個人誌 『未踏』全ページ

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アシア・ジェバール(Assia Djebar)

アシア・ジェバール(アラビア語: آسيا جبار‎, フランス語: Assia Djebar, 1936年6月30日 - 2015年2月6日)はアルジェリアの小説家、エッセイスト、映画監督。

経歴

フランス領アルジェリアに生まれる。1955年、アルジェリア人女性として初めてグランゼコールの女子高等師範学校に入学し歴史学を専攻。在学中からアルジェリア民族解放戦線(FLN)を支持する作品を次々と発表。1958年から翌年にかけてチュニジアにジャーナリストとして滞在。1959年から1965年までモロッコやアルジェの大学でマグリブ現代史を講ずる。アルジェリアが独立を達成した後は、フランス語で創作を続ける意義に悩み作家活動を休止したが、1980年に再開。1997年に渡米し2001年からはニューヨーク大学フランス語学科教授を務めた。

1999年にはベルギー王立アカデミー会員に、2005年にはマグリブ出身者としては初となるアカデミー・フランセーズ会員に就任した。
2015年パリで死去。

著作

『渇き』 1957年
『待ちきれない者たち』 1958年
『新世界のこどもたち』 1962年
『うぶなヒバリたち』 1967年
『壁の中のアルジェの女たち』 1980年
『愛、ファンタジア』 1985年
石川清子訳、みすず書房、2011年
『影、スルタン妃』 1987年
『メディナから遠く離れて』 1991年
『アルジェリアのある夏の記録』 1993年
『牢獄は広大なり』 1995年
『アルジェリアの白人』 1996年
『オラン、死んだ言葉』 1997年
『ストラスブールの夜』 1997年
『わたしに絶えず付きまとうあの声たち』 1999年

『墓のない女』 2002年持田明子訳、藤原書店、2011年

『フランス語が消えて』 2003年
『父の家に居場所がどこにもなく』 2007年

戯曲

『風と嵐のなかのイスマエルの娘たち』 2000年
『アイシャとメディナの女たち』 2000年

映画



2008 Ce soir (ou jamais!) (TV Series)
Herself
- Episode dated 10 January 2008 (2008) ... Herself (as Assia Djebar)
2007 Thé ou café (TV Series)
Herself
- Episode dated 15 December 2007 (2007) ... Herself (as Assia Djebar)
2003 Double je (TV Series documentary)
Himself
- Episode dated 23 October 2003 (2003) ... Himself (as Assia Djebar)
1997 Le cercle de minuit (TV Series)
Herself
- Episode dated 18 June 1997 (1997) ... Herself (as Assia Djebar)


受賞歴

1979年 ヴェネツィア・ビエンナーレ国際批評家賞 『シェヌア山の女たちのナウバ』
1995年 モーリス・メーテルリンク賞
1996年 ノイシュタット国際文学賞
2002年 ドイツ出版協会平和賞
参考文献
アシア・ジェバール みすず書房
『現代外国人名録 2012』 日外アソシエーツ









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マリー・アリン・トラヴァース(Mary Travers)


マリー・トラヴァースとして知られるマリー・アリン・トラヴァース(Mary Allin Travers, 1936年11月9日 - 2009年9月16日)は、米国のシンガーソングライターで、ピーター・ヤローとノエル・ポール・ストゥーキーとともに、1960年代を代表するフォーク、ポップ音楽のトリオピーター・ポール&マリーのメンバーであった[2]。1960年代初めのニューヨーク市グリニッジ・ヴィレッジの音楽シーンにいたフォーク音楽家の大多数とは異なり、トラヴァースは、実際にグリニッジ・ヴィレッジを地元として育った人物であった[2]。

生い立ち

マリー・トラヴァースは、ケンタッキー州ルイヴィルに、父ロバート・トラヴァースと母ヴァージニア・コグニーの間に生まれた。両親はいずれもジャーナリストで、全米新聞労働組合の活動家であった[3]。

1938年、一家はニューヨーク市のグリニッジ・ヴィレッジに転居する。マリー・トラヴァースはリトル・レッド・スクール・ハウスに学んだが、第11学年で退学し、歌手の道に入った[3]。

歌手活動


1955年に、ピート・シーガーがフォークウェイズ・レコードから労働運動の歌を集めた「Tanlking Union」の再発盤を出した際、まだ高校生だったトラヴァースは、シーガーのバック・コーラスを務めたザ・ソング・スワッパーズ(The Song Swappers) に参加していた。この年、ザ・ソング・スワッパーズはシーガーと4枚のアルバムを制作した。当時、トラヴァースは歌を趣味と考えていたし、必ずしも積極的ではなかったが、音楽仲間からは大いに激励されて歌っていた[2]。

トラヴァースは、ブロードウェーの「The Next President」というショーのキャストも務めた[4]。

1961年、ピーター・ポール&マリーがグループとして結成され、すぐさま成功を収める。グループのマネージャーは、ボブ・ディランと同じアルバート・グロスマンであった。PP&Mがディランの作品「くよくよするなよ (Don't Think Twice, It's All Right)」を取り上げたことは、ディランのアルバム『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』が4ヶ月にわたってアルバム・トップ30に留まる契機となった[5]。

AP通信によるトラヴァースの訃報によれば、[6]

グループの最初のアルバム『Peter, Paul and Mary』は1962年に発売され、すぐにそこから「天使のハンマー(If I Had a Hammer)」と「レモン・トゥリー」がヒットした。「天使のハンマー」は、ベスト・フォーク・レコーディングと、ヴォーカル・グループのベスト・パフォーマンスの部門で、グラミー賞を受賞した。

続いて出された『Moving』からは、純真さの喪失を歌った「パフ」がヒットして、チャートの2位まで上昇したが、他方では、大麻を賞賛する曲であるという当時としては否定的な風評が生まれたりもした。

3枚目の『In the Wind』は、当時22歳だったディランの歌を3曲も取り上げていた。そのうち「くよくよするなよ」と「風に吹かれて(Blowin' in the Wind)」はトップ10入りして、ディランの歌を大いに世間に広めた。「風に吹かれて」は、ある2週間のうちに30万枚を売り上げたほどであった。

1963年のある時点では、ビルボード誌のLPチャートの上位6位までに、PP&Mのアルバム3枚がランクインし、彼らはフォーク復興運動における最大のスターとなった。

PP&M の「天使のハンマー」は、人種の平等を求める象徴的な歌となり、ディランの作品「風に吹かれて」も同様であった。これらの曲は、1963年8月のワシントン大行進の際にも演奏された[6]。

PP&Mは1970年に解散し、トラヴァースはソロ活動に入った。「Mary」 (1971年)、「Morning Glory」 (1972年)、「All My Choices」 (1973年)、「Circles」(1974年)、「It's in Everyone of Us」(1978年)[2]。その後、PP&M は、1978年に再結成して各地をツアーし、新しいアルバムを発表した。1999年には、ボーカル・グループの殿堂入りを果たした。

私生活

トラヴァースの最初の3回の結婚は、いずれも離婚に終わった[7]。4人目の夫として1991年に結婚したレストラン経営者イーサン・ロビンスは、トラヴァースに先立たれることになった。トラヴァースには娘が2人いる。晩年は、コネチカット州の小さな町レディングに住んでいた[2][8]。

晩年の病と死

2006年
2005年、トラヴァースは白血病と診断された。骨髄移植によって病状の進行を遅らせることはできたが、2009年9月16日に、トラヴァースはコネチカット州ダンベリーのダンベリー病院で、化学療法が引き起こした合併症によって死去した[2]。72歳であった。

外部リンク
























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著述予定リスト

著述予定リスト

絶望主義宣言
絶望主義的ヒューマニズム
絶望主義論
空想から現実へ
純粋理想批判
絶望主義における人口の問題
絶望主義の原理
理想主義批判
絶望と現実
絶望イデオロギー
絶望学・哲学手稿
福島農民戦争
核弁証法
文明の貧困
プルサーマル綱領批判
妊娠論
生命・人口論
絶望主義的恋愛論
絶望主義の文学芸術論
年金・医療・老後論
福島におけるユートピア
絶望をとおして希望にいたる
国家の終焉と人類の滅亡
希望主義論
民族放棄権について
絶望主義おける絶望党の二つの戦術
絶望者と健常者
絶望主義者伝
汚染地農業批判
なにを為さざるべきか
内部被曝闘争
農業における絶望主義
福島の崩壊
いわゆる核汚染物の流通について
絶望主義と戦争
絶望主義と現実批判
民族正常遺伝子に関する批判的覚書
一歩前進二歩後退
絶望のための闘争
2011年3.11の革命
日本における絶望主義の発展
老人青年論
人類の友とは何か
絶望党の農業綱領
絶望党綱領問題
絶望組合論
絶望主義ノート
絶望主義の基礎について
絶望主義の諸問題
絶望主義と希望問題
絶望主義現実論と文明史
絶望主義社会における経済的諸問題
希望論・現実論
絶望と文学
絶望主義の方法
絶望からの出発〜私の絶望的教育論
絶望主義の哲学
絶望音楽を語る
日本の絶望文学
絶望主義批判集
絶望芸術の世界
絶望の彼方で
絶望主義はいかに創られたか
絶望の発見
弁証法的絶望論入門
絶望映画の理論
絶望の条件
絶望の思想史
絶望主義政治教程
青年のための絶望問答
絶望基準法入門
絶望から宇宙へ
絶望葬入門
絶望経
絶望の世界
絶望の科学99
絶望の世の中
絶望美の再発見
絶望党20回大会
絶望心理学入門
絶望新聞
絶望の童話作家
絶望的思考法
音楽はどう絶望を表現するか
絶望の喜びと悲しみの中で
絶望の終焉
絶望ものがたり
絶望の世代
絶望詩集
絶望の神話
絶望の賛歌
絶望の原点
絶望と希望の間
絶望エッセイ
絶望家の人々
絶望と戦争
絶望日本の思想
絶望の意味
絶望学の話
絶望国通信
絶望の歴史
絶望書
絶望の空間
日本絶望学の歩み
絶望の名詩
絶望主義というものの考え方
絶望はいかに作られるか
絶望快楽法
絶望に強くなる
絶望を生きるということ
絶望を楽しむ
絶望語辞典
絶望家族法
絶望経聖典
絶望詩入門
絶望の群れ
絶望党決議決定集
絶望の信仰


絶望主義宣言

今や、世界は放射能という、目には見えない、臭いもしない、しかし、確実に死に至らしめる、絶望という妖怪に握られている、数万発の核兵器、数百の原子炉、地を覆う何億京㏃の放射能、核を操るものも、操られるものも、絶望という妖怪に支配されている、世界のあらゆる権力者は、この妖怪を手なづけ利用しようとしてきた、武器として、エネルギーとして、が、この妖怪の吐き出すガスは、世界それ自体を毀損する、絶対悪の化身である、
見よ、世界のどこかで、この妖怪と希望のうちに暮らしている国があるだろうか、また見よ、この妖怪を地中深く、封じ込めて安心だと嘯ける国が、







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人生の意味、喜びとは

人生の意味、喜びとは

人に出会うということ、70億という人の、その中の一人と今、出会っているということ、犬を100匹飼っても、一匹と今、出会っているという、何十万種の植物であっても、道端の一株と今、出会っているという、この今、一人、この今、この一つとの、出会がないなら、生きたこととはならず、この今、一つに出会うなら、自然に、犬に、花に、宇宙に、時間に、存在に、包まれ、存在したことの、存在していることの、喜びのうちに、生も死も、自然なものに、核汚染があろうが、奇形、病苦があろうが、在る存在との共感、人生の意味と、喜びとはこれに如くものはない、

これからの10年で何を

10年がどれだけのものかは分かる、50から60、60から70の、瞬く間に過ぎた、70から80の、瞬く間であろう、何もしなくても良いのだが、生き延びる者のために、何かをと、私の3.11の絶望は、私個人の問題ではない、人類の文化芸術、生きる意味の喪失という、人間存在を無化させる問題であるのだから、それでも生命をつなぐ他ない、生命の無情、この全否定の世界の出来事を、記しておかねばと、

この絶望は、主体、知においてしか

瞬く間に終わる人生において、生きてあればと、耐え、楽しみ、意味を問うこともなく、過ごす人生にあって、核と未来と、人の意味とは、絶望を通して肯定に至るしかないのだが、

権力の闇と国民

ヤクザ、宗教、企業、軍隊、警察、学会、マスコミ、官僚、CIA、スパイ、マフィア、これらの歴史と、金と、計画と、人脈と、権力機構を知れば知るほど、全てうなづける世界の問題、権力は世界を股にかけ支配している、
利益、体制護持の共同体、国家とはそれらの支配単位、国民とはそれらの付属物、

国家の民営化、私物化

水道、種子、刑務所、役所、医療、年金、戦争も、人間も、グローバル企業、1パーセントの支配に、世界統一政府構想とは、国家の企業による民営化、

オウム事件とアルカイダと9.11

権力の縄張り争いに参入してきたオウム、権力は利用、泳がせをしていたが、力をつけ、アルカイダのような勝手な振る舞いに、世界のテロが、利権の縄張り争いからの、ヤクザの抗争と違わず、9.11とはそれが国家の関与で行われたということなだけ、歴史は常に権力覇権、天下どり、他国支配の歴史、標榜する民主主義といえど、資本の支配カモフラージュに過ぎず、反抗こそが意味を持ち、

完全にTV、マスコミは乗っ取られ、コントロールされ

この10年のリベラルな司会者の排斥、植草、古賀、武井、古舘、久米、国谷、長野、と、マスコミの右傾化、誰に、何のために、国家、利権、支配体制とはそういうもの、普段の国民の監視、抵抗なくしては何度でも、独裁、覇権国家は誕生するという、20Cは群居の時代、21Cは一国支配の時代へ、資本をバックに、

人間のボス好き

カリギュラのような、誰もがボスになりたいと、競い、蹴落とし、蹴落とされと、権力の歴史は、ボスの椅子をめぐる争い、
呪術の支配
神話の支配
法の支配
資本の支配

人間を解く鍵

政治、経済、歴史、科学、宗教、哲学、etc、様々に考察されたもので良いだろう、が、その人間の捉え方に無かったものが、絶望学、
戦争、虐殺、破壊、災害の中、メシア、ノアの箱舟の想像はあるが、人間は何が起きても絶望はしない、文化に絶望規定はないのだった、利己的遺伝子による、種の淘汰、核といえどDNAにとっては、利己的に働くという、希望が人の認識を超えたものであるがゆえに、希望が借定されるとするマルセル、絶望が人の認識を超えたものであるがゆえに、借定されるとする、私の絶望、核の絶望は、人の認識を超え、DNAの利己性を超え、10万年の時を経ても尚在り続け、

草原の実験

核実験で、核で、文明で、失われようとしているからこそ、末期の美しさで、静逸、広大、始原の地球が、象徴でも、虚無でも、何でもない当たり前の、カザフスタンの草原に、男と娘の上に、核の洗礼が、人間の権力の横暴が、悪魔のように、大地に、草原に、

哲学、文学、音楽、芸術、文化の全てが

世界の不正、欺瞞、不条理を告発、分析、表現し、理想を示しているのだが、2000年前から比べれば、人間は進歩したとの、アウシュビッツ、原爆、原発、隷属システムは、その到達でと、国家社会の下に営まれている文化は、ローマ時代、果てはエジプト文明と何ら変わらず、国家社会組織の利益、そこへの帰属から発せられる価値、意味で持って思考され、アナーキストの無政府といえど、アテネとスパルタクスのように、力で淘汰され、理想は実現されることはなく、人権を、愛を、共生を、罪を説いても、変わらず、不可知論ではなく、価値論、核汚染、核パンドラの価値論こそが、人間を救う、このパラドックスこそ、シンプルな実在、核世界の人間という、

今在ることだけが、

あらゆる時代、あらゆる国、あらゆる文化、あらゆる人間であっても、貫かれている一個の人間の、味わう時間というもの、研究に、商売に、冒険に、愛に、あっと言う間の7、80年、という人生において、何事かを極め、到達し、称賛を受け、満ちた時間であったと、人生を振り返っても、私と言う今は最後まで続き、この今の享受だけが、人間の意味であり、本質であり、難民で、戦場で、飢え、傷み、死の床で、今を味わう私だけが、存在の全てであるという、

核の真実を知らない者は虚無に至る

不条理と同じように、認識しようがしまいが、存在する実存という領域、核を無視しようがしまいが、頭上にぶら下がり、地上に突き立っている現実は、人間存在というものの虚無を規定している、文化芸術をどのように享受し、継承しようとも、

カミュ「最初の人」

このような物語として、私の少年、青年期を書きたくはないのだった、記憶の時から、見出された私の時をこそ描きたい、例えば、言葉のない世界の点描のような、私が刻印した時を、無尽蔵の見出される私の時を、原発震災日誌後の、死すまでの私の作品世界として、追たちの記ではない、私という唯一者の、その所有をこそ、私のレイトスタイルとしたかったのだが、大江ではないが、絶望世界にあって、意欲は失せ、意味は失せ、カフカのように、絶望を描き続けることだけが、生きる希望に、

ツァラトウストラは

洞窟に引きこもり、永劫回帰の悟りへと向かったが、私は、絶望日記という私の洞窟から出て、「今や、この星は死んだ、殺したのは我々だ」と、そして「今こそ、残されたものが絶望の子として生きよう」と、絶望主義宣言を掲げ、残された時を、絶望主義の著作に当てよう、







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死期を前にして

死期を前にして

どんな生の哲学があるのだろうか、オイケン(80才)、ベルグソン(80才)、クローチェ(86才)、新理想主義者たち、長生きしているなー、ニィチェ、ショペンハウエルにしても、虚無との格闘の中から、生の哲学を標榜している、現代の絶望世界にあって、死生学を捉えた上で、生の哲学をこそ考えねば、新理想主義ではない、一個としての、生への問いを、

だから愛していく以外にない

世界の絶望を、私の死を、想定、規定するなら、生きることとは、愛していく以外にないということ、刻々を愛するように、世界を、絶望も含めて愛していく、核も含めて、存在のバリエーションであることの、愛するとは、聖書でも、文学でも、哲学でもいいだろう、存在への喜び、感謝、共感、連帯、肯定、受容、「未踏」の、日々刻々の、あの覚悟の時のように、これからの余命を味あう、

赤いイスタンブール

作家同士、彫刻家、画家の、芸術と愛の物語、細かいカットを駆使し、物語を展開していく、その細かいカットが、小気味良い、背景の奥深さを醸し出し、繋ぐセリフも良く練られている、テーマは、作家のコンプレックスと、一人の女への競い合いだが、クルド民族、トルコの政情という背景を点描することで、時代と風土が生き、文学、哲学を感じさせる、
ファルカン・オズベテク(トルコ)1959年、「向かいの窓」を観ていた、

ドローン戦争の真実(ドローン・オブ・ウォー)

第2のスノーデン、女性ドロンアナリストの告発、戦争をTVゲームのように、地球の裏側に居て、OLの女性がやる時代、PTSDに苛み、自分の命を危険にさらないで、戦争するとは、殺人そのもの、戦争が殺人であることが明らかに、原発も似る、自分は安全地帯に居て、人を被曝させる、そこにある人の罪の意識、正当性や意味が喪失、

「大いなる旅路」〜関川秀雄と、「午後の遺言状」〜新藤兼人と、「GO」と、行定勲と、

国鉄と、老人と、在日と、どれも色あせて見える日本映画、世界認識の低さが、日本映画を詰まらなくさせている、すべからく日本映画の狭さ、お話、操り人形俳優、何が、どこがヨーロッパ映画と違うのか、「ヒロシマ」を撮った関川にしても、新藤にしても、安っぽい理想主義のせいか、人物が個人として成立していないからか、因習、前近代に対して、批評眼が乏しいからか、予定調和と、人情を基調としてているからか、ペシミズム、虚無感が無いからか、不条理、抑圧に対して、抵抗、俯瞰の視点が無いからか、封建、戦争を描く時、デモクラシーの到達点から捉える視点が無いからか、近代と言うものが経過されていないからか、個人、人権、自由、ナショナリズムの未発達、夥しい娯楽としての映画、リアリズムと言うものが、写実と言うものではない、物の本質を捉えるという、ヨーロッパ近代というものの、壮大な歴史、文化の総合の上に在ったということ、映画をいう時、ネオリアリズモ、エイゼンシュタインのアバンギャルドの、映画にしかできない世界の、
タルコフスキー、タルベーラのような映画作家が、

共生について

欲望が全ての悪の元凶であるとするなら、その欲望を必要としない社会への、転換が出来なければ、共生は可能とはならない、何故に人は学ぶのか、何故に人は競うのか、何故に人は求めるのか、何故に人は存在を受容できないのか、核の、AI、シンギュラリティの、8人で世界の半分の資産4.2兆ドルを持つ、文明の限界点の現代にあって、初めて共産主義の掲げた、共産が可能となった社会において、学ぶことの、所有することの、不用、放棄への転換点に立てたということ、核汚染の不幸という絶望はあるものの、求めない人間の誕生が始まる、その時自然との、存在への共生が可能となる、共生だけで、存在だけで良いとする、国家も、民族も、文化、人の優劣、障害も、在るがままの、

人類はすべて失ったのだの

3.11とはそうした想像力を、物からの解放、対立からの解放、3.11の絶望とは、人類をすべての事柄、生死からも解放してくれた、私にあっては癌を得て、癌からの解放のように、原発事故を通して、人類は癌からの解放のような、有史以来、求め培ってきたものからの解放、在るがままでいい、極楽、天国が出現したということ、それが3.11というもの、隕石の衝突で、地殻変動で、異常気象で、地球の、人類の絶滅は語られていたが、核汚染でとは、それが現実となったということが、

私の国から、私の国ではないへ

私の国、私の故郷、私の土地、私の山、私の畑、私の家、私の、私のと、それが今、私の国ではない、私の故郷ではない、私の土地ではないと、汚染された廃屋の、放射線の飛び交う、山や川は、私のものではないと、白虎隊、屯田兵、日中事変、水子、唐行、出稼ぎ、原発推進と、必死で守ってきたものが、今や無用の、地球汚染の、忌み嫌われるものに、生贄をどれだけ捧げても、報われぬ、魔人の住む土地に、人の死を、人の不幸を、人類は博愛で超えんとしてきた、が、今や博愛、ヒューマニズムが無効に、人の死が、人の不幸が、私の死、私の不幸に、民族、国家、文化、芸術、人間の根拠そのものが失われ、未だ住める、まだ大丈夫と、が、やがて汚染は全地球を覆い、私の星ではないと、

金石範

ネットで、金石範の軌跡を見る、10代に済州島事件に遭遇、逃れ日本へと、生野での在日人生、済州島の、韓国の恨を抱え、問い続けている、有史以来、今もあちこちで、支配、被支配の闘いが、嘗てなら、被支配者に共感し、支配の理不尽、憤怒が起きたのだが、今や、争うことの、正当を叫ぶことの、糾弾することの、反抗することの無意味さ、思う壺でも、利己的でもなく、争うことの可笑しさ、核汚染の中で、土地、食料を奪い合うことの、人を殺しあうことの、核によって滅びようとしている人間同士が、絶望において人が出来ることは、支えあう、励ましあうことだけ、核は恨を超える鍵でもあるのに、「火山島」1万枚の小説、4・3事件を20年に渡って、
金石範に、戦前、戦中派には核はどのように捉えられているのか、恨がルサンチマンが貫いているのか、

神の思し召し

先ず、運命、宿命と言うものを、因果からではなく、決定論的に受容、そして、神の思し召しであると、運命、宿命を意味付ける、仏教の因果ではない、全ては神の為せることと、神の名の下に、人の意思でなすことも、神の思し召しと、神の御業であると、宗教の持つ、人の意思に神を介在させ、強化、合理化を図ってきた人間、無知から、諦観、神の思し召しへと、

人生早くて5年、遅くても10年と考えるなら、
存在することの、存在したことの喜びでいいのだが、絶望主義など、人間はすべからく原罪者であり、死は神の思し召しであるのだから、存在の歌を、核を見据え、絶望を見据え、今在ることの喜びの歌を、

あの日、何故頭が真っ白に

40才の癌宣告の、あの日、人生がこれで終わるという、まだ何もやれていないのに、これで終わるのかという絶望感から、人生に期待を、可能性を、未知を信じていた、人生はもう充分と、言える年まで生きられるものと、未だ楽しめるものと、多く信じているものの延長に、生命と人生があった、生命の儚さも、人生の苦難も、未だ身近ではなかった、否定思想は考えていた、人生を否定的に捉えること、肯定、理想ではないが、絶望にまでは至ってはいなかった、レオパルディがペシミズムから、絶望を生きていたが、私のペシミズムは、習い性とはならなかった、ペシミズムからの、情熱への上昇こそが人生であった、手中にしてはいないものの、愛を、真実を、理想を求め、信じていた、そこへの癌宣告であった、存在の耐えられない軽さではなかった、重さを、意味を、悟りなどではない、実感を、契機を、飛躍を求めていた、癌は死を伴うがそれらを満たし、可能にするものとして、あの時には捉えられなかった、







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