す仕事に雇われ、かつて自分が殺したと告発された妻に出くわす。本作はゴールウェイのタウンホール劇場で1997年に初演された[9][10]。ロンドンのロイヤル・コート劇場でも上演された後、2000年の7月から8月にかけてワシントン州シアトルのア・コンテンポラリー・シアター (ACT) でアメリカ初演が行われた。オフ・ブロードウェイでは2001年1月から5月にかけて、ラウンドアバウト・シアターのプロデュースでグラマシー劇場で上演された[13]。1998年度のローレンス・オリヴィエ賞最優秀コメディ賞にノミネートされている[14]。

『ロンサム・ウェスト』(1997年)では、一応は事故ということになっている父親の射殺後、2人の兄弟がいがみあう様子が描かれている。1999年にブロードウェイで上演された際にトニー賞演劇作品賞候補となった[15]。

アラン諸島三部作

二つめの三部作はゴールウェイ州沿岸のアラン諸島を舞台にしており、『イニシュマン島のビリー』(1996年)、『ウィー・トーマス』(2001年)、『イニシィアのバンシー』(未上演)からなる[2]。

『イニシュマン島のビリー』は、足の不自由な10代の青年が、ロバート・フラハティ監督の映画『アラン』で役を得ようと企む様子を描くブラックコメディである。1997年にロンドンのロイヤル・ナショナル・シアター(コッテスロー)で初演の後、1998年4月にオフ・ブロードウェイのジョゼフ・パップ・パブリック・シアターでも上演され、どちらもタイトルロールはローリー・コンロイが務めた[16]。1998年には、フレデリック・ケーラーがタイトルロールを演じ、カリフォルニア州ロサンゼルスのゲッフェン劇場でも上演された[17]。2008年にはアトランティック・シアター・カンパニーとアイルランド、ゴールウェイのドルイド・シアター・カンパニーの協働により、オフ・ブロードウェイで再演された[18]。

『ウィー・トーマス』はアイルランド国民解放軍 (INLA) 分派の正気とは言えないリーダーが、自分の愛猫が殺されたと知って故郷のイニシュモア島で犯人を捜して暴れる様子を描いたブラックコメディである。本作は2000年にロイヤル・コート劇場に提出されたが、そこでは上演を断られ、2001年5月にストラトフォード=アポン=エイヴォンにてロイヤル・シェイクスピア・カンパニーが初演を行った[19][20]。その後、ロンドンに引っ越し、2003年度ローレンス・オリヴィエ賞で最優秀コメディ賞を受賞した[21]。2006年2月にオフ・ブロードウェイでアトランティック・シアター・カンパニーにより上演され、5月にはブロードウェイに移って、2006年のトニー賞演劇作品賞候補となった[22][23]。

『イニシィア島のバンシー』はアラン諸島三部作の第3作であるが、マクドナー本人が「全然うまくいかなかった」と述べており、刊行も上演もされていない[24]。

アイルランド以外を舞台とする作品

アイルランド以外を舞台に芝居としては初めて上演された『ピローマン』(2003年)は架空の全体主義国家を舞台にするもので、作家がグリム兄弟ふうの自作の短編の内容について尋問を受けるという内容である。1997年にゴールウェイでリーディング公演を実施した後、2003年にロイヤル・ナショナル・シアターで初演された[25]。2004年にローレンス・オリヴィエ賞の新作演劇作品賞を受賞し、2005年のトニー賞でも演劇作品賞候補になった[26][27]。

『スポケーンの左手』(2010年)はマクドナーがはじめてアメリカ合衆国を舞台に書いた芝居で、2010年3月にブロードウェイで初演された[28]。主演のクリストファー・ウォーケンは、若い頃になくした手を25年にわたって探している男、カーマイケル演じてトニー賞演劇主演男優賞候補となった[28]。2010年のドラマ・リーグ賞で優秀上演賞候補となった[29][30]。

『ハングメン』(2015年)は、イングランドで2番目に腕利きの死刑執行人ハリー・ウェイドと1965年のイギリスにおける死刑廃止をめぐる物語である。2015年9月にロイヤル・コート劇場で初演された[6][31]。2016年のローレンス・オリヴィエ賞では最優秀戯曲賞を受賞している[32]。2016年にナショナル・シアター・ライヴにより中継され、2017年には日本語字幕つきで日本でも上映されている[33][34]。

2018年10月より、ロンドンのブリッジ・シアターで新作A Very Very Very Dark Matterが上演される予定である[35]。ハンス・クリスチャン・アンデルセンがテーマの芝居で、ジム・ブロードベントが主演する[35]。

ラジオ劇

マクドナーはラジオ戯曲も書いており、1995年のロンドン・ラジオ劇作家フェスティヴァルおよび1998年のニューヨーク国際ラジオ・フェスティヴァルで『オオカミと木こり』(The Tale of the Wolf and the Woodcutter)が賞を授与されている[36]。

映画

マクドナーは戯曲より映画を書くほうが好きだと述べている。1998年にアイルランドの劇評家フィンタン・オトゥールと『BOMB』誌のために行った対談で、マクドナーは「演劇を尊敬してないわけじゃないんです。戯曲が映画と同じように、完全に人の心を動かせるっていうことがわかるくらいの頭はありますよ。(中略)演劇は私にうまく接続しないっていうか、個人的には、自分がやってることをあまりいいと思えないんです[37]」と述べている。2005年のインタビューでは、『ニューヨーク・タイムズ』のライターが「芝居に固有のエリート主義にはまだ冷淡だが、今では演劇のストーリーテリングの力にもっと気持ちよく屈しているようだ[38]」と述べている。マクドナーによると、芝居は「参加するのに100ドルかかる芸術で働くのはおかしな感じがする[38]」ということである。『ガーディアン』のショーン・オヘイガンとのインタビューでは、ロンドンの劇場にしばらく作品をかけなかったことと、新作『ハングメン』のプロモーションについて話す中で、マクドナーは演劇が「わたしが望むくらい痛烈になることは全然ないだろうと思うんです[39]」と述べている。

2005年にマクドナーは始めての映画監督作となる短編「シックス・シューター」(2004年)でアカデミー短編映画賞を受賞した[40]。「シックス・シューター」はブレンダン・グリーソン、ローリー・コンロイ、デイヴィッド・ウィルモット、アシュリン・オサリヴァンが出演するブラックコメディで、ウィックロー、ウォーターフォード、ロスレアで撮影された。この映画では、グリーソン演じるキャラクターが、妻の死の後に列車で帰宅する間、奇妙でおそらくは精神を病んだ若者に出会う[41]。

マクドナーはその後、フォーカス・フィーチャー社と契約して『ヒットマンズ・レクイエム』を監督した。2人のアイルランド人の殺し屋が仕事で問題を起こした後、ベルギーのフラマン都市ブルッヘに潜伏する様子を描いており、自身の脚本にもとづく長編映画である。アメリカ合衆国では2008年に公開された。本作にはコリン・ファレル、ブレンダン・グリーソン、レイフ・ファインズが出演した。『ヒットマンズ・レクイエム』は2008年にサンダンス映画祭のオープニングナイトとジェムソンダブリン国際映画祭で上演され、第81回アカデミー賞で脚本賞にノミネートされた[42][43][44]。

2008年の『ストップ・スマイリング』誌のインタビューで、マクドナーは「もう準備できてる映画の台本が何本かあるんです。その前に旅をして楽しむつもりなんで、あと数年はどうするつもりもないんですが。でも、『セブン・サイコパス』っていうのがあって、もう1本作るならそれですね。気に入ってもらえるといいんですが[45]」と述べていた。2011年5月に制作が決まり、最終的には2012年10月12日に北アメリカで公開された。コリン・ファレル、サム・ロックウェル、ウディ・ハレルソン、クリストファー・ウォーケン、トム・ウェイツが出演している[46]。

2011年には、兄のジョン・マイケル・マクドナーが監督・脚本し、ブレンダン・グリーソンが主演した映画『ザ・ガード〜西部の相棒〜』でエグゼクティヴ・プロデューサーを務めている[47]。

2017年にはマクドナーが監督・脚本・製作をつとめたドラマ映画『スリー・ビルボード』にフランシス・マクドーマンド、サム・ロックウェル、ウディ・ハレルソンが出演し、同年9月4日にヴェネツィア国際映画祭で初上映されて高い評価を得、脚本賞を受賞した[48][49]。2017年9月17日にトロント国際映画祭でピープルズ・チョイス賞も受賞している[50]。2018年1月7日のゴールデングローブ賞では作品賞と脚本賞を、2月19日の英国アカデミー賞でも作品賞と脚本賞を受賞している[51][52]。第90回アカデミー賞でも作品賞や脚本賞にノミネートされたが、受賞は演技賞のみであった[53]。


作風

ブラックコメディの名手と考えられており、「諷刺、ブラックユーモア、漫画のような矮小化、グロテスクで「ゴシック的」な歪曲[54]」に満ちた作風であると評される。緩慢なやりとりから脅威をにじみ出させるような会話の描写をしばしば行い、このような点がクエンティン・タランティーノに似ていると言われている[55][56]。「人間的な情動、感情的な優しさ、家族や性にかかわる愛が割り込んでくることを断固拒否する[57]」展開を特徴とする。暴力的であるが、「観客の間に恐怖よりは笑いを呼び起こす」ことが多い[58]。

1990年代にイギリスの演劇界を牽引した、マーク・レイヴンヒルやサラ・ケインなどセックスや暴力を率直に描くブルータリズム的な面当て演劇(英語版)の潮流に位置付けられる[59]。マクドナー作品においては暴力描写が露骨である一方、セックスや恋愛は不毛であり、主要人物のほとんどは有意義な性生活や幸せな恋愛を経験できない[60]。幸福な異性愛関係を築けない「男の閉じた世界」がしばしば題材となる[61]。

先祖の故郷であるアイルランドに対しても極めて辛辣であり、とくに初期作品においてはしばしばアイルランドに関するネガティヴなステレオタイプを広めていると批判された[62][63]。2000年代に入ってからは、より斬新な設定を求めてアイルランド以外の地域を舞台にするようになった[64]。しかしながら、クリシェ的なプロットやストックキャラクターの巧妙な使用、観客の神経を逆撫でするような挑戦的な物語への取り組みという点に関しては一貫している[65][66]。

パブや家屋など、作り込んだセットを必要とする作品が多い[67]。作品の内容に比べると、要求される美術はナチュラリスティックである[68]。

影響

劇作家としてはジョン・ミリントン・シングやハロルド・ピンター、サミュエル・ベケット、デヴィッド・マメット、ジョー・オートン、小説家としてはフランツ・カフカ、映画監督としてはクエンティン・タランティーノとの類似が指摘されている[69][70]。暴力的でブラックユーモア溢れる作風や、商品名などを大量に作中に織り込むポストモダン的な手法はとくにタランティーノからの影響が濃厚で、「エメラルドの島[アイルランド]のクエンティン・タランティーノ[71]」などと呼ばれる[72]。しかしながら本人は他の劇作家からの影響に対してしばしば否定的で、あまりにも先輩の役者や劇作家に敬意を払わないため、やはり他のミュージシャンをけなすことで有名なリアムとノエルのギャラガー兄弟に比されている[73]。

演劇に対して一歩引いた態度をとっている一方、映画に関しては影響元を率直に認めることが多い[70]。タランティーノの他、マーティン・スコセッシ、テレンス・マリック、サム・ペキンパーなどの影響を本人も認めている[70]。北野武監督の大ファンであり監督を担当した「セブン・サイコパス」では主人公が劇中で観ている映画は北野監督『その男、凶暴につき』のワンシーンである。北野作品はすべて好きというマクドナー監督は、同作を使用した理由を「このシーンも、映画自体も、そして北野武も大好きだから」と語っている[74]。

評価

24歳で『ビューティ・クイーン・オブ・リーナン』を書いており、演出家のギャリー・ハインズはその若さに似合わぬ才能に驚きを表明している[75]。早くから成功したため、アイルランド及びイギリス演劇界の「恐るべき子供」として高い評価を得ているが、一方で辛辣さ、さまざまな先行作の要素をまぜあわせるポストモダン的な作劇法、センセーショナルな内容と宣伝方法などは批判も浴びている[69]。アイルランドの演劇研究者パトリック・ロナガンは、作品の内容のみならずマクドナー自身の冗談まじりの派手な発言もしばしば誤読されており、批判の中には誤解に基づくものも多いと指摘している[76]。

ロンドン生まれのアイルランド系劇作家という立場と、アイルランドを辛辣に諷刺する作風のため、マクドナーはアイルランド演劇の伝統に沿ったアイルランドの劇作家であるのかどうかということが頻繁に議論されている[77][78][79][80]。

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