幕末史蹟研究会 mitsuyaの研究室のブログ

幕末が好きで、戦国時代が好きで、史蹟を走りまわってます。

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日置市−

<小松家墓地>
<小松帯刀墓>
イメージ 1 幻の宰相と呼ばれる小松帯刀。
 彼は、喜入領主の肝付兼善の三男として生まれ、のちに吉利領主であった小松家の養子となった。
文久2年からは島津藩家老として、倒幕に向けて薩長同盟や大政奉還、そして、明治維新に尽力した。維新後は参与として版籍奉還を画策するなどこれからを期待される人材であったが、明治3年に病気のため大阪で36歳の若さで亡くなった。
 
 当初、大阪の夕陽ヶ丘墓地に葬られていたが、明治910月この墓地に改葬される。
 
<お近墓>
イメージ 2 帯刀夫人お近は、小松帯刀の死後、帯刀の京都妻であったお琴との長男安千代を翌4年に鹿児島に引き取った。
 しかし、お琴も明治78月に他界する。ひとりになった長女お寿美も引き取りたいと申し出て、お近が面倒を見た。
 お近は、血の繋がらない小松の遺児二人を引き取り、お琴の墓もこの園林寺墓地に改葬した。
 
ちなみに、この安千代が清直と名をあらため、小松家30代を継ぐ。清直の墓もこの墓地内にある。
 
<お琴墓>
イメージ 3 お琴は、京都祇園の名妓とうたわれた女性で、帯刀の二児をもうけた。
 
 この小松家墓地の一角に小さな墓が五つ並ぶ中のひとつである。
 
 帯刀・お近が仲良くならぶ墓の後方で眠るお琴は、ひとり何を思うのであろうか。
 
<小松清猷墓>
イメージ 4 清猷は、小松家第28代当主であり、お近の兄である。
 富島津家の娘を妻としたが早死、再び花岡島津家の娘を娶ったが、いづれも子がなく29歳の時、沖縄の宿で死去した。
 
 
 
 
 
 
<横綱陣幕久五郎の献燈>
イメージ 5 第12代横綱 陣幕久五郎は、初め徳島藩の抱え力士であったが、一時松江藩の抱えとなり、元治元年10月以降薩摩藩の抱え力士となった。
 戊辰戦争時には、薩摩藩主島津忠義の護衛を務めたりしている。
 
 これも、大阪の夕陽ヶ丘墓地より移設してきたらしい。
少し分かりにくいが、真ん中にある小さな古い石である。
 
<アクセス>
JR伊集院駅より県道37号線を南に向けて走ると、日置小学校を過ぎ、日置中学校を過ぎたあたり、国道270号線に合流する手前のカーブを直進すると左手に園林寺跡・小松家墓地が見えてきます。
駐車場もあり、途中看板もあるのでわかりやすい。
 
<吉利小学校> 
<小松家仮屋敷跡>
イメージ 6 この場所は、小松家のお仮屋跡である。 
 文禄4年領主小松氏の宿舎(役所)として建てられ、以来明治元年まで使用された。
 
 画像では分かりにくいが、吉利小学校の入口に「小松家(帯刀)仮屋跡」の看板がかけられている。
 
 
<小松帯刀像>
イメージ 7 吉利小学校校門横にある、卒業生寄贈の像である。
 なかなか味わいがあつて、いい像だと思う。
 
 
 
 
 
 
<アクセス>
 小松家墓地の少し南側に吉利小学校がある。車で5分とかからない。
 
<小松帯刀像>
イメージ 8 清浄寺にある、小松帯刀の像である。
 画像は、日陰になって分かりにくいが、鹿児島市内中央公民館に建つ像と同じ姿形をしている。
 
 
 
 
 
<アクセス>
 吉利小学校の裏手すぐに清浄寺が見えます。その、入口付近に建ちます。
 

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