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今まで 俺は藤堂平助を追いかけて
東京・江戸を探しまわっていたけど
11月18日の命日 お墓参りに 4年ぶりに京都をおとづれました。
それは 藤堂平助が新撰組の隊士として
壬生の屯所に寝泊まりしていた頃
壬生屯所から 藤堂平助の生まれ育った 藤堂藩の藩邸が すぐ近くにあったのを見つけたから
江戸時代初期には 藤堂藩鄭は二条城近くにあった。
もちろん、藤堂高虎さんが 二条城の縄張りをしていた。
しかし、火事にあい 屋敷が全焼してしまった。
その後には、1615年の大阪冬夏の陣で 古田織部が自刀して亡くなり
その屋敷を 藤堂藩がもらいうけたそうです。
場所は地図の右側の 現在堀川高校の辺りです。
左下は 新撰組壬生の屯所です。
近いでしょ(^◇^) 近いよね
江戸では、駒込染井の藤堂屋敷で少年時代を過ごし
北辰一刀流玄武館に通う頃には 神田の藤堂藩上屋敷にも出入りして
藤堂藩の重臣達とも 知り合う事になった。
時代の並は 京都に
もちろん 藤堂藩は 忍者 伊賀上野城の藩
京都での暗躍や情報収集を行っていただろう。
そう 思うと 藤堂平助も
京都 藤堂藩邸に・・・・ありえるかもね
そこで せっかく京都に来たので 歩いてみました。
京都 壬生の八木さんち
新撰組屯所
ここから てくてくと 四条大宮へ向けて歩きます。
四条大宮駅 手前の線路を渡って
四条通りへ
そのまま 真っ直ぐ歩いて
堀川通りへ出て 左に曲がる
少し歩くと
堀川高校
この一帯が
江戸時代を通して 藤堂藩の藩邸だったそうです。
幕末で活躍した 薩摩藩や土佐藩 長州藩などは
もっと東の加茂川方面だが
徳川幕府の 特別藩の藤堂藩は 二条城に近い この場所だった。
着きました(^◇^)
壬生の屯所から
15分
ゆっくり 歩いてこの時間
藤堂平助も 歩いたのかな
そして 藤堂新七郎さん達に会って
幕末の尊王攘夷を・・・話したのか |
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