ソウル退屈日記

(臨時営業中)旧ロンドン退屈日記、前横濱退屈日記

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 8月22日(水)
 以前このブログで採り上げたこともあるが(https://blogs.yahoo.co.jp/mitsounob/10088037.html)、ロンドンのシティ地区にあるBunhill Fieldsという墓地に、詩人で画家のウィリアム・ブレイク夫妻の墓碑がある。そこにも書いたが、ブレイク夫妻はもともとこの墓碑とは別の場所に埋葬されていたものの、後に墓地の一部が芝生として造成されたことからその正確な場所が分からなくなってしまっていた(http://www.blakesociety.org/blakes-grave/)。
 しかしLuis and Carol Garridoという愛好家が、彼らの本来の埋葬場所を調査し続けて位置の特定に成功し、さらにブレイクの愛好家らが作る団体「ブレイク・ソサエティ」(http://www.blakesociety.org/)がクラウド・ファンディングで新墓碑建立のための資金を調達し、今夏になってブレイクの命日である8月12日に同墓地でめでたく新墓碑の除幕式が開かれた(https://www.theguardian.com/culture/2018/aug/11/how-amateur-sleuths-finally-tracked-down-burial-place-william-blake。 新しい墓碑は上の写真1枚目)。

 もっとも私がこのことを知ったのは、定期的に読んでいる英国ニュースダイジェスト(以下「END」)ウェブ版のおかげで(http://www.news-digest.co.uk/blog-uk/2018-08-12-william-blake-gravestone/)、同紙には除幕式当日の写真や新旧墓碑の写真などが掲載されている。この記事で紹介されている除幕式のプログラムには、上記ブログでも言及した、大江健三郎の「新しき人よ眼ざめよ」の表紙にも使われている「Glad Day or The Dance of Albion」という絵が印刷されており(上の写真2枚目)、この小説と絵をきっかけにして本格的にウィリアム・ブレイクという人を知ることになった私としては、思わず嬉しくなったものである。

 ウィリアム・ブレイクは、1757年11月28日にロンドン中心部ソーホー地区のBroad Street(現Broadwick Street)で生を受け、現在ではその場所にWilliam Blake Houseというマンションが建てられ、その入口にはブレイクの生誕地であることが大きく記されている(住所上はMarshall Street。写真3枚目。https://www.buildington.co.uk/london-w1/8-marshall-street/william-blake-house/id/4193)。
 妻Catherine(旧姓Boucher)と結婚の後、ブレイクはウェスト・サセックスにあるフェルファム(Felpham)に居を構え、叙事詩「ミルトン」(上記ENDの記事で触れられている「エルサレム(Jerusalem)」という歌にはこの一部が用いられている)などを書いたが、後にロンドンに戻って、テムズ川沿いにあるストランド地区で1827年8月12日に亡くなった((https://www.telegraph.co.uk/books/authors/william-blakes-house-saved/)。享年満69歳だった。

 このBunhill Fieldsという墓地には、「天路歴程」のジョン・バニヤンの墓石や「ロビンソン・クルーソー」のダニエル・デフォーの記念碑などもあり(上記ブログ参照)、一般の観光客はまず行くことがないだろう地味な場所ではあるものの、ウィリアム・ブレイクやこれらの偉人たちの「終の住処」を訪ねることができる(上記ENDの記事ではデフォーのことしか触れられていないが)。
 また、除幕式当日の様子は以下の動画などで参照できる。
 https://www.youtube.com/watch?v=sVcwbm-zXTE

 新墓碑完成という今回のニュースは、ウィリアム・ブレイクという人が今も英国で如何に愛されているかを示すエピソードのひとつだと言えるが、私もブレイクの新しい墓碑を見るため、そしてかつて働いていたオフィスのあったFinsbury Circusからも程近いこの地域での懐かしい日々を追懐するため、いつかまたロンドンを訪れたいという思いを新たにしているところである。

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 この間に見た映画・ドラマは、

・NHK広島開局90年ドラマ「夕凪の街 桜の国2018」
 原作はこうの史代による漫画「夕凪の街 桜の国」。
 2007年公開の映画版もそうだったが(今回ざっと見返してみた)、今作でもまた主人公たちが「メッセージ」めいた台詞を語り過ぎだという印象が強いものの、人物の設定などに変更を加えている映画版よりは原作の世界をそれなりに忠実に描き出していると言える。特に主演の川栄李奈という人の古風な顔立ちが原作の舞台となっている時代にうまく適合していて印象的だった。
 ついでに久々に原作を読み返してもみたのだが、これは余計な説明を一切はぶいた「省略」の手法による「行間を味わうべき」作品であり、一読しただけでは人物関係などが分かりづらかったりはするものの、表立って「語られる」ことのない余白の重みが読後じわじわと迫ってくる点が素晴らしい。原爆や核兵器廃絶云々といった問題は差し置いても、現在テレビでドラマ版が放映中である「この世界の片隅に」とともに、漫画による文学的表現のひとつの頂点を示す作品だと言っていいだろう。

・ドラマ「断線」(もともとのタイトルは「松本清張の断線」)崔洋一監督 日本版DVDで視聴
 原作未読。松田優作主演作品(他に木村理恵、風吹ジュン、辺見マリ、加藤武等)。
 内容・演出ともに特に傑出した点のない平均的な出来だが、松田優作主演の単発ドラマのひとつとして一度見ておいても損はない作品である。今ではすっかりメジャーになった演出の崔洋一、音楽の梅林茂の本作における仕事は、正直可も不可もない出来だと言うしかない。

・「愛のそよ風(1973年)原題:Breezy」(クリント・イーストウッド監督) 3.0点(IMDb 7.0) 日本版DVDで視聴
 あのクリント・イーストウッドの監督第3作目は意外にもバリバリの恋愛映画で、50代と思しき中年男と20歳の若い娘との純愛(ただしプラトニックではない)物語である。今作においてイーストウッドの演出は監督第1作の「恐怖のメロディ」より飛躍的に熟練していると言っていい。
 自分の子供よりも年下の、20歳そこそこの若く綺麗な娘、しかもその性質たるや純真そのものと言っていい相手から愛されることは、中年期を過ぎた男たちにとってひとつの大きな「夢」とでも呼べるようなものだろうか?(すっかり老いぼれて体力も気力も衰えてしまった私などは、たとえそんな可能性が百万にひとつあったとしても、何よりも面倒くさいと思ってしまうしかないのだが……)
 そんな中年男の妄想をそのまま映画化してみせたのがまさに本作で、ウィリアム・ホールデン演ずる初老の男がケイ・レンツ演ずる宿無しの若いヒッピー娘と偶然出会って何度か家に泊めて食事を与えてやり、やがて好意を持たれてベッドを共にするが、周囲の目を意識して、一度はわざとつれない態度を示して彼女を退けるものの、最終的には彼女の純粋さにほだされて真剣に愛するようになるといった中年男の「妄想」一直線の内容である。
 性に奔放でありながら決して他人を疑うことなく、誰をも好意的に受け入れる(ある意味で身勝手な男たちにとってこれ以上都合の良い存在はない)ヒッピー娘「Breezy」に少しも違和感を覚えずに見られるのは、ケイ・レンツという女優の持つ天性の天衣無縫さに多くを負っていると言っていいが、もはや「気力も体力もない」私としては、彼女以上に「Love-A-Lot」という奇妙な名を持つ犬の方にすっかり「悩殺」されてしまった。実際、冒頭から結末まで、今作の鍵を握っているのはこの犬であると言っても良く、そうした細かい仕掛けも楽しめる作品となっている。
 また脇役ではあるものの、より現実の中年男像に近いだろう、妄想たっぷりではあるものの、すっかりくたびれた役柄を演じているロジャー・C・カーメルという男優がなかなか良い味を出している。

・「ブロンコ・ビリー(1980年)」(クリント・イーストウッド監督) 3.0点(IMDb 6.1) 日本版DVDで視聴
 自分が西部劇やウェスタンといったジャンルが心底苦手であることを再認識させてくれる作品で、名作・佳作揃いのイーストウッド監督作の中で極めて平凡な出来だとしか思えなかった。
 最後に登場する星条旗で作られたテントなど、愛国的アメリカ人が見れば思わず懐かしさや感動を覚えるかも知れないものにも私はかえってさめてしまうだけで、脚本もプロットも雑そのもので、無理やり感動ものに仕立てようとしている結末もただただ白々しく思えるだけである。とうに時代遅れとなった列車強盗を無謀にも決行してあっさり失敗する場面なども、笑いを狙っていることは分かるのだが、余りに分かり易すぎてかえって笑うに笑えず痛々しさを覚えてしまう程である。

・「毎日が夏休み(1994年)」(金子修介監督) 2.5点(IMDb 8.1) 日本版DVDで視聴
 世評が高く、夏に見るには最適な作品だろうと楽しみにしていたのだが、実際には惹かれるところのほとんどない、(原作の通り)漫画そのもののような軽く深みのない作品でしかなかった。題名とは裏腹に少しも「夏休み」の匂いが感じられず、主人公が過去を回想する台詞の中で無理やり夏と結びつけられているに過ぎない(映像ではなく台詞の朗読で映画が締めくくられるという点も大いに不満である)。日本映画にありがちな「ウェットさ」を嫌ってのことだろうが、俳優たちの感情表現を排した棒読みの台詞まわしにも必然性が感じられず、拙劣さや不自然さを覚えるだけである。

・「007/ドクター・ノオ(1962年)」(テレンス・ヤング監督) 3.0点(IMDb 7.3) 日本版DVDで再見
 映画「007シリーズ」の記念すべき第1作だが、「向かう所敵なし」といった後のジェイムズ・ボンド像がまだしっかり確立されておらず中途半端な上、全編にわたって矛盾点やツッコミどころ満載の作品ではあるのだが(特に放射能に関する実にいい加減な描写は、「311」などを経験した今の目で見直すと余りに雑すぎて説得力を欠き、腹立たしさすら覚える)、良くも悪くも人間味に満ちた存在として描かれているボンドには嫌味がなく、なによりもまだ第1作ということで、そうした瑕疵や物足りなさも「ご愛嬌」だと受け流してあげたくなる。
 ショーン・コネリーは実に若く(実際まだ30代前半である)、後の「007は二度死ぬ」における日本人メークを彷彿とさせる「なんちゃって東洋人」メイクなど思わず笑ってしまう設定もあるものの、ウルスラ・アンドレス演ずる初代ボンド・ガールはその名に恥じない官能的な魅力を十全に発散している(絵に描いたような彼女のような「美女」が、立ち入りすら禁止されている人気のない小島で、唐突にジェイムズ・ボンドの前にこれ見よがしに登場する点なども、余りに非現実的すぎて笑える要素である)。
 真面目なスパイ映画やサスペンスものだと思わずに、英国的なユーモアに満ちたコメディ作品だと思えば、さほど不満を覚えず軽い気持ちで鑑賞出来るだろう。

・「じゃりン子チエ(1981年)」(高畑勲監督) 1.5点(IMDb 7.2) 日本版DVDで視聴
 文春オンラインでプロデューサーの鈴木敏夫が高畑勲について語っている記事を目にし、未見作品である今作を見てみる気になった(http://bunshun.jp/articles/-/8406
 http://bunshun.jp/articles/-/8407
 http://bunshun.jp/articles/-/8408)。
 死者を貶めるつもりはさらさらないのだが、高畑勲という人は様々な武勇伝(特に予算や日程を大幅に超過し、しかも自分がとことん納得するまでは作業を進めなかったり、特定の人間に仕事を集中させて駄目にしてしまうなど)が伝わっている割には、その監督作にはこれといった実績がなく、せいぜい「火垂るの墓」くらいがなんとか「見られる」ものだと言っていいだろう。
 つまるところ、宮崎駿の圧倒的な存在感に比べれば、この人の作ったアニメーション世界は限りなく狭く未熟で(そもそも採り上げる内容やテーマ自体、大したものでないことが事前に分かってしまうようなものばかりである)、極言するならば、上記のような武勇伝がなければ早晩忘却されてしまうような人物だと言っていいだろう。
 今作もアニメーション作品として見るべきものは皆無と言って良く、何よりも致命的なまでに内容に統一性がなく、ストーリーもつまらない。後のテレビアニメ版は時間的にも内容的にもより凝縮されていてまだ「見られた」記憶があるのだが、今作にはこれと言った盛り上がりもなく、冗長で退屈な代物に堕している。

 どうでも良いことだが、本作の仏語版タイトルは「Kié la petite peste」(厄介な小娘キエ)で、主人公の名前が「チエ」から「キエ」に変更されているのだが、これは「Chié」(仏語発音では「シエ」)が「クソッタレ」程度の意味となって商業的でないと見なされ変更されたためだそうである(仏語版Wikipediaには「La transcription du titre japonais en français aurait donné «Chié, la petite peste», ce qui n'était pas commercial, et le nom de l'héroïne a été transformé en «Kié».」という記述がある)。

・「白と黒(1963年)」(堀川弘通監督) 4.0点(IMDb 7.2) アマゾンPrime Videoで視聴
 かねがね見たいと思ってきた、隠れた傑作との誉れ高い知る人ぞ知る作品なのだが、実際、先ごろ亡くなった橋本忍(https://blogs.yahoo.co.jp/mitsounob/37434184.html)のオリジナル脚本としては最高傑作と言っても決して過言ではない傑作に仕上がっている。堀川弘通と小林桂樹とのコンビは松本清張原作の映画化作品のなかでも上位を争う名作「黒い画集 あるサラリーマンの証言」以来の作品であるが、日本映画史に残る名作の1本である前作の出来をも十分上回る逸品だと言える。
 いわゆる倒叙形式の作品で、冒頭でまず作品の核心となる殺人事件の様子が描かれるのだが、あっさりと容疑者がすぐに捕まり、大きな問題もないまま裁判が進んでいく。しかしある人物の発言をきっかけとして疑問に駆られた検察官が、改めて事件を調べていくうちに新たな犯人像が浮かび上がって来、最終的にその人物を「自白」に導いていくのだが、ここまでの展開だけでも十分に面白くサスペンスフルなのだが、今作はさらに一捻りきかせたどんでん返しを用意しており、公開当時においてはさぞ斬新な構造だっただろうと思われるが、凝りに凝った構造を持つ映画作品を見慣れたはずの現在の我々が見ても、依然として新鮮で魅力的である。
 武満徹の音楽は今作ではかなり抑え気味だが、いつもながらに神秘的な曲調は今作の雰囲気によく合致しており、また武満自身の選曲なのだろうが、随所に挿入されるシャンソンやジャズの使用も実に効果的である。

・「甘い罠(2000年)原題:Merci pour le chocolat」(クロード・シャブロル監督) 2.5点(IMDb 6.7) 日本版DVDで視聴
 全編に漂う謎めいた雰囲気に加え、リストの「葬送曲」を始めとするけだるいクラシック音楽を随所で用いているなど、その外観だけからすれば決して悪くなさそうではあるのだが、実際には単に思わせぶりなだけで、まともなミステリー作品とも呼び難い、単純なプロットによる退屈極まる作品でしかない。
 愛想が良い反面、その内実が少しも読めない主人公を演ずるイザベル・ユペールの演技はいつもながらに一見に値するのだが、同じく主演格であるはずのアナ・ムグラリスがそれとは対照的な大根ぶりで、作品に集中しようとする気持ちを大いに阻害してくれ、さらにジャック・デュトロンともども、実際に弾いているように全く見えないわざとらしいピアノ演奏の場面にもすっかり脱力させられる。良くも悪くもフランス映画的な雰囲気重視の作品だと言っていい。


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