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イメージ 1
 
23日の イベント後に目黒から東京駅に

午後5時半位かな 東京駅前は めちゃくちゃの人混み
 
新しく出来た東京駅のライトアップに映像を映すやつが 6時から

見ようかなって思ったけど, あまりの人の多さに

いいやって〜あきらめた。

元々は この日からライトアップの皇居

二重橋と富士見櫓を見たかったので

早々と 皇居へ
 
イメージ 2
 

 
江戸城 富士見櫓

冬の夜に ライトアップされた

三重櫓は 素敵でした。
 
イメージ 3
 
江戸城 皇居

二重橋 奥に見えるのは伏見櫓

この写真を撮りたくて 

東京駅に降りて

てくてく歩いて来ました。

幻想的で とても素敵でした。

翌朝ニュースで 東京駅前に人が集まり過ぎて

東京駅のイベントが 中止になったのをしった(^◇^)

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今まで 俺は藤堂平助を追いかけて
 
東京・江戸を探しまわっていたけど
 
11月18日の命日 お墓参りに 4年ぶりに京都をおとづれました。
 
それは 藤堂平助が新撰組の隊士として
 
壬生の屯所に寝泊まりしていた頃
 
壬生屯所から 藤堂平助の生まれ育った 藤堂藩の藩邸が すぐ近くにあったのを見つけたから
 
イメージ 1
 
江戸時代初期には 藤堂藩鄭は二条城近くにあった。
もちろん、藤堂高虎さんが 二条城の縄張りをしていた。
しかし、火事にあい 屋敷が全焼してしまった。
 
その後には、1615年の大阪冬夏の陣で 古田織部が自刀して亡くなり
その屋敷を 藤堂藩がもらいうけたそうです。
 
場所は地図の右側の 現在堀川高校の辺りです。
 
左下は 新撰組壬生の屯所です。
 
近いでしょ(^◇^) 近いよね
 
江戸では、駒込染井の藤堂屋敷で少年時代を過ごし
 
北辰一刀流玄武館に通う頃には 神田の藤堂藩上屋敷にも出入りして
 
藤堂藩の重臣達とも 知り合う事になった。
 
時代の並は 京都に
 
もちろん 藤堂藩は 忍者 伊賀上野城の藩
 
京都での暗躍や情報収集を行っていただろう。
 
そう 思うと 藤堂平助も
 
京都 藤堂藩邸に・・・・ありえるかもね
 
そこで せっかく京都に来たので 歩いてみました。
 
イメージ 2
イメージ 3
 
京都 壬生の八木さんち
新撰組屯所
 
ここから てくてくと 四条大宮へ向けて歩きます。
 
イメージ 4
イメージ 5
 
四条大宮駅 手前の線路を渡って
 
四条通りへ
 
そのまま 真っ直ぐ歩いて
 
堀川通りへ出て 左に曲がる
 
少し歩くと
 
イメージ 6
 
堀川高校
この一帯が
 
江戸時代を通して 藤堂藩の藩邸だったそうです。
 
幕末で活躍した 薩摩藩や土佐藩 長州藩などは
 
もっと東の加茂川方面だが
 
徳川幕府の 特別藩の藤堂藩は 二条城に近い この場所だった。
 
イメージ 7
 
 
イメージ 8
 
着きました(^◇^)
 
壬生の屯所から
 
15分
 
ゆっくり 歩いてこの時間
 
藤堂平助も 歩いたのかな
 
そして 藤堂新七郎さん達に会って
 
幕末の尊王攘夷を・・・話したのか

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イメージ 1
 
京都 七条 油小路
 
1867年 11月18日
 
ここで 伊東甲子太郎が斬られたとの報が
高台寺月真院の御陵衛士のもとへ
 
「御陵衛士の隊長が、何者かに暗殺されているので、至急遺体を引き取りにお越しください」
町役人が駆け込んできた。
 
この夜、月真院にいたのは、服部武雄、藤堂平助、毛内監物、三木、篠原、加納、富山の7人。
 
「新撰組が待ち伏せしているかもしれない」
「一戦は、まのがれないが」
 
一同が伊東の遺体を運ぶかごを呼び 油小路に駆けつける
 
そこには 新撰組が47人が
 
この写真の あっちこっちに 隠れて・・・待ち伏せしていた。
 
当日の夜は、満月では無いけれど 月明かりで 服装や人の動きが分かる位の
 
明るさだったそうです。 
 
藤堂平助のなきがらの実見記録が鳥取藩に残っている
 
七条油小路南西手に倒居候ものは、南部与七郎
弐拾八九才位
斬り傷両足 横腹二か所
面上鼻より口へ掛け 二寸ほど、長さ七寸ほど 
刀を握り候で亡くなっている
 
それから 今年2012年で145年目でした。
藤堂平助は ここに駆けつけて 一番に伊東甲子太郎にかけより
 
「先生! 先生!」と 血だらけの伊東を抱きしめて
大粒の涙をながしたんだろう
 
そして 伊東のなきがらを かごの前まで抱きながら運び
かごの蓋を開け 中に押し込んだ所を
 
新撰組の隊士に いきなり背中がら切りつけられた
 
「うっ・・ぐっ」っと 平助が 痛みを抑えて
 
振り向いた。
 
上段からの きらりと月明かりが刀に光り 
 
面の深く 斬られた・・・
 
ほぼ・・即死に近かった。
 
しかし、鳥取藩の実見にもあるように
 
平助は みずからの刀を抜いて
 
強く握っていた。
 
それから 145年目の・・今日
 
ここで手を合わす 俺は
 
ちょっと 泣いてしまいました。
 
この日 11月18日 午後6時
京都七条油小路で ロウソクと線香を灯しました。
 
キャンドルナイトで 供養しました。
 
京都やどこでも、歴史的な事件などがあった場所には
記念碑や案内の看板などがあるのですけど
 
ここ七条油小路には・・・なにもない
 
だからね(^◇^)
 
2017年の 七条油小路 150回忌には
何かしたいな・・・
 
 
 
 
 

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4年ぶりに 藤堂平助の墓参りをして
 
ずいぶん変わったなと思った。
 
御陵衛士の墓の回りを柵で囲い
 
入り口の柵には 南京錠とワイヤーロープ
 
いろいろあったんだろうね
 
それに中に入るのに 500円払うと言う
 
藤堂平助や伊東甲子太郎達は
 
幕末 亡くなった孝明天皇の御陵を守るために
 
作られた。
 
今・・その墳墓を守るために
 
御陵衛士の墓を守る 御陵衛士が必要なのかな
 
なんて・・・ふと思った(^◇^)

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藤堂平助 命日・・

藤堂平助のお墓参りに
 
京都の戒光寺に
 
お花をいっぱい持って行って来ました。

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