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2月10日に現地入りし15日まで活動してきました。
今回は10月に活動した時と同じ日本社会福祉士会を通じた活動。
宮城県石巻市にある渡波地域包括支援センターに支援スタッフとして入りました。
ご存知の方もいらっしゃるとは思いますが、地域包括支援センターとは…
介護保険法で定められた、地域住民の保健・福祉・医療の向上、虐待防止、介護予防マネジメントなどを総合的に行う機関である。各区市町村に設置される。2005年の介護保険法改正で制定された。
法律上は市町村事業である地域支援事業を行う機関であるが、外部への委託も可能である。 要支援認定を受けた者の介護予防マネジメントを行う介護予防支援事業所としても機能する。
〜wikipediaより〜
私が現在配属されている部署も地域包括支援センター。
前回活動して感じたのですが、この活動が自分の力になる。
被災地支援ということだけではなく、自分のためにも再び活動したいと考えていました。
前回は、仮設住宅の個別訪問を行ったのですが、今回は在宅被災者への訪問活動。
生活の様子や困りごとなどを聞き取り、ニーズを把握します。
活動3日目には日本社会福祉士会本部の方たちが視察に訪れ、ミーティングの機会を持たせていただくことができました。
ミーティングの席上で、
・既に聞き取り調査を終えた幾つのかの地区へはニーズの分析と社会資源(店舗や病院、交通手段など)調査
を行ない、地域包括支援センターが核になりコミュニティの構築に向けた提案を地区役員や民生委員などへ行
っていく段階にあること。
・しかし、それは今現在まだ行われていないこと。
・今日から1週間の期間で、地域包括支援センターの所長は指定した地区の役員と接触を持ち、地域へ介入し
ていくための集会やイベントなどの企画をかたちづくること。
というようなことが指示されました。
そして、それを最優先に実行するために現在支援に入っている社会福祉士は活動するようにと…。
ここは私ブログなので本音に近いことを書くと、私はミーティング中から少し違和感を覚えていました。
これまで何度かの活動で、現地の住民の声を聞いたり生活の様子を目にしていて、
・今はまだ日々変わる支援状況や移り変わる季節への対応に追われ目先のことで精一杯の状況であり、個から地域へと目を向ける気持ちに至っていない人が多いのではないか。
・自分の住む街がそうであるように田舎の人は繋がりを大切にしているため、信頼関係を構築していくためには複数回接触し充分に話をしてから、行動へ移していくことが大切なのではないか。
・早期介入ばかりを重視し集会やイベントを企画実行することは、被災地域という場所柄ゆえ他のボランティア団体の活動と十把一絡げに捉えられてしまう可能性が高いのではないか。
そして、地域包括支援センター職員としての視点からみると、
・現段階ではコミュニティ構築よりも優先されることがたくさんある。
・マンパワーが不足している。等々…
違和感を覚えて、私は日本社会福祉士会の活動を続行して良いのかどうか悩んでしまいました。
支援の趣旨は間違っていないけれど、今は押し付けになってしまっているのではないか…。
けれど、止めて帰るという選択肢は自分の中には無い。
渡波地域包括支援センターの負担を最小限にしながら活動していける最善の支援方法を考えたい。
しばらく思いをめぐらせていた私は、同席していた他の支援社会福祉士二人に気持ちを打ち明けてみることにしました。
一人は某県を束ねていらっしゃる方で幹部に近い方。
もう一人はミーティングで指示を出した人物から事前研修を受けている方。
もしかしたら理解してもらえないかもしれないけれど、でも想いは伝えたい。
二人とも福祉分野での経験が浅い私の話にきちんと耳を傾けてくださり、「自分たちは渡波包括を支援するために入っているのだから、その気持ちは同じだ。」と意志の統一を図ることができました。
センター職員を交えてミーティングを開催。
経験豊かな二人はアイディアを出してくださり、本部が指定した地区ではなく、被災状況や地区性、地区を束ねるキーパーソンとなる人物の有無を確認し、コミュニティ構築へのアプローチを図っていくことができる地区を選定。
私たちは、手分けして地区を再度歩いたり調査票を再確認したりして資料を整備することに着手しました。
そして、資料整備が中盤を過ぎたあたりで私の支援期間は終了。
無事に帰宅しました。
コミュニティ構築の道のりは長いものになると思いますが、今回その過程の一点に関わることが出来たことは、自分の中でとても大きなものを得たように感じ、同時にその機会が与えられたことに感謝しています。
加えて、私が再び石巻を訪れたことを喜んでくださった方、時間を作って会いに来てくださった方、暖かくもてなしてくださった方たちがいることは、本当に幸せなことだと感じます。
ありがとうございます。
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災害ボランティア
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報告が遅くなりました。
11月26日〜29日の日程で再び宮城県を訪れ活動を行ってきました。
今回は日本社会福祉士会を通じてではなく、現地で活動を行うボランティア団体での活動。
この活動を選んだのは、私のスケジュールが社会福祉士会の活動要請にマッチングしなかったこともありますが、前回の活動を通じて在宅被災者の方たちはどうしているのか気になっていたから。
伝え聞く話から仮設住宅で暮らす人たちより過酷な状況であることは想像できました。
そして活動を模索している中で見つけた今回の活動。
在宅被災者の方の状況調査と支援の必要性の確認。
石巻市内のクリニックが中心になっている活動でしたが、市の制度の案内や必要に応じて各機関との連携も取っていく状況が作られていました。
活動場所は偶然にも前回の包括支援センターの管轄である石巻市の渡波地区。
ある程度の地理も頭に入っていたので、すんなり活動に入ることができたし、何より前回とてもお世話になった地区で再び活動ができるということに何か意味があるような不思議な気持ちでした。
1ヶ月ぶりの石巻市。
住宅の解体やリフォーム・新築は先月も行われていましたが、今月も盛んに行われています。
1軒1軒声を掛けていくのですが不審がる人も多いのが事実。
自分もいきなりそんな人が来たら警戒するでしょう。
でも、気持ちを吐き出してもらうことで何か役に立てるのではないか?
そんな想いを持って、
“先月は仮設住宅を回る活動をしていたこと、その活動で感じたこと、長野に帰宅してからも在宅の方の様子が気になっていたこと、自分のためにもこの活動に参加したかったこと”
などを伝えると、「そういう気持ちで聞いてくれるのなら。」と応じてくださる方がほとんどでした。
そして、“調査として家の中のことが外部へ出て行くことは困る”けれど、家の中に入ってじっくり話を聞いて欲しいという方が予想以上に多かったことにも驚きました。
「近所の人たちはみんな大変な思いをしているから、自分ばかりではないと愚痴をこぼしたくても我慢している。市役所の人に対してもそういう思いがあるから話せない。でも、あなたのような県外からのボランティアさんなら気兼ねなく話せる。聞いてくれて本当にありがとう。」
「家に来てくれた初めてのボランティアさんだよ。仮設の友達の所にはたくさんのボランティアや支援が来ていると聞いて羨ましかった。来てくれてありがとう。」
「夏に70代の家族が過労がたたり倒れてしまった。病院の先生には『この歳だから仕方ない。』と言われて悲しかった。でも、病院には毎日患者さんがあふれかえっていて、自分たちより大変な人もたくさんいるから。先生がそう言いたくなるのも分かる。」
その言葉に、年齢は違うものの私にも同じような疾患を発症した父がいることを伝え「年齢なんて関係ない。大切な家族なんだもの。どんな状態でも生きていてくれて良かったと思ったし、生きていてくれた期間に私たち家族は父から与えてもらったことも多かったから。」という言葉を伝えると気丈なその女性は「そうなんだよね。」と目を潤ませていました。
そして、どの方もこちらが時間を区切るまでの1時間〜1時間半の間ずっと話し続けていて、「こちらばかり話してしまってごめんね。でも、話ができてとても嬉しかった。本当にありがとう。」と何度も何度もお礼を伝えてくださいました。
団体としての活動からは逸脱していたかもしれないけれど、このような活動ができたことは有意義だったし、被災者の方にとっても自分自身にとっても続けていくべき活動だと感じました。
こちらは東松島市で行われた復興イベントの様子。
今回活動させていただいたボランティア団体には、医療・福祉職ボランティアで構成され住宅訪問を行う医療チームのほかに一般チームがあるのですが、こちらはその一般チームが中心となって計画されたイベントです。
それに賛同する団体や企業が全国から入り、すべてボランティアの手作りで開催されました。
円谷プロからはウルトラマンがやってきました。
イベントが開催されたこの日は、私もお手伝いをさせていただき、力仕事で重宝されました(笑)
活動にあたり宿泊させていただいた、ボランティア団体の活動拠点。
被災した小学校の3階部分を市から借り受けていました。
グラウンドには仮設の消防署と郵便局がありました。
11月下旬の東北は冷え込みがかなり厳しくなっており、宿泊していた私たちも寒さ対策には大変でしたが、毎日の勤務となると不便さや大変さは想像以上ではないかと思います。
避難所になっていた体育館。
この場所へも津波が押し寄せ、避難されていた多くの方が亡くなられたと聞きました。
体育館内はボランティアの手によって清掃されており、祭壇が設けられていました。
私も毎日活動前には手を合わせ、祭壇掃除もさせていただくことができました。
この場所から感じられたのは、悲しい気持ちよりも亡くなられた方と訪れた人々からの未来への大きな祈り。
この場所を訪れることができて良かったと感じました。
そして、今回も多くの出会いがありました。
ボランティア活動をするために仕事を辞めて長期滞在している人、自家用車を売り活動資金を作り夜間にアルバイトを続けながら支援活動を行う人、長期間過酷な生活を続けながら笑顔を絶やさずに活動する人、自らが被災しながらも休日返上でボランティア団体の活動に参加する市民の方たち。
言葉を交わした全ての人たちから大きなエネルギーをいただき、またここへ来ようと決意しました。
前回お世話になった渡波地域包括支援センターにも立ち寄りました。
相変わらず暖かい場所。変わらない笑顔で迎えてくださった職員の皆さん。
図々しくも勝手に“第二の職場”と呼んでいるけれど、私の人生に大きな影響を与えてくれたこの職場の皆さんに、いつか私も何か届けることができたらいいなと思っています。
復興への道のりは長く、私の活動は小さな小さな点にも満たないかもしれない。
でもその小さな点で在れることが私の中では大きな意味を持つことであり、ここへ導かれたことに感謝したいと思います。
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先ほど宮城県から無事帰宅しました。
今回も充実した時間を過ごさせていただきました。 活動報告はまた改めて。 とりあえず休みます。 |
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前回の東北での活動から1ヶ月。
自分にできる支援があると感じ、また行ってきます。
前回は日本社会福祉士会を通じ、職場からの支援もあっての活動でしたが、今回は自分の気持ちのみでの活動。
前回、東北の皆さまから頂いたたくさんの温かな気持ちに恩返ししたい、そんな一心。
けれど、自分のその想いと活動が本当に必要とされているものなのか?
独り善がりではないのか?
現地で行政と連携を取りながら活動されている方たちと共に活動させていただくことにし、 現地の自治体からのボランティア受け入れ許可書を頂く、そして自分の住む自治体からも認めてもらうというかたちで支援に入ることにしました。
…この証明書があるということは、ロングドライブの予感です(笑)
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<地域の人々>
仮設住宅訪問時に偶然立ち寄った小学校。木造の建物の壁には全国から入ったボランティアのメッセージがびっしりと書き込まれていました。
建物の中にいた区長さんの話を伺いました。
「この浜の住民は昔から何があっても仲良くやってきた。震災がおこり孤立し、市からの支援が遅れた時も住民で助け合って乗り越えた。しかし、仮設住宅ができるとそこへばかり支援の手が入り始めた。住宅の全壊を免れてなんとか生活している人への支援はほとんどない。仮設住宅の人たちは自分たちばかりが支援を受けているのが後ろめたく口をつぐんでしまう。自宅に暮らす人たちにはひがみが出る。ずっと支えあい助け合ってきた地域の繋がりが壊れているんだ。私はそれをなんとかしたい。だから支援に入る人たちにも理解してもらいたい。たとえ1つの野菜でも全員で分けて食べる、そんな気持ちで私はいるんだ。」
この日は地区の運動会が計画されていたそう。あいにく雨降りのお天気で中止になってしまったそうですが、群馬県から入ったボランティア団体が炊き出しを行っていました。皆に来て欲しいからと全住民に引換券を配ったといいます。
「あなたたちも食べていきなさい。」という区長さんの言葉に遠慮していたら、「なに言ってるんだ。ここへ来たんだからあなたたちも仲間なんだよ。」と言われました。
区長さんに賛同しこの地を訪れるボランティアは相当数いるといいます。
仮設住宅の訪問をしている時に「ありがとう。来てくれてありがとう。」と何度もお礼を言いながら車まで追いかけてきてヤクルトと笹かまを手渡してくれた女性。
「津波が来たときは何もできなかった。ここへも遺体が流れ着いて、でもどうすることもできないからシートをかけて置いておくしかなかった。あなたたちみたいな人たちが交代で全国から来てくれるから私たちもがんばれるんだ。」と話してくれました。
夕食に立ち寄った社会福祉士会員行きつけの牛タンの店「たんたん」では、牛タンから揚げを山盛りサービス。
「あなたたちがずっと来てくれていることが嬉しいんだ。」と。
店の壁には一面色紙が飾られており、全国から来たボランティアのメッセージが記されていました。
私たちも記入。社会福祉士会のマークのバランス悪すぎ(汗)
偶然、店で食事をしていたお客さんからも「飲んでほしい。」とビールの差し入れ。
「全国から私たちのために来てくれることが嬉しい。」という感謝の言葉とともに、「飲みきれなければ宿舎で飲みなさい。」と焼酎までいただいてしまいました。
包括支援センターの壁には、これまで入った社会福祉士会や理学療法士会の支援者の写真が貼られていました。
発災時には、包括支援センターにも津波が来て被災し、一時的にその機能を失っていたといいます。そして職員の中には親族などを亡くされた方もいらっしゃったそうです。
津波到達時には併設するデイサービスセンター利用者などと一緒に近くの避難所に避難し、自宅へ帰らず避難所生活を送られたといいます。
通常の包括支援センター業務に加えて被災者支援業務。
多忙を極める中で外からの支援者を受け入れ続ける理由を所長は「職員のためでもあるんです。全国の支援者の知識やアイデアを教えてもらうことができる。私自身も全国に仲間がいると心強く感じているんです。」また、支援者には「せっかく来たんだから何か持って帰ってもらいたい。」と考えていると話してくださいました。
自分の業務を後回しにして社会福祉士たちの話に耳を傾け言葉を交わしてくれる姿からもその想いが伝わってきて、所長が自分と同年代であることも大きな刺激になり、その出会いは私の人生に影響を与えることになると感じました。
他の職員の皆さんも温かく真摯な態度で接してくださり、まるで自分の職場のように錯覚してしまうほどでした。
<最後に>
被災地へ向かう電車の中で私はとても怖い顔をしていたと思います。
想像を絶する震災に見舞われた地域にどんな顔をして入ればいいのか分からなかったから。
けれど、実際は毎日笑顔で…お腹を抱えて笑ったことは一度や二度ではなかったと思います。それは、皆が努めて笑顔を交し合い活力を生み出している、そんな風に感じられました。
支援に入ったはずが、こちらが与えてもらったことのほうが多く、得難い経験をさせていただいたと感じています。
今回の活動を通じて感じたことは、“まち”の復興とは建物や生活機能ばかりではなく、変化してしまったコミュニティをどう形作っていくのかも重要なポイントであるということでした。人と人とが心を通わせながら長期的な支援を行っていくことが必要であると感じました。
まちの人や職員の皆さん、支援に入っていた仲間、本当にたくさんの人たちに温かさに触れて、1週間余の活動だったけれど、宮城のことをまるで自分の故郷のように感じるようになっていました。
自分の生まれ故郷、今住む場所、そして宮城。
大切に感じる場所がまた一つ増えたことに感謝しています。
私はこれから、大切なこのまちが復興を果していく姿を見つめ続けようと思います。
最後になりましたが、支援活動に参加するにあたり、快く送り出してくれた職場の皆さまや励ましの言葉をかけてくださった皆さま、支えてくださった多くの皆さまに感謝しています。
ありがとうございました。 |



