個人誌 『未踏』全ページ

私はここにいます 貴方がそこにいて嬉しい

全体表示

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全1019ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 前のページ | 次のページ ]

少女終末世界旅行

少女終末世界旅行

デストピアを描き、それも絶望をテーマにした映画はないのかと、探していて出会ったアニメ、10話まで見終わったが、シュチエーションは、終末戦争後の西暦3000年の世界に、生き残った二人の少女の話、戦車のような車に乗って、廃墟の街を冒険して回る程のものだが、最期は放射能などのエネルギー物質を食べてくれる生きものが登場して終わる、絶望世界にあって、二人の少女の明るさ、屈託のなさは良いのだが、文学における、見出されたものが、譬え絶望世界であっても、意味、テーマの、追求、発見が無い、失われた時から、見出された時への、宮崎のジブリ世界ではない、絶望への喪われた世界への視座は良いのだが、絶望を見据えた、現代への見出されるものが、

苦海浄土

石牟礼が死んだ、90才、責務のようにミナマタを描き、ミナマタと共に生きた人生、公害を犯罪として、個人対個人の問題として、国家、企業、システムを、一個の人間に対してのように、告発、呪詛し、生命の尊厳を問うている、「金は要らん、上から順番に水銀を飲んでくれ」と、フクシマの核に対しても、「原発を推進して来た者は、上から順番にプルトニウムを飲んでくれ」と呪詛する心が、「日本には抵抗する伝統が無いのね」と、スヴェトラーナに言われてしまったように、核を、私は石牟礼のように、私の責務として問い続けていかなければ、が、核汚染という、除染したとしても、移染に過ぎない、地下に埋設しても、20万年に渡る管理が要る、取り返しのつかないことへの、今や個人の問題ではなくなっている、1パーセントの世界支配にあって、絶望感だけがのしかかってくるのだった、

ジョブズと悟りと、自由

ジョブズという男が、マッキントッシュを作り、アップルを作り、アイホンを作り、今や世界企業となり、作られた製品はかってのソニーのように愛されていると、そのジョブズの資産が100兆円で、ビルゲイツ、孫、かつてのエジソンのようなモノづくり王として名を馳せ、多く科学者というものが、常に物への探求者であるように、発見と発明、特許権で人生を考え、蒸気機関、電気、コンピューター、核エネルギーと、わずか200年で、欲しいものは全て手に入れ、が、不老不死だけは得られず、かつての王と同じ、悟りという死への肯定、受容だけが残り、ジョブズ56歳ですい臓がんでの死、禅への関心を持ち日本へ、物作り、物の探求に明け暮れた人生、死も、存在も関心となることはなく、物を残して死んでいく、利便と安らぎと、喜びと幸せのためにあるものが、物作りに追われ潰えていき、王といえど、資本家、大作家といえど、変わらず、精神存在を味わう喜びは少なく、朽ちていき、今も人間の全文化が、物への、方法への、精神といえど物に従属し、存在という自由には至っていない、近代のキリストの絶対追及、禅の解脱といえど、存在への自由には至っていない、何故なら絶滅、絶望を体験していないから、個人の死、人類絶滅、それらの体験があって、そこからの再生があって、初めて得られる存在への自由というものだから、私の癌体験、そして3.11の種としての絶滅体験、これらがあって、生命への、文化への、自由、自在が誕生してるのだから、
生死への、輪廻も、永劫回帰も、天国も、極楽も、生命の永続、存在の永遠という、

タルベーラとラースロとタルコフスキー

タルベーラが4時間、12時間の長尺映画で表現したいものは、物語やプロットではなく、流れる時間そのものを写実的にと、人がどこからどこまへ歩いたのかは、初めと終わりを撮れば出来ることを、全てを撮るということは、流れにこそ意味を見いだそうとしているから、それらが一体、現代にあって、何の意味や目的があるかといえば、一つは時の流れの忘却に対する反語であり、流れの時そのものに、意味や目的があるという、存在論的メッセージを込めてであろう、長尺の中に、いくつかの又、一つの大きな物語はあるものの、その細部と全体時間がテーマとなっている、絶望の後にも、絶望の中にも、それはあるという、「サタンタンゴ」、「ニィチェの馬」の絶望と不条理の映画化ではあるが、絶望と言うものへの対立、抵抗を映像化し得ている、タルコフスキーが希望と理想を求めたのに対して、二人は、現代という核時代、全体主義後という世界にあって、絶望を見据えての、私においては、私対世界であるのだが、その私を何処に留めておくか、何が私を作っているのか、世界に対する私と言う存在、一個である、存在する意識である、私と言う、対極のネメシュ・ラースロの短編、13分の中に、ルネサンス絵画のバルールのような絶妙さの中に、絶望の中の、悪の中の、更なる絶望と悪が、

サウルの息子〜ネメシュ・ラースロ

タルベーラの「ニイチェの馬」に関わった監督の作品ということで観たが、深度の浅いレンズで撮って、臨場感はあるがアウシュビッツ以降、アウシュビッツを語ることの無の視点はない、帝国主義、ファシズム、奴隷同士の、これは何なのか、人とは何なのかの、生きている間は生きる、ではなく、人間への、世界の絶望への、愚劣の裁断、無化の、自死でもいい、抵抗でもいい、生存欲でも、邪悪への、人間の新しき形が無いなら、やはりアウシュビッツを描くことは愚劣なこと、人間の文化とは何か、差別と抑圧の上に成り立っている、ユダヤといい、黒人といい、障害者といい、貧乏人といい、抵抗の上に成り立っているというが、有史以来、それだけのもの、
本質、根本的な、権力の邪悪と絶望には非力、神ではない、新しき絶対が、核の邪悪こそが世界を救う、

バイキング及びマルコポーロ

バイキングの覇者への過程、マルコポーロのジンギスハーン一族の覇権争い、それらを観る中で、ある人間の支配への感情、支配されるより支配することの、殺されるより殺すことの、常にそこには外敵という、支配抑圧の世界があり、現代といえど、グローバルな世界資本が、国家を超えて、支配抑圧のシステムを張り巡らせ、人間不平等起源論、社会契約論、理性、所有、人民主権と進んできたものが、弱肉強食、適者生存へ、今やバイキングもマルコポーロもなく、

戦後文学

啄木、透谷から始まって、16才より日本文学を漁ってきて、戦後文学を特別なものと考えて読んでは来なかった、日本文学の流れとしての戦争であった、民主文学の流れとしてのプロレタリア文学が課題としてあった、「野火」、「ひかりごけ」、「海と毒薬」、「人間の条件」、戦争という状況に投げ込まれた、人間の悲惨、不条理をテーマとしているのだが、今や人類絶滅も可能な兵器の時代にあって、ドローン、ロボット戦争の時代、金融支配の時代にあって、文学における、人の良心や、善悪、不平等など意味をなさず、SFでしか表現できず、日本文学の戦後文学とは何だったのかと、世界は常に支配、被支配の構図で、それは国家など関係なく、世界はそうして形作られ、「戦争は女の顔をしていな」くとも、傭兵、テロ、労働としての戦争が、世界に蔓延し、核戦争だけが人を戦争の愚から目覚めさせ、ストロンチウム、プルトニウム、万年単位の半減期の意味がそこにはあり、核汚染の中で殺し、奪い合うことの愚が自覚され、

ベルンハルト・シュリンク「朗読者」

映画スティーブン・ダルドリー監督の「愛を読むひと」、人の罪への有責性を描いていたが、かつてレヴィナスの有責性を受け入れ難かったが、現在、核汚染の世界にあって、未来への有責性、罪は自明のものとなり、その上で私は絶望主義を、自らの立ち位置と規定し、私の有責性を思考しているのだった、またそこからの脱却として「唯一者とその所有」、「私対世界」であるのだった、

レヴィナスの有責性、顔に対して

人間としての倫理、人間の発見、可能性をそこに重ねたが、核によって、後戻りのできない、破滅の自明な世界にあって、有責性を持たず、か弱く、空しく、レヴィナスを感じてしまうのだった、絶望に対して、無責任性と、虚無こそが力のような、レヴィナスの人間への、人間の視点は了解するが、いずれ、愛、畏敬であるところの感情に、期待も、理想も求めない、人間の歴史の過酷、残虐に於いて、レヴィナスが気弱なキリストのように思え、

朝鮮という国

櫛目土器〜BC4000、ウラル系
衛氏朝鮮〜BC194
漢による支配〜400年間
4C〜高句麗、百済、新羅、三国時代
13C〜モンゴルの支配
14C〜李氏王朝
16C〜豊臣秀吉の出兵
17C〜清国の侵攻
19C〜日朝併合
1910〜南北分断
20C〜
5年おき、10年おきに動乱が起きている歴史、日朝併合時には毎年のように、

ニキータ・ミハルコフ

ロシア三部作を見る、貴族、エリート時代のノスタルジーと、スターリン時代の粛清、独裁への批判を、一人の女性への、愛の葛藤を通して描こうとしていた、史実的エピソードを重ねながら、6時間にわたるドラマ、多くロシアの発見、回帰の、家族、人間への回帰の視点が重点で、粗削りだが楽しめた、ソヴィエトは2800万人が戦死、ドイツは800万人、日本は400万人、ユダヤ人は400万人、ポーランドは500万人、中国2000万人、世界合計1億人近くが犠牲となった世界大戦、ナショリズム、愛国が時代を席巻した、現代、新自由主義の時代にあって、民族、国家は崩壊し、資本対無産者の、1パーセント対99パーセントの、世界は100年前の構図が自明となり、核汚染の世界にあって、それは決定的となり、

カウラ事件

日本人とは何かを考えさせる、オーストラリア人が、イタリア人が、当時受けたショックが、現代にあっても、個人の未発達、生命の尊厳、自立と他愛の欠除、近代とは何かの、ギリシャを生んだヨーロッパ、フランス革命、産業革命を経て、その中での市民、個人、人権意識、それらが日本にはなかったということ、現代であってもそれは変わらず、ヨーロッパ近代の200年、文化としては2000年という思想の歴史、日本にあって、たかだか鎖国から150年の、第二次大戦から70年の、それも外圧からの、付け焼刃の、文字面の、トイレットペーパーより軽かった、カウラ収容所の生命は、一億総玉砕と変わらず、今も、放射線管理区域に子供を住まわせ、誰も裁かれず、再びの再稼働をと、

9.11を平気でやる者が

アメリカには2万人の、否、何万人かわからない程のCIA、FBIの職員が居り、かつてあらゆる謀略やら、陰謀を仕掛けてきた、麻薬取引、武器取引、子供売買、etc、世界の諜報、権力機関はどこも同じではあるが、そうした人間が考えていることの、国益なのか権益なのか、人道、正義などお構いなしに、ヤクザのように、仕事としてやっているということ、啓蒙思想で、人間の尊厳、民主主義は、生かせていないということ、啓蒙とは権力による支配プロパガンダとなり、一部の特権に奉仕する、金と権力に捉われた者らが、支配護持のために、核の絶対悪も、自然災害の虚無のように、彼ら無知ではない、人の放棄、人の絶望、人の喪失ということ、彼ら、人時間を生きていないということ、人時間とは、人への、世界への、共感、その上での誠実、根底にある、良心というようなものに基づき生きている時間、国家の名の下に、治安維持の名の下に、抑圧と、支配を続けている彼ら、彼らこそ世界の絶望であるのだった、
世界の悪は、全て彼らによって演出されているといってよいほどの、

チョムスキーの「アメリカンドリームノレクィエム」

10項目に絞って、その変遷を説明、そして最後は、1人1人の小さな積み上げが歴史を作ると、しかし、このグローバル企業に群がる人間の、欲望と無知は、収奪と戦争と破壊を繰り返すだろう、現代の社会システム以前に、核汚染の、絶望認識を共有しない限り、人類全体が運命共同体であることに至らない限り、更なる核汚染が進行しない限り、

パステルナーク「ドクトルジバコ」

2度目のビデオ、原作も読んではいるが、残る印象がある、革命と言うものの、そして時代の中の個人と言うものの、そして愛と言うものの、で、ジバコは革命をどう捉えていたか、時代だから、改革が必要であったからと、父がトルストイと親交があり、移動派の絵描きであったから、ナロードニキの意識があり、しかし、革命が個人の抑圧を必要とすることへの抵抗、批判を持ち、愛については、自然さの自由恋愛者で、二人の女性を愛し、革命と言うものの、ロシア革命から、チリの革命まで、革命とは政治の帰結である、その中での個人とは、革命を必要とする者と、必要としない者があるだけ、必要とするものは、個人より集団を求め、愛とは、自愛、自由を通した他愛、自愛を深めていけば、自然に他愛は生まれ、自愛の人生こそが他愛へと、

イギリスの児童移民政策「オレンジと太陽」

ハンフリーズ女史の調査によって、明るみになった、イギリスの養護施設の子供たち、1900年前半、それ以前からも、孤児院と言われていた所の、15万人が、世界のあちこちに移民させられていた、高橋是清も、間違ってアメリカに移民させられたと、植民地政策による孤児、片親家庭の子供たちは、世界に無数に送り込まれ、何十年も心の空洞を持ったままの者、虐待、自殺、奴隷労働、今も続くグローバル企業の植民地政策、

トランプの虚無

45億の年収、3度の結婚、不動産王、米大統領、自信家、虚無と言うものがなんであるかとするなら、これら人生の忘却に費やされてきた境遇であろう、人生とは何かを考える、一瞬すらも味わうことなく、過ぎてしまった人生そのものであろう、

君主制、封建性が続く歴史

現代においても、大資本と労働者の状態は、1%と99%と言われるように、君主が企業に変わっただけ、封建性は、政官財の癒着となって行われ、市民、国民もそれを容認し、労働という名の奴隷制度を続けている、民主主義がどういうものかとするなら、奴隷労働からの解放でなければ、香港の学生運動のドキュメント、16歳の彼らが、民主主義とは何かと、中国専制支配に立ち向かい、国会占拠、市街占拠と、

禅について

日本の作家の多くは、最終的には禅を説き、禅に帰っていく、近代自我、哲学を深めた者が禅へ、道元へと、宮沢賢治はじめ、日本には仏教的背景の作品は多いが、一般においても、冠婚葬祭を通して、禅的文化思考は蔓延しているのだから、自明ではあるのだが、民主を、革命を、近代を、伝統、歴史の中に体験していない日本においては、自我発露の青年時代においてのみ、追求される自我であり、その過程の文学であるのだから、いたしかたいのだが、原発事故、自然災害、政治の混沌などから、メッキ的自尊の皮がはがれた日本人への、もう一度日本、日本は素晴らしいのキャンペーンの中で、禅の自画自賛がなされ、永平寺等、日本の寺社仏閣が繰り返しTVに流され、沼田健哉なる者の、自我考察も読んでみたが、ただのガイドブックに過ぎず、全人類的、自我、個人の尊厳への俯瞰はない、唯一者とその所有のような、自我、個への賛歌、謳歌の哲学こそ、現代は必要としている、核世界において、世界がどうであっても、存在する私への確信、在るだけで良いとする、自尊自愛の哲学、唯一者を自覚して、

ルサンチマンと革命

世界の富は、富豪に預けてある、必要な時には下ろすでいい、
生命とは、生きて在るだけでいい、
喜びも、苦しみも、生きている体験、
核に対して、世界に対して、私の生の哲学でいい、







開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

大岡昇平「野火」の問題

飢えの極限状態にあって、人を喰べるか否か、人を喰べて生き残ることの、武田泰淳の「ひかりごけ」野上弥生子の「海神丸」、etc、人肉喰いの小説は多々ある、人肉喰いの罪を、人を殺すこと、人の肉を食うこと、同類に対しての、人間の尊厳、人間という私へ罪と罰への、生理的に嫌悪されるものとは何か、同類を食うという、飢えに対して抗えないという、生理と理性、死と生、生のためには死を拒む、そのためには生理が優先されると、人肉を喰って生をつなぎ、生還した私の手記として、神を問う形で終えている、多くの兵隊が人肉を喰ったであろうことを、罪の感情でもって、戦後を生きた者と、人の生理としてやり過ごし生きた者と、戦争への反省のないまま、今に至っている日本にあっては問われ続ける問題であろう、それらを大岡は、問おうとしたのだが、描けてはいない、「もし彼がキリストの変わり身であるならば」と神に負わせてしまっている、こうした人倫問題が、核世界の時代にあって、世界を手玉にとれる兵器、毒物によってどう変化していくのか、文学、哲学は何を問うのか、
唯一者は、人肉喰いも、核、テロも、肯定も、否定も随意であろう、世界と一体の個の地点であり、世界の最大悪を愚劣を知り抜いている存在だから、神が劫罰をくだすように、世界を俯瞰している存在で有るのだから、罪と罰、ヒューマニズム、デモクラシー、国家、民族、善悪、etcを、個で、私で超えていく、絶望しても死なない、核時代の新しき人の、唯一者とその世界を描かねば、ムルソーの世界の無関心から、世界の一体へ、

道元と私

只管打坐、自らの中に仏性を見いだす、身心脱落、その後世界との一体へ、生と死、肉体と心の対立ではない、一体への、体験、感情と、キリストの絶対神と、ギリシャ哲学に始まった科学への道と、現代の絶望に対しての禅と、キリスト、科学の心、現代の絶望は、禅、キリストを超えて、科学の想定と感情からの、1000年、2000年前の人間の思索と、現代の人間の頂点における、科学と感情心理、自らの仏性を見るとは、2000年の人間の歴史をつないでいる存在の私であることの自覚、

●身心脱落とは、自己の仏性の下に生きた人生であったこと、
●長い短いではない、仏性を生きたという満足で、
●生死、色即是空とは、宇宙、存在の無限、無限なのだから私も無限、質量普遍と常住不変不滅、
●生きることを生きるとは、癌生還からの、おつりの人生で十分、
●その上での、私の原発震災日誌、残された時間を絶望主義の確立へ

想像の絶望と現実の絶望

核、戦争、病気等の絶望状況があるから想像されるのだが、現実にそれらが起きた時には、文学、哲学、宗教の、哲学におけるイデアにアプリオリなものとなるだろう、絶望の認識にあって、時間、空間、存在と同じように、私において感じられる、核というアプリオリなもの、それは私において形作られているからこそ、想像ではない、核汚染地の、家庭の、個人の絶望から発せられているのだから、
これが世界を変えないわけはない、今や世界は想像の絶望ではない、核を通して、絶望を通して、人類は変わっていかざるを得ない、新しき人はそこから誕生していく、

人生で何をしたかったのか

結局は小説を書いていたかった、思索をしていたかった、ということになる、オーディオ、植木、カメラ、パソコン、etcの趣味はあるが、無くても構わないものではある、が、文筆、思索は、生きることの目的になっている、途中政治や、家庭、生活、労働がウエィトを占めることもあったが、全ては書く、考えるためにあり、政治や、人のためにではなかった、私の、私による、私のための文学、発表も、評価も必要とするものではなかった、それは今でも変わらず、譬え原発、絶望の思索であっても、私においての事、私対私の人生という、

ユダヤ、タルムード

タルムードの格言を読んだ、そこに書かれている選民思想と、自民族以外の蔑視、非人思想、差別と虐待の歴史の中からの思想だろうが、抵抗の極みが語られている、全20巻、12000ページ、教育、労働、食事、死生観、性、婚姻、商法、聖書の倫理的なものではなく、実利的、戒律、若き日、モンテニューのエセーを読んだ、曖昧で良く呑み込めなかった、が、タルムードは具体的で考えさせるものとなっている、こうした格言で人生を生きたなら、エリートにもなるだろうと、世界のユダヤ教徒の著名人たち、非ユダヤ人にとっては、息苦しいものに、が、立身出世の、人生達人の書のような、金にまつわる、人間関係の、知識への、成功への説得力、マニュアルがある、かくてユダヤ教徒が財を成せば、支配者、リーダーとなることに、ホロコースト産業、最も富裕なアメリカ人40人のうち16人はユダヤ人、アメリカのノーベル賞受賞者の40%はユダヤ人、主要な大学教授の20%はユダヤ人、一流法律事務所の共同経営者の40%はユダヤ人と、ロスチャイルドに象徴される、世界の陰謀、謀略の仕掛け人との、タルムードは、聖書、コーラン、仏典とは違う、ユダヤ人による、ユダヤ人のための実用書となっている、

五木の青春の門

映画しか見ていないが、本日自立編を見て、途中で止めた、その話作りが、人情賛歌で作られていることへの嫌気であった、五木の中にある、通俗、演歌性からなのだろうが、ここから始まって、大河の一滴、親鸞、蓮如へと、その知足礼賛が、人への卑屈、無思想へと誘い、6、70年代のノンポリ、愚民へと、昨日の道元も同じだが、悟りを真善とし、人の百人百様の生への否定となっている、仏性を生きずとも、生きる百様が、人であることの視座が無い、仏教が輪廻転生、因果、空、無常、苦、無我、これ等の肯定が悟りとするなら、何とつまらないものかと、

電車、バス、家で

人が、スマホ、パソコン、TVと、全員がである、昔一億総白痴化と、今や完全にコントロールされている、過去を持たない、過去を振り返らない、自らで考えない、自らを持たない、一日を持たない、人はみな有機ロボットに、家、車、物、教育、レジャー、etcに縛られ、その為に働き、ロボットとしての人生、振り返る過去を持たないのだから、現在しかない、与えてもらう、指令を待つ、暇をつぶす、インターネットが情報ツール、コミニケーションツールに過ぎないのだが、コントロールするものにとっては、格好の支配の道具、フェイクニュースが垂れ流され、が、ニュースなど見ていない、ゲーム、音楽、メール、政治など無関心、サイレントマジョリティー、陰謀、不正選挙、絶望世界にあって、自然な姿、

映画、オートマタ

AIがプログラムに基づかない、自立型ロボットであり、それが2045年には、人間を超えるとする中で、オートマタというロボットの誕生、CPUチップが人間の1万倍となり、様々な予知判断が、人間より正確なものとなり、自らを再生、創造していき、「核による環境破壊」、「人工知能の特異点超え」、「太陽異変より地球環境の変化」、人間はロボットに労働を依存し、そのロボットが人間社会をコントロールし、という映画ばやり、一緒に見たAIも、子供型ロボットと母の物語、ロボットが人間の感情を持ち、母を求めてと、人間社会の崩壊がシュチエーション、人間の愛の再生がテーマ、が、この進歩と言うものは、有機体、生命にとっては、核という絶対の前には、無効なものであり、生命がバンアレン帯を超えられないように、何をもってしても限界に至っているということ、SF、デストピアの映画に欠けているものが、核に対する視点、デストピアを規定している、根本のところが考察されていない、譬え打つ手なしの、絶望未来であっても、この絶望とは何かと、今を問う視点が欠けている、

ダウン症、自閉症、不妊、アルツハイマー

数日来のTV、これらを盛んに放映、世界がこれらの問題に当面していることの、優生学的、ホロコースト的に語る事と、ヒューマニズム、宗教的に語ることと、全ての根底にあるのは、人の絶滅への、その中での個としての、唯一者の視点の欠除、絶望の共有が無いがために、価値で判断しようとしている、絶望においては、どちらでも良い事、生きる事を生きるだけ、その日まで、助け合って生きた方が、楽しいに決まっている、分け合って生きた方が良いに決まっている、人肉を喰って生きても、いずれ死ぬのだから、帰る国、希望の国はないのだから、共に飢えて死ぬのが人間という動物の姿、

絶望を通して、すべて許すへ

愛や、真実、正義、実存と、存在に様々な意味づけと、理由をつけてきた、存在とはそうしたものと、しかし今、悪も欺瞞も、不実も、全て許す、全て肯定へと、世界の権力者が、世界の哲人、偉人がであってさえ無力な、成す術もない、核汚染の星に、その絶望、この星への所有意識、支配意識が強ければ強いほど、絶望意識は強まるはず、その取り返しの付かないことへの、全てが無の、子や孫の世代ではない、100年、200年後の核汚染の蔓延、

絶望+希望=愛ということ

現代とは、人に絶望意識が欠除しているということ、親鸞の悪人なをもって往生すのような、悪への寛容、キリストの恩寵、では生ある者が、絶望を体験してきた者が、愛と希望に至っているのか、アウシュビッツの生存者が、第二次大戦を生き延びた者が、癌の生存者が、絶望に対して、愛と希望は有効なのか、
希望は人の主観を超えて存在するものでいいだろう、愛は恩寵のような、存在への喜びでいいだろう、絶望であっても希望が感じられるなら愛が、愛から希望をとるなら絶望が、希望とは愛から絶望を取り除いたもの、現代において、絶望の認識が無いがために、愛も希望も存在できない、世界の絶望を愛と希望で、






開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

グルニエのペシミズムと「孤島」の世界

マルセルの「形而上学日記」と、グルニエの「孤島」、恩寵と、楽園の感情、ペシミズム、虚無からの到達、プルースト、森有正にも感じた、存在への信頼、癌サバイバーを生きて、私も到達した感情、が今、核汚染の絶望世界にあって、何処へ、どのように向かえばよいのか、過去の文化、人間の総体が、役に立たない現代にあって、在ることへの至福など、癌の時、今少し存在していたいと、在ることの至上に満たされた、ガス室にあって在ることの至上など、奇形を生きる、虚無を生きる、今日を生きる、存在を生きることなだけ、

夢を見た

夢の中で、Oに無性に会いたくなって、夢の中なら、きっとOに会えるのではと、でもOはすでに死んで、この世には居ないのだから、夢の中でも会えないのではと、この、人が死んで居ないことへの、どこにも、この人のいないことの悲しみに、夢の中で泣いていた、そして、本当に過去、人は私と居たのだろうかと、ずうっと死者達と過ごしていたような、実感のない、色褪せたアルバムの写真のように、O、母、父、何も無かったような、

夢の中で何度か出て来る家に。私は居候している、そこの若い男が作曲していて、その男の歌に、トカトントンの歌詞が出てくるので、君は太宰のファンかと聞いたら、違うと否定し怒りだした、私はその男と話してみるべきだと、文学論を始めた、男は先生という人との出会いを、熱弁し始めた、それは「こころ」の先生のようだった、そして男は先生の秘密を論じ出した、私はかつても今も、先輩や先生といったものを持ったことが無かったから、先生は、先生の、と、言う男に嫌悪感が湧き、話を制し、私の考えを語ろうとしたら、学校(高校)の授業で、私が当てられた、私は少し長くなるが、久しぶりなので、時間を15分ほど欲しいと、先生にも、クラスメイトにも了承を得て、死について話し始めたのだった、

顕正会婦人部員の折伏

女性が一人で、我が家に宗教の勧誘に来た、顕正会だという、創価学会、大石寺と暴力沙汰を起こしている、過激な新興宗教、死んだTの息子が入っていると聞いていたので、少し話してみようと、家に招き入れた、が、話は噛み合わず、女性は、勧誘をしたいだけ、
16才の頃の、職場で、学校で、議論したことを思い出した、彼らの固い信仰というか、考えに、何を言っても脱洗脳は無理だった、彼らに非科学を見るばかりで、違和感だけが残った、その様子を見ていたKが私を共産党に導いた、様々な本を貸し、人に会わせ、私は急速に社会主義に目覚めていった、創価学会はそんな私の社会主義への契機となった、あれから50年、勧誘、持論を繰り返す女性に、私は、
人間は素晴らしいのだよ、
あなたは素晴らしいのだよ、
この世界で唯一の存在、
キリストも、仏陀も、あらゆる教祖も関係なく、
あなたは唯一者として、一人の自分を所有する、私が私であるとを自覚した存在なのだよ、
幸いは、山のあなたにあるのではなく、
あなたの心の中に在るのだよ、
この世界に生まれているだけで、
今ここに有るだけで喜べる存在なのだよ、
これは生命を拾ってみると分かること、
生命とは、味わい、喜ぶもの、

これらを脅かす、現在のフクシマ、チェルノブイリ、世界の核世界ではあるが、
この生命の在るという基本は変わらない、
生命とはいかなる世界にあっても、
断崖絶壁の草木、灼熱、極北の生き物たち、生命を生きてきた、

隕石の衝突で、地殻変動で、地球寒冷化で、地上の命は絶滅に瀕する事もある、
が、私を生きる生命は、思わぬ形で生き延び、今に至っている、これからも、

人間世界には、しっかり絶望すること、が、私には、これからも無数の私には、絶望しないこと、唯一者としての私は、この存在を私で生きていく者、障碍を、病苦を、戦争を、飢餓を、人間世界の自明とし、が、私が私であることの、意味と使命は見失わず、
生命の、有ることの喜びをもって、生命の尽きるその日まで、私を味わい尽くすこと、と、

この6年間

原発と政治に明け暮れ、人生喪失の感あり、人間とは、人生とはを、そして人生そのものを味わう晩年でありたい、戦争や災害、病苦があろうとも、我が人生を味わい尽くして了えたいと、あと10年、早ければ5年の人生、
陰謀論への、騙されていたことへの、安逸への、正否、真実を求めて、ネットで、本で、絶望の前にはどちらでも良いのだが、青年の日、社会主義に接し、追い求めたものとは違う、理論、思想ではない、人間の、政治の、正邪、思想の具体が課題となり、調べ続けることに、そして出来上がった世界が、絶望主義、世界を理想主義ではない、時代、環境における人間の意識の反映としての世界、その反映が絶望をもたらしている、核は人間の本質の反映、支配、保身、依存、集団としての、そして核汚染という絶滅的状況に至っても、変更できず、これからの5年、10年、絶望に至った私の、未来を生きる者への、生き方、考え方への、私の文学を、私はここにいます、貴方がそこにいて嬉しい、と、

芥川の「蜜柑」

私が読んだ芥川の作品で、「蜜柑」だけが文学とは何かを、文学の意味を感じさせてくる作品、何故に「蜜柑」がと、芥川が現実の中で見つけた、現実への実感美であった唯一の作品であるからだった、計算された構成ではあるが、写実の、芥川の目と心が、そこには描かれてある、その芥川の目と心とは、貧しき者への、優しい、生きることへの眼差しと喜びがある、自殺の8年前の作品であるが、塚本文と結婚した年である、27才、芥川の世界は、諧謔、エゴイズムへの、自責、ペシミズムとの、葛藤、今昔物語、現実捨象の、唯美性、が、「蜜柑」だけには、芥川の一個の人間としての、素直な、現実からの、人の喜びを見た、自分の喜びを表現している、現実の中に在る文学への、文学の意味への、或得体の知れない朗ほがらかな心と、取り繕ってはいるが、プロレタリア文学への、羨望、自己の文学への懐疑、絶望を通して希望に至る道への、が、芥川は疲れてしまった、家族の扶養への生活苦、文学への行き詰まり、薬物依存、ペシミズム、死ぬことの方が救いとなり、あの「蜜柑」の娘からの、あの得体の知れない朗らかさに向かうこともなく、
芥川の死が、たとえ12人の扶養の重圧、女の気変わりが要因であっても、光に向かう文学を通して、「蜜柑」にはその光が射している、

陰謀論の意味

フェイク情報が、垂れ流され、マスコミがコントロールされていることへの、覚醒と、出来事への、自らの思考が求められ、ラスベガス銃乱射、他、一連の世界でのテロのやらせ、捏造、欺瞞、陰謀論とは、初めに陰謀論者、内部告発者が暴露し、その暴露を、権力、御用学者、メディアが否定し陰謀論化するパターン、様々な出来事に、最初に疑問を持つ者が陰謀論者たち、彼らには反権力の、デモクラシーの意思があり、嗅ぎ分け、愚民化に抵抗する集団、時に愚民化された者からの攻撃に晒されるが、絶望を通して真実に至ろうと、生き続けている存在、愚民政治3点セット、「貧窮問答歌」、「阿弖河庄上村百姓申状」、「慶安のお触書」、ローマ時代の「パンとサーカス」から始まって、3S、反知性主義、一億総白痴化と、権力は常に批判を拒み、衆寓政治を行っている、陰謀論が誰にとって利益であるか、どのような陰謀論であれ、反権力、反権威、反アカデミズムの視座があり、真実が問題ではなく、衆寓、愚民政治への抵抗としての理があり、ネット社会がそれらを可能にし、私は3.11以降、陰謀論と言われるものの意味を問うてきた、核の隠蔽と反原発、陰謀論者とは反核の集団であった、3.11は文化、芸術に於いても、人間に於いて何が意味かを問いつけてきた、私たちではない、私に於いての意味へ、陰謀論は私を世界に対置させる、

スリーマイル、チェルノブイリ、3.11も

未然に映画が作られて、予備イメージを刷り込んでおいて、陰謀は企てられている、チェルノブイリは技術者スパイ集団によって、ソ連崩壊のシナリオの下に行われ、3.11は人工地震実験、及び民主党政権に対するハラスメント、と核武装勢力への警告、又、100兆円の米国債買い入れ、世界の謀略の数々を実行してきた彼らは、マスコミを握っている、世界の富を握っている彼らに出来ないことはなく、何のためにとは、グローバル資本による世界支配と、維持、この構図は太古より変わらず、戦争が歴史、戦争が文化、戦争が産業、戦争が支配であるのだった、人が生きるとは、それらの下の小休止の時なだけ、彼らにとって、戦争こそが文化、戦争こそが全ての源であるのだった、

選挙戦とユダヤ音楽

原発ゼロをめざす、原発はベース電源として必要、憲法9条を守れ、憲法は時代にあったものに、選挙戦たけなわ、保守反動がガンバっている、民主勢力は統一していない、ブログで私はジョゼフ・アクロンを追加、更新、ユダヤ民族2000年の歴史の悲しみが、ヴァイオリンにのせて流れている、世界は、選挙は、人の悲しみをよそに、放射能が飛び散る街に子供を遊ばせ、汚染物を食べさせ、大人は仕事に追われ、地震、津波で再びの原発震災が、そんな地に帰村、復興と、それら喧噪、不安を包むように、ユダヤ音楽は、ユダヤの哀しみ、人類の哀しみのように奏で、






開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

ヨハン・フィッシャー

イメージ 1

ヨハン・フィッシャー

ヨハン・フィッシャー(Johann Fischer, 1646年 - 1716年)は、ドイツの作曲家、ヴァイオリニスト、鍵盤奏者。

生涯

アウクスブルクで都市楽師の息子として生まれ、父とカントルから音楽教育を受けた。1661年からシュトゥットガルトにあるヴュルテンベルク公の宮廷で楽長のザムエル・フリードリヒ・カプリコルヌスに師事した。カプリコルヌスが1665年に死去した後はパリに出て、ルイ14世の宮廷楽長であったジャン=バティスト・リュリの写譜係を務めた。

1673年にシュトゥットガルトの宮廷楽団に戻ったが、1年後にアウクスブルクのバルフューサー教会の音楽家となり、1677年に退職するまで60近い教会音楽を作曲した。1683年にブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯ヨハン・フリードリヒの宮廷にヴァイオリニスト、教師、作曲家として仕え、1686年には宮廷礼拝堂の楽長に昇進した。しかしフランス趣味のヨハン・フリードリヒが同年に死去すると、宮廷はイタリア趣味に染まり、フィッシャーは解雇された。

1690年からイェルガヴァのクールラント公フリードリヒ・カジミール・ケトラーの宮廷礼拝堂に楽長として仕えたが、1697年に楽団が解散され、その後はリガに居住した。

1702年にメクレンブルク=シュヴェリーン公の宮廷礼拝堂の楽長となったが、1704年にはコペンハーゲンの宮廷楽団に職を見つけようとして失敗している。その後シュトラールズント、ストックホルム、シュテッティン、バイロイトに住まいを移し、晩年はブランデンブルク=シュヴェート辺境伯フィリップ・ヴィルヘルムの宮廷楽長となった。

作品

作品は器楽曲のほか、フランス語の歌曲やマドリガーレもある。スタイルはリュリの影響を受けたフランス様式で、独創的なメロディーと変化に富む和声とリズムが特徴である。またヴィオラにスコルダトゥーラが要求されることも多い。ヨハン・マッテゾンはフィッシャーの音楽を高く賞賛し、頻繁に演奏されたと記述している。

外部入力























開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

イメージ 1

フアン・カバニーリェス

フアン・バウティスタ・ホセ・カバニーリェス(Juan Bautista José Cabanilles, 1644年9月6日 バレンシア近郊アルヘメシ(Algemesi) - 1712年4月29日 バレンシア)は、スペインのオルガニスト、作曲家。バレンシア聖マリア大聖堂(en:Saint Mary of Valencia Cathedral)で働いた。多くの人がカバニーリェスをスペイン・バロックの偉大な作曲家と考え、時には「スペインのバッハ」と呼ばれることもある。

生涯

カバニーリェスの経歴は、おそらく地元の教会の聖歌隊の歌手からはじまったものと思われる。後にバレンシアの大聖堂で聖職者になるための勉強を始めたが、勉強の中には音楽のレッスンも含まれていた。1665年5月15日、カバニーリェス20歳の時、バレンシア聖マリア大聖堂のオルガニスト助手に名を連ねた。1年後、前任者の死でカバニーリェスは首席オルガニストになった。1668年9月22日、カバニーリェスは司祭に任命された。首席オルガニストの地位は45年間守り続けたが、1703年からしばしば健康を害し、代わりを探す必要が出てきた。1675年から1677年には、大聖堂聖歌隊の子供たちを教える仕事を引き受けていた。

作品

カバニーリェスの作品の多くは、当時としてはヴィルトゥオーソ的で先進的だった。多くのカバニーリェスの手稿がバルセロナのカタルーニャ図書館(en:Biblioteca de Catalunya)に保管されている。オルガンのための作品(ティエント(en:Tiento)、トッカータ、パッサカリアなど)、最高13部の合唱作品が多数現存している。

外部リンク




























開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

全1019ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 前のページ | 次のページ ]


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事