Flutist尾形ミツルのブログ

8〜9月スケジュール更新しました。この夏はツアーにレコ発バースデーライブetc特別なライブが目白押し!

すきなもの番外編:横浜ベイスター

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1997年、開幕前の春期キャンプ、オープン戦も順調。



大砲ブラッグスが前年でいなくなったのは残念だったけど(彼こそがこのチームに優勝をもたらしてくれる
と思っていたがそれは叶わなかった・・・)、本格的なファンになり始めた当初は若手だった選手が
少しずつ安定した成績を残すようになり、チームの中核を担うようになっていた。



この当時、ジャイアンツは桑田、斎藤雅、槙原、ヤクルトには石井一、吉井、ブロスと三本柱がいたし、
他のチームも絶対的なエースが一人二人はいたものだ。
ベイスターズも他のチームからみればやや見劣りしたかもしれないが、野村、三浦、斎藤隆と三本揃って
「勝ち」がある程度計算できるようにはなっていた。



優勝は贅沢な願いかもしれないけれど、ひょっとするとAクラスはいけるんじゃないか・・・・・と。





だが、開幕直前になって、そんなファンのささやかな願いも蹴散らされてしまう出来事が。






『斎藤隆、右肘の手術』のニュース!





・・・・まぁ、評論家のシーズン順位予想はヒドいもんでしたね。どいつもコイツも5位か6位。
ホエールズOBの評論家ですら(いつもの年なら期待値の意味も込めてAクラスにしているのに)
この有り様。ベイファンの大半もそう思っていただろうから無理も無いが。






ちょうど同じ頃、とあるルートで横浜スタジアムの内野席シーズンシートチケットをgetしたのだが、
日付が“9月28日”!!




ほんっと、このチケットで鼻かもうかと思いましたよ







予想通り、シーズン前半は負け、負け、負け、たまに勝ってまた負け、負けってな具合。
5月はちょっと良かったが4、6月はボロボロ。慣れてると言えば慣れているが、シーズン前の期待が
例年よりちょっとだけ(このあたりがベイスタファンの奥ゆかしいところ・・笑)良かっただけに
シラケムードにも拍車がかかるというもの。





が、が、が、しかし・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・






7月からウソのように勝ち始めたのですよ、これが





三浦、野村はもちろん、ルーキーの川村と今までほとんど実績のなかった十叶で試合に勝てる、勝てる。
打つ方も鈴木尚が首位打者争い。ブラッグスのいなくなった穴をローズ(写真のナイスガイの人ね。一応
知らない方のために)が埋めるどころか打点王も見えてくるくらいの大活躍!!!
(この2人はこの後数年爆発しっぱなしになることはこの時は知る由もない)




この頃から『マシンガン打線』の見出しが新聞に載るようになった。ベイスターズがスポーツ新聞の
1面に載ることは稀であったのに連日トップで見かけるようになり、今までは本拠地横浜界隈でも
なかなか見かけなかった、“YBロゴ”の入った帽子をかぶった小学生のなんと多くなったこと!!




一時は首位のヤクルトと14ゲーム差(くらいだったとおもう)くらいあったゲーム差が8月終わりには
2.5ゲームまで縮んだ。96年の巨人の“メークドラマ”なんかもはや目ではない。鼻紙同然だったチケット
もすわ優勝決定戦か!?






で、いよいよ首位ヤクルトとの3連戦。








・・・・・石井一にノーヒットノーラン喰らいましたその後は失速・・・・








期待していたチケットの試合の日、デーゲームで勝ちはしたけどその夜、ヤクルトの優勝決定。






でも久しぶりの2位!!!!!本当に選手の皆さんがんばりました。





この悔しさが翌年につながる訳でして・・・・・





to be continued...






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1992年、須藤監督3年目のホエールズ。1年目こそ久々のAクラスだったが、
3年目のこの年は例年通り開幕ダッシュに出遅れ、開幕1ヶ月にしてダントツの最下位。




しかしそんなことは別に問題ではない。何せ“例年通り”だから。





なんと5月のGW明けに須藤監督、早くも「休養」してしまう。





今までも、憔悴し切った表情で辞めてしまった古葉監督のニュースなどを目にしてきた
けれど、シーズン始めで監督が変わってしまうこの弱小チームのこれからは一体どうなって
しまうんだ??と試合の結果が気になり出したわけで。






これが本格的な“ファン”の始まりになった(なってしまった?)訳で・・・・





しかし監督交代後のこのシーズンは結構面白かった。だって、あの大ストッパー“佐々木”
(この頃はまだ“大魔神”の称号はなかった)が出てきたから。
『セットアッパーの盛田→抑えの佐々木』の継投は近い将来の優勝を期待させるものがあった。
何せ、相手チームは6回までに勝っていないといけないんだからね。




そういえばこの年、盛田が中継ぎ投手なのに最優秀防御率のタイトルを穫ったのには
賞賛を通り越して笑ってしまいましたよ。完投できる先発が少ないチーム事情とはいえ、
こういうヘンテコなタイトルの穫り方っていかにもこのチームらしくて好きだ。







次の年、球団名が『横浜ベイスターズ』に変わり心機一転。




この頃からかな?開幕前の優勝予想で、「今年の台風の目になりそうなチームは?」
の質問に『横浜』の名前を挙げる評論家のなんと多かったこと。




・・・まあ、(阪神は別として)他の球団は優勝できる要素持ってたからね〜
裏を返せば、優勝はムリだけど面白いことしてくれそう、てことでしょ。





その通り!確かにここから数年間はおもしろいことがいっぱいあった。




シーズン最下位なのに得失点差がプラスだったとか・・・
開幕ダッシュに成功したのに、集団風邪でみんな調子落として結局いつものBクラス・・・とか
『16年ぶり』の『シーズン貯金2』に喜んだのもこの頃。


 

だが相変わらず弱かった。元気がいいのは春先まで。梅雨に入るとBクラスへ
ズルズル・・・毎年この繰り返し。



でも応援してた。住んでいる神奈川県には『TVK』というローカルテレビ局があって
浜スタの試合は全部中継していたので、当時ヒマな僕はこの時間になるとベッドに
寝そべって中継を見ていたものだ。




こんなに弱くても、優勝への兆しが見え始める97年・・・・




to be continued....
時は流れて中学生の時、修学旅行で東京へ行くことに。


ある一日の行動予定に「夜、後楽園で巨人戦観戦」とある。
(この頃はまだ後楽園球場だった。ドームは次の年から)
他にも夜景ツアーとか観劇とか夜の行動プランはあったが、仲のいい友達が
みんな野球が見たい!と後楽園を選んでいたので、特に行きたいと思うのが
無かった僕も何となく選んでしまった。




これが実はベイスタファンへの第2の転換点になろうとは・・・




学校としてはやはり巨人側のライトスタンドをとりたがっていたみたいだけど、
当然取れる訳もなく、仕方なくレフトスタンドへ。



もうお分かりだろうけど、この日の対戦相手は『大洋ホエールズ』。




大洋ファンにとってビジターゲームとはいえ、レフト側応援団のなんと少ないこと・・・
試合も大洋が負けてしまうのだが、これを機に僕の中でこの弱小チームに対する情が
芽生えてしまったらしい。



その後はいつも新聞で結果を見るようになった(まだ大洋戦の中継を見るまでには
至っていないのだが・・・もっとも大洋戦なんてめったに見れなかったけど)。


広島黄金時代を築いた名匠古葉監督を迎え、期待していたものだがチームはそれまで以上に
沈んでいく有様。その後の須藤監督も1年目こそ良かったけど、2年目からはいつもの
定位置に。



(ちなみにこの頃、フルートのレッスンを受けに毎月東京に来ていたが、その先生が
巨人ファンだったようで、レッスン後の雑談で好きなチームを聞かれ、『ホエールズです』
と答えたら舌打ちをされたあげく、大洋のことをボロカスに言っていた。
その先生は志望音大の先生だったから「はあ、はあ」と相槌を打っていたが、腹わたの
沸点はとうに超えていたのは言うまでもない。
まあ、その年の日本シリーズ、巨人は西武に4タテ喰らってたけどね)




そして須藤ホエールズ3年目の92年、本格的なファンになる出来事が・・・


to be continued...
僕の小学校時代は、スポーツといったら野球、野球、野球。




Jリーグのおかげで盛り上がったサッカーのある今と違って、テレビで見るスポーツ
中継といえば、プロ野球中継オンリー。しかも地方在住だったので当然、巨人戦のみ。




だから、周りの同級生はみんな巨人か、当時絶頂期の“赤ヘル”ファンばかり。



運動オンチとまではいかずとも、球技、チームスポーツがとにかく苦手だった
(陸上競技は得意だったんですよ)僕は、もちろん野球中継なんか興味ナシ!
見たいテレビ番組は中継のせいで見れなくなるし・・・・



でも、時折巨人ー大洋戦で見れる横浜スタジアムの人工芝の鮮やかな緑色と
大洋の青色ユニフォームがとてもカラフルに見えたのと、選手交代時にスタジアムで
流れるエレクトーンの音楽が田舎者の僕にはとても都会的に感じたものだ。
浜スタのスコアボードが当時まだ少ない電光掲示板を取り入れていたのも
都会的に感じた一因かもしれない。



しかし『横浜大洋銀行』と揶揄されるほどの弱小チームであるということは
この頃まだ知る由もなかったわけで・・・・



加えて、当時から“みんなが飛びつくものには夢中になれない”という絶望的なほどの
あまのじゃくだった僕にとって、



『大洋ホエールズ』→話題性ナシ→だれも応援してない→てことはオレ向き?



・・・・・かくして少しずつ『大洋ホエールズ』は僕の中で気になるチームになって
いく訳なのだが、本格的なファンになるのにはまだ数年を待たなければならない。




to be continued....
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今年も始まりましたNPBペナントレース。




何を隠そう、ワタクシ“大洋ホエールズ”時代からのベイ党でございまして、
仕事でテレビを見れなくなった最近でも試合結果だけはしっかりチェックしてます。




古葉監督が、須藤監督が途中でチームを見限ってしまおうが、親会社が変わろうが、
小泉長期安定政権の中、監督がコロコロ変わる迷走ぶりをさらけだそうが(まあこれは
昔っからだけどね)、いつもかわらず贔屓にしてました。



80〜90年代、阪神の弱さは笑いのネタにされる分まだ救いがあったが、横浜の弱さは
誰もネタにしない分、逆に惨めな気分でした。バカにされるどころか、本気で同情
されちゃったりしてね・・・・



落ち込んだり悩んでいる人に偽悪的に振る舞う自分の性格は『ベイスタファン』心理の
裏返しなんでしょうかね?






でも、こんなチームでも一度だけ、いい夢見させてもらいました。





そう、98年の優勝、日本一!!!!!!!




38年ぶりのリーグ優勝が決まった翌朝、コンビニで主要スポーツ4紙全部買い占めました。
そしてそれは今でも大事にとってあるのですよ。それが上の写真。
ついでにスポーツ系雑誌の優勝特集号2種もしっかりとってあるわけでして・・・・



だって、あと30年は優勝見れそうにないもん・・・・



これは墓場まで持っていきますよ!



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もっと書きたいことは山ほどあるけど、書いてたらキリがないので数回に分けて
『ベイスタファン史』を書こうと思います。ではまた。

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