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「穏やかな昼時」
3時間目が終了したあとの短い休み時間、騒がしい教室の中で僕は今日のこれからのことを考えていた。
外はのんびりと雲が流れている。日曜日や祝祭日をのぞき、こんな日に小学生が学校以外にいることはない。
僕は、お腹に手をあてて、顔をゆがめていた。
「どしたん?具合悪いね」
隣の女の子が声をかけてきた。
「・・・うん、ちょっとお腹が痛いんよ」
「保健室にいく?」
僕は、「うん」とはいわなかった。そして男の子だからという気持ちで
「・・・ううん、我慢する・・。」
声をかけてくれた子がまわりにも話はじめた頃、授業再開のチャイムが鳴り始めた。
僕は昔からお腹の調子が悪いことが多い。学校内で鍵をかけて入るトイレは、なかなか入れるものではなかった。
「誰じゃ〜クソしちょるんは?」
子供は何故か、大便には面白く反応する。あの頃は、今以上に道端にころがっている大便が多かった気がする。友達と遊びながら帰っていると、運悪く、踏みつけてしまうことがあった。
そんなときは、今さっきまで仲良く遊びながら帰っていた友達がいきなり豹変し、「お〜〜クソ踏んどるど〜」と大声でさけび、それをやめさせるために友達に近寄ろうとしたら「わあ〜近づくな〜〜」と、まさにいじめの対象者と同等の扱いをされてしまうのである。だから、帰宅中は、下をよくみて歩かなければならなかった。
それが学校内となれば、さらに大変である。
冷やかしは簡単に終わらない。トイレからでるときが一番嫌なときになる。
「お〜〜お前か〜クソしとったのは〜〜」と、いつのまにか、仲間を増やして、はやし立てられる。
こういうときは、ひたすら無視して教室に戻るしかない。そうせず、反応して「なんじゃ、文句あるんか」と近寄ったりでもしたら、まんまと罠にはまるようなものであった。
だいたい教室に戻る頃には、冷やかした連中も、ひと時の戯れで充分遊んだという気になり、それで終わるのだ。
しかし、冷やかされた本人は、引きずってしまう。恥ずかしさで、その日は最悪となる。なんで大便ぐらいで恥ずかしい思いをさえられなければならないんだ・・・・。
度々お腹の調子が悪くなる自分は、いかにして鍵のかかるトイレに入っているのが発見されないかを考えるようになった。それは職員室のそばのトイレであった。
そのトイレだと先生が入っている場合もあるので生徒たちは、憶測で冷やかすことはできない。だから、トイレに入るのさえ発見されなければ安心であった。
でも今日は違う。
授業がはじめった。そしてしばらくして先生が気づいた。
「ん?具合が悪いんか」
僕は少し痛そうにしてうなずいた。
「保健室にいくか?」
次の問いには、返事しなかった。悩んだ先生は
「じゃあ、早引きして、家に帰るか」
僕は、さらに顔をゆがませ小さく頷いた。
授業が終わるまで保健室で休んでいた。本当に休んでいた。みんなが授業している時間に、一人だけベットの上にいることが、どれだけ心地よいものか、一人だけに与えられた特権のようにも感じられ、次第に眠気がおそってくる。
チャイムが鳴り、4時間目が終わる。校内は給食の香りとともに一気に騒がしくなってきた。
僕のお腹がキュルキュル鳴り始めた。
保健室のドアが開き、担任の先生が給食を袋につめて急がしそうに入ってきた。
「今から先生の車で送るけん」
先ほどまでの眠気が具合の悪さを表現するのにちょうどよく、辛そうに起き上がり、先生につられて車に乗った。
これからは緊張である。車だと15分もかからない家までの距離が、とても長く感じる。
先生に僕の心を感ずかれては元の木阿弥である。
先生がかけてくる話に僕はあまり答えなかった。ただ「お母さんはいるの?」と聞かれたときは、びくっとした。
そう、いないのは知っていた。いないと玄関の鍵があいていないから先生が困るのである。
「いないと思いますけど、大丈夫です。ちゃんと家の中に入れますから」
先生が不思議そうな顔をする。
僕は窓の外をみていた。
家の前につくと、田植えが終わり、水の張られた田が太陽に暖められ、土臭い香りが午後のだるさを演出していた。とてもよい天気である。
「お母さんいないのに大丈夫か」
「はい、すいませんでした。ありがとうございました。」
僕は車のドアを閉め、軽く会釈をし、玄関の脇から家の裏にまわった。
車が発進し、遠くに行き始めた音を聞き、ぼくは子供一人が入れる小さな窓から家の中に入った。
誰もいない家は当然静かであった。親がいないときは大概兄弟で遊んでいたが、その兄もいない。一人である。
お腹の具合が悪かった証拠として持ち帰った給食には手をつけずにいた。電気釜の冷たくなったごはんにマヨネーズと醤油をかけもぐもぐと食べた。
お腹は痛くなくなっていた。いや最初から痛くなかった。
なんで演技までして僕は早退したんだろう?ばれるかもしれないし、ばれたときは先生をはじめクラスの生徒からどんな目でみられるかもわからない。嫌いな授業が次ぎの時間にあったわけでもない。そんな危険を冒してまで何故?
小学生のときの僕には、難しい計算はできなかった。ただ、一つ言えたのは、お腹が痛くてトイレに行けば冷やかされるのに、早退したら誰も冷やかさないということだった。
大げさで自分勝手なことを言うと、僕の中で理不尽なことと戦っていたのかもしれない。
テレビから昼のコマーシャルの音楽が流れていた。ぼくの嫌いなコマーシャルだ。風邪で熱をだし、吐き気があって寝込んでいるときも、そんなことおかまいなしに流れるこのコマーシャル。そう、普段学校に行っている時間帯にしか流れないコマーシャル。僕にとって非日常のときにしか聞かないコマーシャル。それが今流れている。妙な気持ちでいっぱいだ。
僕は布団を敷いた。そして家の中をぐるぐるまわった。そして一人ボーっとした。
夕方には母が戻ってくるので、僕は布団に入った。そして眠った。
ガラガラっと開く音でぼんやりと目を覚ました。
「ん?あれ!あんたどしたの?」母は両手にたくさんの荷物を持ったまま声をかけてきた。
「うん!お腹が痛くなって先生に送ってもらった。」と弱弱しく答えた。
「まあ〜何やってるん?今も痛いんね?」
「ん〜眠ってたら大分よくなっとる」
「ふ〜〜ん!あんた友達と差がつくよ。そうやって寝ている間にみんな勉強しちょるんじゃけんね。少しよくなったんなら勉強しんさいよ。」
母は、僕のことを心配していなかった。それが悲しかった。だけど胸に突き刺さるような感じでその言葉を聞いていた。
嘘をつらぬき通せば、その母の言葉は納得できず、子供が具合悪くて寝ているのに、いきなり勉強しろとはなんて冷たい母なんだと!
そう、嘘をつらぬき通すためには、ここで勉強を始めるわけにはいかないと、自分勝手は解釈をし、ぼくは布団をかぶった。
そして思い出した。幼稚園の頃である。
竹やぶの崖を普段小学生の兄たちが勇ましく下りている姿を真似をして幼稚園生のぼくたちは恐る恐る竹やぶの崖を下りていた。
友達はなんとか下について僕を待っていた。あせっていた僕は足を踏み外し、ずるずると崖を落ちそうになった。
そのときである。斜めに切られた竹の元にお腹がかすめ、皮膚が裂かれたのであった。僕はお腹をおさえ、泣きながら友達に連れられて家に帰った。
家の玄関先で友達が「おばちゃん、お腹がきれとる、大変じゃ」と大声をだしたら、母はかけよってきて「何しようるんね!まったく」と僕の頬を叩いた。僕の泣き声はさらに大きくなった。結局10針以上を縫う怪我であった。
母は僕のことなんか心配していないんだ・・冷たい人なんだと思うようになった。
だから嘘をつらぬき通さねばならないと思った。
その傷跡は、お腹がふくらんだ今、さらに目立っていて、ときどきその傷跡について問われると「やくざに刺されんよ」と答えている。
結局、あの頃の僕は、なんだか孤独を感じていたのかもしれない。構ってほしかったのかもしれない。母に、先生に、そして友達に・・・その身勝手な解釈は、大人になる期間、幾度も違う形で僕を動かした。
時々思う。今自分が行動していることは、身勝手なことではないかと、思い込みではないかと!昔の僕がでていないかと!
連休の今日、あの時と同じような穏やかな昼時である。 ……(*´∵`)……
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