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俺は今、ちょっと興奮ぎみです。
なぜかって?
藤堂平助の写真が・・もしかして あるかもって思っています。
昨日までは 100% 平助の写真なんて無いと思っていました。
今日は0、00の何%位で 有るかもしれないと
0に近いかもしれないけど 可能性としては 有るんです。
まずは 藤堂平助のオヤジさん 三重の津藩の殿様、藤堂高猷(タカユキ)さん
この人はやっぱり 変っている人、いや殿様だった。
江戸時代の幕末 写真の祖と言われている上野 彦馬
この上野 彦馬は俺でも知っている。長崎藩の人で、写真の技術を学んで
長崎で写真店を開いた最初の人、日本で最初のプロカメラマン
坂本龍馬の写真や幕末のたくさんの人達を撮ったカメラマンです。
その上野 彦馬と同じ長崎で蘭学を学んでいたのが
三重津藩の堀江鍬次郎
そう藤堂平助のパパのタカユキさんの家来
この2人で苦労して当時の写真技術を学びながら 試行錯誤しながら
時代の中にいたんでしょうね。
今みたいにデジタルカメラとは とんでもない物と違いますからね。
江戸幕末の写真なんて 撮られると 魂が抜かれて 死んでしまう(^^)なんて話もあるくらいです。
その堀江鍬次郎と上野彦馬の事が長崎藩に残っていました。
堀江鍬次郎が江戸屋敷の藤堂高猷から新機械を持って出府せよ、という命令を受けたのは、
文久元(1861)年の早春であった。
写真では彦馬ほど自信のない鍬次郎は彦馬と一緒に江戸へ行くことになる。
初めて見る舶来の不思議な機械に高猷は目を輝かせた。
東中奥の縁側の一部が撮影所となり、高猷が進んでモデルになった。
江戸滞在中の彦馬は、藤堂家の来訪客を写すばかりでなく、人にも教えるほど次第に自信を持ってきた。
慌しい江戸の生活を送っているうちに、藤堂高猷の江戸在勤の期日が満ちて帰国することになった。
藩主に従って帰国する鍬次郎から彦馬に津で藩校有造館の教師をしてもらいたいという殿様の
意向が伝えれ、文久元(1861)年9月13日に江戸を発つことになる。
津に入ってからは有造館洋学所の講壇に立ち蘭学を教えていたが、
適当な化学の教科書がないことに気づき、鍬次郎の協力を得て「舎密(せいみ)局必携」を上梓した。
文久2(1862)年正月刊である。四ヶ月というスピードで書き上げたこの本は、
写真家にとっては貴重な手引書になり、
津だけでなく江戸や京都や大阪などの本屋が競って発行を引き受けた。
彦馬わずか25歳の時である。藤堂33万余石の大藩力の援助の賜物であろう。
ななななんんという 俺に衝撃をあたえる文章だ事。
江戸に写真家 堀江鍬次郎と上野彦馬が藤堂屋敷にやって来たのが
1861年
藤堂平助 17歳の年!!
有るでしょう(^^)
平助のパパ タカユキ殿様は 率先してモデルに成っているんですよ(^^)
こっそり 駒込の屋敷で 研究をしている カメラマン2人に
「俺も撮ってくれよ。そのカメラで カッコ良く 写してくれよ〜」
そう言って 近づいていく 平助の姿が俺の脳離で描けます。
まさか 藤堂平助のパパ 藤堂殿様が 写真好きとは ・・知らなかったです。
もっともっと 俺も勉強しないとな、知らない事ばかり
この事で 今までまったく 0だった 平助の写真が
もしかして あっても おかしくないよね、可能性は 0に近いけど・・
なんか 楽しみです。
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とても 良い
ブログを、拝見しました!
ありがとうございました
2008/7/7(月) 午前 9:49 [ パペポ ]
もし藤堂平助の写真が出てきたら、どこに発表されるのかしら。
是非どこかにあって欲しい写真です。
2008/7/19(土) 午後 4:16 [ afuro_tomato ]
afuro_tomato さん>いろいろと調べていくと 面白い事がいっぱいありましたよ。
平助の写真・・きっと有ります。
見つからないだけですよ。
俺が探して見たいです。
2008/7/22(火) 午後 1:35 [ mitsu ]