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    無防備都市 
ロッセリーニ 1945年(イタリア)

祈りとは、拷問、死に際して真にあるものだった。

正義とは何か、

「体は殺せても、霊魂は殺せないぞ、畜生、畜生」、

人は殺し、許す存在。許すしかないのだった。

「主よお許しください。」実在の神父、ドン・パッパガッロ。

戦争を見た少年たちの心こそ、未来への遺産。

1944年6月、イタリア解放、
「フェニィータ」
「フェニィータ」の歓声

ネオリアリズモ
ビィットリオ・デシーカ「自転車泥棒」
ジュゼッペ・デ・サンティス「にがい米」
ピエトロ・ジェルミ「鉄道員」

ロベルト・ロッセリーニ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ロベルト・ロッセリーニ(Roberto Rossellini 1906年5月8日-1977年6月3日)は、イタリアの映画監督。ローマ生まれ。

6つの作家活動期
ロベルト・ロッセリーニは、30年以上に及ぶ監督生活で30本以上の長編映画を撮った。そうした彼の作家活動を辿ってみると、何度かの転換期があったことに気づく。その転換期を1つの節目とすると、ロッセリーニの作家活動は6つの時期に分けることができる。

第1の時期は出世作『白い船』から『十字架の男』までの戦争国策映画の時期。『白い船』では海軍の病院船、『パイロット帰還ス』では空軍パイロット、そして『十字架の男』では陸軍の従軍司祭というように、イタリアの陸・海・空軍の活躍を描いたこの3本はもう一つの「戦争三部作」でもある。戦時下の3作でロッセリーニは監督として早くも注目されるようになった。

第2の時期は『無防備都市』(1945)から『殺人カメラ』(1948)までのネオレアリズモ映画の時期。この時期は、ロッセリーニの作家活動で最も充実した時期でもある。この後の『ストロンボリ、神の土地』、『神の道化師、フランチェスコ』(1950)は、便宜上、バーグマンの時代に分類するが、どちらかというと、ネオレアリズモの時期の延長線上にある作品と言える。

第3の時期は、イングリッド・バーグマンが主役を演じた『ストロンボリ、神の土地』(1950)から『不安』(1954)までのバーグマンの時代。この時期ロッセリーニは、これまでの戦争をテーマとした作品やカトリシズムへの傾倒が明白な作品から一転して離婚の危機、夫婦間の人間関係の断絶といった主題に目を向けている。この時期の作品は、公開当時はイタリアでも全く理解されないばかりか不人気で興行的にも失敗し、ロッセリーニはもはや映画を撮ることができないほど追いつめられた。(だが、例えば『ヨーロッパ1951年』(1952)、『イタリア旅行』(1953)といった作品はロッセリーニの最良の作品として近年では高く評価されている)

バーグマンと組んだ最後の作品『不安』の後4年間の沈黙を余儀なくされ、4年ぶりの公開映画『インディア』(1958)が好意的に迎えられ、ロッセリーニの第4の時期が始まる。これは『インディア』(1958)からオムニバス映画『ロゴパグ』(1962)まで。『ロベレ将軍』(1959)、『ローマで夜だった』(1960)も国際的に高く評価された。この時期はロッセリーニの復活の時期でもある。そして「戦争3部作」にも通じる2本の戦争ものの後、ロッセリーニは、19世紀イタリアのリソルジメント時代を背景としたコスチューム映画『イタリア万歳』(1960)『ヴァニーナ・ヴァニーニ』(1961)で歴史映画に興味を向ける。

ロッセリーニ、ゴタール、パソリーニ、グレゴレッティの頭文字からとった『ロゴパク』というオムニバス映画の後、ロッセリーニは、完全に劇映画の世界から離れる。そして、ロッセリーニ原案・脚本・監督の『鉄の時代』(1964)から『デカルト』(1973)までの10年間、ロッセリーニは専らテレビ放送用の歴史映画に情熱を傾ける。5番目の時期が、このテレビ映画の時期である。従来、この時期のロッセリーニは、映画の第一線から離脱したことで過小評価されてきたようだが『不安』の撮影後、ロッセリーニの助手だったフランソワ・トリュフォーは、10年も前にこの時期の監督ロッセリーニの行動を予見している。

「(ロッセリーニは)いわゆる読書のために書物のページを開くことは決してしないが、いつも資料調べや考証に余念がない。歴史や社会学の本や、科学書などを幾夜も夜を徹して読みふける。知識欲が旺盛で知ることの歓びに生き、もう劇映画を作ることなんかやめて、いよいよ、ますます<教育映画>や<文化映画>に挺身することを熱望しているのである。(トリュフォー『わが人生わが映画』山田宏一・蓮見重彦訳)

とすれば、テレビ用の歴史映画は当然の帰結であり、ロッセリーニの本質に根ざしたものですらあるのだ。

1974年、ロッセリーニは再度、劇映画に復帰する。戦後キリスト教民主党の党首として1945年から1953年までの長期間イタリア首相を務めた政治家アルチーデ・デ・ガスペリについての映画である。ロッセリーニの映画復帰作『元年』は戦後初の内閣を組閣したデ・ガスペリ首相のナチス占領下の1944年から1954年の死までの姿を描く。次いで翌年には聖書を題材としたキリスト教映画『救世主』を撮る。テレビ用の歴史映画から劇映画への10年ぶりの復帰をロッセリーニの新たな時期の始まりとすればこの2本の作品は、6番目の時期の作品とすることができるかも知れない。しかし、この最後の時期はロッセリーニの死によってピリオドが打たれる。

『救世主』のあと、ロッセリーニは『人間性のために生きる』と題されたカール・マルクスの思想と人生についての映画を準備していた。この他にも毛沢東やマルコ・ポーロ、百科全書派についての映画、あるいは『銀の道』と題された企画が、ロッセリーニの脳裏にあった。明らかにこれらはテレビ用歴史映画の延長上の企画であり。ここには、かつてのネオレアリズモの巨匠とは別の道を歩むロッセリーニの姿が見られる。

ヌーヴェル・ヴァーグの父として
ロッセリーニ作品の多くは、公開当時、イタリアでは正当な評価が得られなかった。後にネオレアリズモ映画の金字塔として崇められている『無防備都市』ですら初めはイタリアでは無視され、アメリカやフランスで熱狂的に迎えられてから、ようやくイタリアでも評価されだしたのだ。そうした意味では『無防備都市』や『イタリア旅行』はまさに「カルト映画中のカルト」だと言えよう。

『無防備都市』と『戦火のかなた』はアメリカで大成功を収めた。(『戦火のかなた』はメジャーのメトロ・ゴールドウィン・メイヤーが配給)。だが、次の『ドイツ零年』を伝説的なプロデューサー、サミュエル・ゴールドウィンに見せるが、試写が終わった後、「居心地の悪い沈黙ができた」だけだった。その後、バーグマン初のロッセリーニ映画『ストロンボリ、神の土地』は、当時、ハワード・ヒューズが買収したRKOの資金援助で製作された。だが、1950年2月5日、全米300館で公開された『ストロンボリ、神の土地』は興行的に大失敗となった。こうして、ロッセリーニの後ろでハリウッドの扉は閉ざされた。

「カイエ・デュ・シネマ」の初代編集長アンドレ・バザンの「ロッセリーニの擁護」という文章によると、イタリアの批評家たちは、ネオレアリズモの退化は、すでに『ドイツ零年』に現れ、『ストロンボリ』と『神の道化師、フランチェスコ』から決定的になり、『ヨーロッパ1951年』と『イタリア旅行』で破局に達したと見なしたようだ。しかし、フランスではバザンを始めとするトリュフォーら後にヌーヴェル・ヴァーグの作家となる若い批評家たちは、『ストロンボリ』や『神の道化師、フランチェスコ』『イタリア旅行』といった「呪われた映画」を断固支持した。そして、ロッセリーニは「フランスのヌーヴェル・ヴァーグの父」と呼ばれた。一つの例としてジャン=リュック・ゴダールは『イタリア旅行』を見て、1台の車と、男と女がいれば映画が出来ることということを学び、『勝手にしやがれ』(1960)を撮ったと証言している。また、トリュフォーは、子供の世界を描いた『大人は判ってくれない』は『ドイツ零年』に負うところが大きいと、明言している。

ヌーヴェル・ヴァーグの作家たちのロッセリーニ擁護は、ヌーヴェル・ヴァーグに夢中になった若き日のベルナルド・ベルトルッチの作品にも投影されている。ベルトリッチの初期の自伝的な作品『革命前夜』(1964)で一人の映画狂の青年が登場し、主人公に「君はロッセリーニなしに生きられるか」と問いかけるのだ。そして、この青年は『イタリア旅行』を15回も見たと言う。

イタリアでのロッセリーニの真の後継者は、たぶんエルマンノ オルミとタヴィアーニ兄弟であろう。

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アンギエ、フランソワ ANGUIER,Francois
French sculptor (b 1604, Eu, d 1669, Paris)フランスの彫刻家

アンギエ(1570-1648 )は、大工、木彫師や小規模な起業家が、ノルマンディーです。 ローカル教会のアーカイブドキュメントの彼の仕事上のドア、フレーム、 氏の長男、フランソワアンギエ、彼の葬式の彫刻が有名なだけでなく、装飾的に貢献しスキームの聖職者と世俗の建物です。 彼の若い息子、 ミシェルアンギエ、ローマ働いて返す前にパリで彼となったenjoyedロイヤルと貴族の愛顧を識別教師と講師は、アカデミーロワイヤルにあります。 フランソワとミシェルの両方を導入した新しいローマの影響を受けて、支援を形成する、フランスの古典的なスタイルです。 3番目の弟、ギヨームアンギエ( 1628-1708 ) 、装飾的な画家の成功は、働いて様々なロイヤルレジデンスの1つの彫刻家の娘と結婚ドメニコcucciです。 キャサリンアンギエ、妹のフランソワ、ミシェルとギヨーム、母親は、彫刻家のデビッドbouderelle 、継承してご家族の家とスタジオです。

フランソワ1643年にフランスに返されると、彼は1649年から1652年に従事して、 モンモランシーの墓はムーランです。この墓には、新たに導入さanguiersローマンは、フランスに影響を与える。1640年代後半に記載されていたとして sculpteur ordinaireデュロワとはチュイルリーに住んでいます。 彼の時代へと彼は続けたモンモランシーの趣旨に沿って示されている墓がある。

朝のバロック 8-12

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ディスカバー・ミュージック - バロック期
Discover Music of the Baroque Era
このアルバムのURL: http://ml.naxos.jp/?a=8.558160-61

ヘンデル/パーセル/ヴィヴァルディ/J.S. バッハ/ロカテルリ/マルチェルロ:バロック祝祭(ターフェルムジーク・バロック・オーケストラ)
BAROQUE FEAST (A) (Tafelmusic Baroque Orchestra)
このアルバムのURL: http://ml.naxos.jp/?a=AN29811

クラッシック音楽鑑賞 今日の作曲家ライブ配信 mitosya profile

レビナス考(2)

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レビナス考(2)

愛しあう者たちは、あたかも世界にたったふたりで存在するかのように孤立する。

子とは私と妻の未来という、時間、存在、可能的存在。

無限な時間によって、老いてゆく主体に永遠の生命がもたらされるわけではない、無限な時間とは、諸世代の非連続性をつらぬいて、より善いものへ、進化、生存していくこと

超越----他者に対して存在すること、超実体化の冒険。

欲求、渇望が顔と出会い、多産性という子を通して善きものが贈与され、すべてが完結する。そして又繰り返されるということ。

官能によって、主体それ自体が変容する。

自由と責任の一致が<私>を構成する。自己によって二重化され、自己を詰め込まれた<私>この私が官能によって女性的なものになる。エロスによって自己は解放される。

存在としての存在はモナド(個、単一)である。私という存在を通して存在する。

官能の有する存在論的意味、私は息子である。息子は私である。断絶と依存。

レビィーナスのくり返しと文学的、人間的な発想を、イメージで、感情で捉え直してみること。存在というものと、存在するものということの違い。無機と有機、有機が持つものが時間というもの。あらゆる概念というもの、この有機に現れる時間というものが、存在というものと隔て、未来を型どる。
時間が老いと宿命に勝利する----時間の人間学的解釈、レビィーナスは概念を風俗的、世俗的、人間的に語る。

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カステルヌオーヴォ=テデスコ - マリオ・カステルヌオーヴォ=テデスコ (Mario Castelnuovo-Tedesco)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

マーリオ・カステルヌオーヴォ=テデスコ(Mario Castelnuovo-Tedesco, 1895年4月3日 - 1968年3月16日)はイタリアの作曲家。フィレンツェにおいて、セファルディ系ユダヤ人の銀行家の家庭に生まれる。日本では、名を「マリオ」と表記するのが一般的。

母親にピアノの手ほどきを受け、9歳にして最初のピアノ曲を作曲。1914年にフィレンツェ音楽院のピアノ科を修了すると、作曲科に転じてイルデブランド・ピツェッティに師事し、1918年に卒業資格を得る。間もなく、フランス帰りの作曲家でピアニストのアルフレード・カゼッラにより注目され、作品を演奏会でとり上げられるようになる。カゼッラは、テデスコの作品が国民音楽協会(イタリア現代音楽協会の前身)の演奏会でも取り上げられるべきだと考え、前途有望な新進作曲家のひとりとしてヨーロッパ中に売り出すことを図った。カステルヌオーヴォ=テデスコの作品は、1922年度国際現代音楽協会ザルツブルク大会に取り上げられた。

1926年に、マキャヴェリ原作の自作のオペラ《マンドラゴラLa Mandragola 》を初演。これは偉大な文芸作品に着想を得た最初の作品であり、このほかに、アイスキュロスやウェルギリウス、ウィリアム・シェークスピア、ウィリアム・ワーズワース、ウォルト・ホイットマン、ジョン・キーツの作品を原作として作曲を行なった。民族的な素材による作品として、旧約聖書やユダヤ教の典礼に基づく《ヴァイオリン協奏曲 第2番「預言者たち」》がある。これはヤッシャ・ハイフェッツの依嘱作品で、反ユダヤ主義がヨーロッパ中にはびこる中で、ユダヤ系の血統への自負や、作曲者自身の言を借りると「昔日の輝き」を表現したものである。

1932年度国際現代音楽協会ヴェネツィア大会で、スペインのギタリスト、アンドレス・セゴビアと初めて出逢う。この出会いに触発されて《ギター協奏曲 第1番》を作曲、100曲余りあるギター曲の第1作となった。これによってカステルヌオーヴォ=テデスコは、20世紀におけるギター音楽作曲の大家との名声を得る。ほかに主要なギター作品として、《世紀を越える変奏曲》、ギター・ソナタ《ボッケリーニを称えて》、ギターと朗読者のためのメロドラマ《プラテーロとわたし》(日本語版は岸田今日子や江守徹によって上演されている)など。

その翌年に、イタリアのファシスト政権が文化綱領を明らかにするが、それは芸術をプロパガンダの道具と見て、人種主義を広めようとするものだった。ムッソリーニが1938年に公的に人種政策を採用する前から、すでにカステルヌオーヴォ=テデスコは、放送局や演奏会場から締め出しを食っていた。しかしながら、彼にイタリア脱出を決意させたのは、人種法だったのである。スカラ座の前音楽監督のアルトゥーロ・トスカニーニに手紙を書いて窮地を訴えると、トスカニーニは、渡米するなら支援するとの約束を返してきた。1939年、第二次世界大戦開始の直前に、カステルヌオーヴォ=テデスコはイタリアを離れた。

ファシズムから避難した多くの人たちのように、カステルヌオーヴォ=テデスコもハリウッドに行き着いた。ハリウッドではハイフェッツの援助のもとに、メトロ・ゴールドウィン・メイヤーと契約して映画音楽の作曲家となった。それから15年の間に、MGM以外のものも含めて、約200点の映画に楽曲を提供した。ヘンリー・マンシーニ、ジェリー・ゴールドスミス、ジョン・ウィリアムズやアンドレ・プレヴィンらの、年下の映画音楽作曲家に対する影響は大きい。自作に対する映画音楽からの影響を否定したが、オペラがヨーロッパの芸術形態であるように、映画は本質的にアメリカ的な芸術形態なのだと割り切っていた。だがアメリカ合衆国でも、アメリカ文学やユダヤ教、旧約聖書に基づき、新しいオペラの作曲を続けた。

ハイフェッツが引退コンサートで最後に演奏したアンコール曲目は、カステルヌオーヴォ=テデスコの《海のさざめき》であった。

映画音楽
カステルヌオーヴォ=テデスコのスコアとしてよく知られているのはルネ・クレールの『そして誰もいなくなった』And Then There Were None (1945)、チャールズ・ヴィダーの『カルメン』The Loves of Carmen (1948) などであるが、クレジットされている作品以外にも多数の映画音楽を作曲している(たとえば『名犬ラッシー 家路』Lassie Come Home (1943) )。名前がクレジットされていない作品の多くは、時間的制約ほかさまざまな理由で他の作曲家に手を貸したり、低予算の映画に既存の楽曲を提供したりした物である。

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カステルヌオーヴォ=テデスコ:ギター協奏曲第1番/プラテーロと私/ロンド Op. 129 /組曲 Op. 133 /五重奏曲 Op. 143 (フィスク/上海四重奏団/チェコ・フィルハーモニー室内管/カップ)
CASTELNUOVO-TEDESCO, M.: Guitar Concerto No. 1 / Platero y yo / Rondo, Op. 129 / Suite, Op. 133 / Guitar Quintet, Op. 143 (Fisk)
このページのURL http://ml.naxos.jp/album/NI2536

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カステルヌォーヴォ=テデスコ:2本ギターのための作品集 1 (ブラジル・ギター・デュオ)
CASTELNUOVO-TEDESCO, M.: Music for Two Guitars, Vol. 1 (Brasil Guitar Duo) - Sonatina canonica / Les guitares bien temperees: Nos. 1-12
このページのURL http://ml.naxos.jp/album/8.570778

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カステルヌオーヴォ=テデスコ:ギター作品集
CASTELNUOVO-TEDESCO: Guitar Chamber Music
このページのURL http://ml.naxos.jp/album/PRCD9124

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カステルヌオーヴォ=テデスコ:ゴヤによる24の狂詩曲(ゾーラン・ドゥキッチ)
CASTELNUOVO-TEDESCO, M.: 24 Caprichos de Goya (Dukic)
このページのURL http://ml.naxos.jp/album/8.572252-53

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カステルヌオーヴォ=テデスコ:ギター作品集(フラーヴィオ・クッキ)
CASTELNUOVO-TEDESCO, M.: Guitar Music (Cucchi)
このページのURL http://ml.naxos.jp/album/EUCD1365

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カステルヌオーヴォ=テデスコ:チェロとハープのためのソナタ/フルートとギターのためのソナティナ/ピエヂグロッタ
CASTELNUOVO-TEDESCO: Sonata for Cello and Harp / Sonatina for Flute and Guitar / Piedigrotta / La Sirenetta e il pesce turchino / Alghe / Alt Wien
このページのURL http://ml.naxos.jp/album/LAN0012

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カステルヌオーヴォ=テデスコ:チェロとピアノのための作品全集
CASTELNUOVO-TEDESCO: Cello and Piano Works (Complete)
このページのURL http://ml.naxos.jp/album/S2013

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カステルヌオーヴォ=テデスコ:ピアノ三重奏曲第1番/ピアノ四重奏曲第1番(ゲレンベ/ギアハート/マンカー)
CASTELNUOVO-TEDESCO: Piano Trio No. 1 / Piano Quintet No. 1
このページのURL http://ml.naxos.jp/album/TROY191

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カステルヌオーヴォ=テデスコ:2本のギターのための作品集 2 - エレジー風フーガ/平均律ギター曲集第13番 - 第24番(ブラジル・ギター・デュオ)
CASTELNUOVO-TEDESCO, M.: Music for Two Guitars, Vol. 2 (Brasil Guitar Duo) - Fuga elegiaca / Les guitares bien temperees: Nos. 13-24
このページのURL http://ml.naxos.jp/album/8.570779

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カステルヌオーヴォ=テデスコ:合唱作品集
CASTELNUOVO-TEDESCO: Naomi and Ruth / Sacred Service for the Sabbath Eve
このページのURL http://ml.naxos.jp/album/8.559404

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カステルヌオーヴォ=テデスコ:シェークスピア歌曲集
CASTELNUOVO-TEDESCO: Shakespeare Songs
このページのURL http://ml.naxos.jp/album/8.223729
http://www.tokyovalley.com/yahoo_blog/article/article.php
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