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宮本輝さんの長編小説「流転の海」
戦後の混乱・復興期を生きた作者の父親を描く超大作です。
雑誌「海燕」に1982年から84年まで連載されたのが、福武
書店から単行本として1984年7月にその第一部が発行された。
その6年後、雑誌「新潮」に第二部となる「地の星」が連載
され、1992年に、一部二部同時に新潮社から単行本として
発行された。以来数年ごとに続編が発行され、今年2016年
に第八部「長流の畔」が発行された。1〜8部まで24年、
雑誌連載開始から34年!
いよいよ第九部「野の春」が最終巻になるそうです。
第八部「長流の畔」のあとがきでの作者の心境が心に残る。
「流転の海」の第八部となる「長流の畔」を書き終えて、私はちょっとした臆病風に吹かれてしまった。最終巻となる第九部を書き始める昂揚感はどこにもなくて、とうとうそのときが来たことへの袋小路の鼠のような気分だけに襲われて、この小説を書き始めた34歳から35年間が茫々とした霞に隠れて、それはただの暗渠だったとしか思えない精神状態になった。
私はなにを書いてきたのか。累々たる死と失敗と挫折を凡庸な物語に託しただけではにのか。どこにでもある死と失敗と挫折を延々と書きつづけてきただけではないのか。そんな無力感のなかでこの数ヶ月を過ごした。しかし、なんだか打ちひしがれるような数ヶ月のお陰で、私は「流転の海」の最終巻に向かう己の心構えと闘争心を取り戻すことができた。
どこが始まりでどこが終わりなのかわからない長い長い川の畔を旅していて、疲れ果てて倒れ込んでしまうときがあっても、そこには毒虫もいれば菫も咲いている。そのどちらと出会うかは「運」ではない。「意志」である。
累々たる死と失敗と挫折は、それらを乗り越えるごとに、源が遠ければ遠いほど流れは長いことの証となる。流れのはるか彼方の、目に見えない未来で待つ生が燦然と輝くであろう証である。私が「流転の海」で書こうとしたことはそれだったのだ。その原点に立ち返ることができて、私はいま最終巻「野の春」を書き出そうとしている。
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久しぶりにYahoo!blogの更新です。僕は元気です(^O^)
Bゾーン Cゾーン
くぬぎの木の落葉が始まり天然の落ち葉マルチが出来そう(笑)
秋ジャガイモの植付けが大幅に遅れ、しかも準備していた種芋がダメに
なったので、1畝だけ種採り用に植えたデジマ
祈るしかないでしょう(笑)
余った3畝に葉物野菜の種を蒔いてみたけど、生長がすこぶる遅い(>_<)
それにしても....タブレットでこの記事書いてるけど動作遅っ!
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