宮平溶解の桃郷バカリング!!!日記

東京の島んちゅドルバカな43歳の私が、トイスマやアイドリング!!!元メンバーを中心にいろいろ好き勝手に送るブログです。

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かつて経験のない元号またぎの「代替わり」で10連休となった今年のゴールデンウィーク。
残すとこ今日も含めてあと4日となりましたね。

一昨日5月1日に「令和」に改元して今日で3日目。
私もゴールデンウィーク中はずっと仕事だったが、今日と明日は休み(5日と6日は仕事)。
今日は「令和」になって初めての休日でした(ちなみに平成最後の休日は先月25日)。

やはり、新元号「令和」に慣れないですね。まだ3日目だから当然か。
「平成」の延長みたいでまだ続いてるような感じするんだよね。

元号が変わったって世の中あまり変わってないし、年が変わるのと違ってお正月のような感じは全くないし、普通のゴールデンウィークとあまり変わらない。
ただ、5月1日が今年限りの祝日となったおかげで4月27日〜5月6日が休みになったからカネや商売に関してはいろいろ問題は起きてるようだが。あと子育てもか。

テレビやネットのニュース見て、皇太子さまが天皇陛下となって時代が変わったと感じるね。「天皇陛下」が今でも退任した前の天皇の上皇さま(陛下)と間違えそうになります。

私は30年前の1989年の昭和天皇崩御による「昭和」から「平成」に改元したときの経験かつ記憶があるからいいが(昭和生まれである多くの人々はそうだが)、平成生まれや前の改元の記憶がほとんどない昭和最末期(昭和60年以降)生まれの人々にとっては今度の元号改元が新鮮に思うでしょうし、「平成が終わるのは寂しい」と思ってる人もいるでしょうね。

我々は昭和からの平成の改元だけでなく、1000年代(または1900年代)から2000年代への千年代替わり、いわゆる「ミレニアム」(2000年問題なんていうのもあったね)、そして20世紀から21世紀の世紀替わりというかつてない歴史的瞬間を経験してるが、特に21世紀以降生まれの高校生以下やミレニアムと世紀またぎの記憶がほとんどない20世紀最末期(平成10年前後以降)生まれの20歳前後以下の人々にとってはこの歴史的瞬間が衝撃的に感じたでしょうね。

それにせよ、明治以降「一世一元」になってから、天皇が崩御されない限り元号が変わらないというしくみを上皇さまが「生前退位」(譲位)というかたちを選んで元号が変わったのはほんとに画期的で大きな歴史的瞬間ですよね。

私は平成のほうが昭和の倍以上長く生きてきましたが、昭和は62年と2週間(元年と64年はそれぞれ1週間しかなかったため)と長く、日常生活でも年号使うのも西暦よりも元号中心の和暦を当時は多く使ってたので、元号が変わるときには年号をどう使おうか迷ってたと思います。

昭和は60年以上にもなる激動の長き時代だったので、昭和が終わる寂しさはそうとうなものだったと思います。

新聞の日付表示もかつては和暦中心で西暦は括弧表示だったが、これも昭和50年代(1970年代後半)から平成初期(1990年代前半)にかけて多くの新聞が現在の西暦中心で和暦は括弧表示に変わり、今では和暦中心の表示は産経新聞など一部の新聞だけになりました。

日本国内関連の新聞記事やテレビのニュースの年号表示も和暦表示するのはNHKと産経新聞などの一部マスコミくらいで、あとは国内、海外関係なく西暦で表示されてますしね。

昭和時代では年号は和暦中心だったのが平成になるとともに次第に西暦中心となりました。
昭和の頃は年号を「昭和」を省いて普通に使ってましたからね。

私は書類とかに年号を書く際、西暦や和暦の指定がなければ去年まで和暦(「平成」とは書かず、たとえば「平成30年」なら「30年○月○日」)で書いてたが、今年から西暦を書くことにしました。
でも生年月日を書くときは迷うかも知れないですね。私の場合「1975(昭和50)年3月20日」なので、西暦よりは元号の和暦のほうが書きやすいですからね。


さて、元号が変わるときに「平成最後」や「令和最初」とかやたら言ったり、「令和」と煽ったりしてましたが、普段の生活でそんなに元号使ってるんだっけ?

昭和のころならまだしも、平成になってから「平成○年」とかいちいち言うのがめんどくさいから西暦を使うようになったと思うし(1900年代なら下2桁だけでも通ってたし)。

普段、そんなに元号使わない人は「今年は平成何年だっけ?」と聞いたり、そう思ったりするのも少なくないでしょう。

元号が変わる瞬間、どのような形で迎えるのか楽しみだったし気にはなってたけど、結局はあまりたいしたことなかったし、年末年始のような感じでもなかったですね。

先にも述べたが令和の“元日”(初日)だった一昨日「令和元年」5月1日は「お正月」という感じはまったくなく、臨時に祝日になったとはいえ平年の5月1日とあまり変わりませんでした。

実は4月30日と5月1日休めたら休もうかと思ってたが、忙しくて仕事になり、結局そのほうでよかったかなと思います。

元号が変わる瞬間、騒いだのは都会の繁華街とテレビ局だけでしたね。

昭和から平成に変わったときは昭和天皇崩御に伴うものであったため、昭和天皇を偲ぶ特番が2日間放送され、民放は2日間CMなしでした。
そんな暗いムードでの改元とは違って、今度の改元はハッピーで祝賀モードなのでどういう形で迎えるのかはテレビ局としても考えたのでしょうね。

「令和」になったばかりの今は「令和」と煽るし、今年いっぱいから来年の春先までは「令和最初」と煽ったりするかもしれないが、その後は「令和」はあまり言わなくなると思うんですよ。

去年夏から先月にかけても「平成最後」と使ってたけど、それまでは「平成」をあまり意識してなかったし。

それも世代間にもよるが、昭和生まれ(末期生まれは別かもしれないが)の人は昭和時代に和暦中心で年号使ってたのでその癖がそのまま残ってたりするが、昭和末期〜平成生まれの若い世代は年号は西暦中心を使ってたので、元号なんてそんな意識してないし、生年月日を書くにも西暦で書いてたりしてますよね。

そういう若い世代が今後「令和」を意識して元号使うとは思えないし、昭和生まれの我々も元号は意識しないでしょうね。
元号意識して年号使う人は今後少なくなっていくのではないかと思ったりしますね。


だからといって私は元号制度や天皇制には決して反対してるわけではありません。
元号も天皇制(皇室制度)ももちろん賛成だし、世界にはない日本だけにある制度だからそれは大事にしたいですね。

中には世界にはそんなもんないよとか反対してる人いますが、別にいいんじゃないですか?
反対する人は反対するで。

改元間近の先月末には秋篠宮の悠仁さまの通ってる中学校の教室に侵入して机に刃物が置かれた事件なってあったし、今週に入ってからは昭和天皇稜で自殺と思われる遺体が発見されたり、皇居周辺にドローンが飛ばされたりといろいろありますからね。


「令和」という元号に早く慣れたいですね。
平成よりはいい元号にするべく、私は最後まで生きたいですね。

最後は平成31年のうちに手にした「平成31年」の10円玉。
「令和元年」の硬貨は年内に見れるのかな?
 
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1989年(平成元年)1月8日から約30年4ヶ月弱続いた「平成」が昨日2019年(平成31年)4月30日で終わり、今日2019年、令和元年5月1日から新しい元号「令和」が始まりました。
平成最後のブログ更新だったが一昨日も述べたが、私にとって「平成」の30年間は青春そのものでした。
人生にとって一番成長したのがこの「平成」でしたが、とはいうものの私の場合はただただ歳をとっただけという感じもします。

昭和から平成に改元されたとき、私は中学2年生でした。
平成元年(1989年)が30年前なのが信じられないですね。今でも最近と思ってたりしますから。

私は平成の前半は沖縄、半ば前〜後半は東京で過ごしましたが、沖縄から初めて県外、日本本土へ行ったのは実は平成元年。中学3年の頃の修学旅行でした。そのときはフェリーで1日かけて九州へ行きました。

そして初めて本州、東京へ行ったのは1992(平成4)年、高校2年の終わりの修学旅行でした。

同じ日本であっても、沖縄と本土では文化や習慣が違うので、まるで別世界のようでした。
東京へはその後1995(平成7)年に1回旅行で行って、2002(平成14)年から移住してはや17年3ヶ月が経過しました。

私にとっては2度目の改元で、これで3つめの元号。
日本で生まれた人の多くは昭和生まれで3元号目になりますね。

昭和最後の日(1989年・昭和64年1月7日)も平成の初日(1989年・平成元年1月8日)も、そして平成最後の日の昨日も結局雨のどんよりした天気でした。

「平成」という歴史は思いもよらない自然災害の多い時代でその都度いろいろ考えさせられたこともありました。そして技術の進化が大きく成長した時代でもありました。

それでも日本では戦争もなく平和な時代だったのが何よりもよかったですね。

「令和」の時代も「平成」の時代を引き継いで、平和のままでさらに進化していってほしいし、自然災害が少なくなればいいなと思ってます。

元号の改元って、縁起の悪いときに起こることが多い中でこんなハッピーで祝福されるような縁起のいいことってそんなないですからね。そういう改元を迎えられたのはとてもいいことだと思います。

私にとって「令和」は中年から老いていく時代なので、最後まで生きていきたいですね。

「令和」の時代が平和な時代でありますように。

ありがとう「平成」、そして「令和」をよろしく。
平成最後の日だった昨日はこんなことやってきました。

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平成最後の日の夜に東京・北区昭和町の明治通りで大正製薬の「リポビタンD」と明治の「R-1」を飲む。
一番下の画像はさらに明治通りの昭和町二丁目交差点そばの昭和シェル石油(出光昭和シェル)近くで同じく大正製薬の「リポビタンD」と明治の「R-1」をやってきました。

その前日の一昨日は平成最後の「昭和の日」で大阪市大正区のJR大正駅で明治の「R-1」を飲む人が続出してたみたいで、関東でもどこかできないと思ったら偶然明治通りを見つけました。

リポビタンDやR-1ってたまに飲みますからね。

昼間に撮影すればよかったが、時間が遅くて夜になったため撮影するのが大変でした。
こういうネタ、自分でやってみると楽しいものですね。

平成最後の月

いよいよ30年4ヶ月弱続いた「平成」も今日と明日を残すのみとなりました。
一つの時代が終わるのに、なんか1年が終わる年末のような感じがしません。
元号が「平成(31年)」から「令和(元年)」に変わっても西暦は2019年のままだし。
平成最後の日の明日も、令和初日の明後日も仕事ですし。
ゴールデンウィークが天皇の譲位(現天皇退位〜新天皇即位)と元号改元で5月1日が祝日になったことで10連休になったから、例年とは少し違う感じはしてもなんか実感がわきません。

そんな平成最後の月の4月ですが、満開の桜を見ながら4月の初めを過ごしました。

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今月の半ばには関西へ行くつもりで2年ぶりに京都の桜でも満喫しようかと楽しみにしてました。
ところが、その直後に食あたりにより下痢でかなりのひどい腹痛に襲われ、数日間は飲み物を飲む程度で食べ物も口にできず1週間も仕事を休む羽目になりました。
そのせいで、関西への旅行も中止しました。行けば上京してから10回目の関西でした。

1週間ほとんど外へ出ることなく安静にしてたので外の様子はほとんどわかりませんでした。歩くだけでもかなり苦しかったですね。
休み明けに仕事に復帰した日の昼食時に撮った都内の桜。

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葉桜が混じってたがほんとに気持ちがよかったですね。
元気だったら関西へ旅に行ってたと思いながら1日を過ごしてました。

その後は体の調子も戻り、普通に過ごせるようになりました。
やはりあの1週間は「失った1週間」でしたね。

今月は寒暖の差が激しく、服装の調節も微妙でしたね。


何もかもが「平成最後」と煽ってましたが、私にとって「平成」は青春の30年でした。
だが、何も成長できずに歳だけをとってきた30年でもありました。

平成の前半は沖縄、半ば前から後半は東京で過ごしてきました。
ほんとにいい時代、想い出の詰まった楽しい時代だし、苦しい時代でもありました。

次の「令和」は中年〜老年にさしかかる時代になっていくでしょう。
「令和」時代は最後まで生き抜きたいですね。

あと1日ありますが、普通に過ごして、夜はテレビを見て最後を過ごしていきたいですね。
今月30日に現在の天皇陛下が退位され「平成」が終わり、来月1日から皇太子殿下が新天皇に即位されるのに伴う新しい元号が今日昼前(午前11時40分頃)、菅義偉官房長官の手によって発表されました。

新しい元号は令和(れいわ)」であります。

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 (時事通信より)

明治のま行(M)、大正のた行(T)、昭和のさ行(S)、現在の平成のは行(H)は使えないから、それ以外になるからあ行(A、I、U、E、O)、か行(K)、な行(N)、や行(Y)、ら行(R)、わ行(W)、濁音(が行=G、ざ行=Z、J、だ行=D、ば行=B)、ぱ行(P)のいずれかになるが、あ行とか行とわ行のいずれかがくると思ってたので、ら行は意外でしたね。

これまでの元号は中国の古典を由来にしたそうだが、今回の「令和」は初めて日本の古典歌集「万葉集」を由来にしたそうですね。
日本の古典からの元号が用いられるのはなかなかのものだけど、なぜ今までそうしなかったんだろうね。

今回の新元号発表にあたっては「令和」も含めて6つの候補が挙げられていて、うち3つは日本の古典、残り3つは中国の古典からになったそうです。
なお、「令和」以外の落選5候補は公表されることはないとのこと。
まぁ、そのうちだいぶたってから言っちゃうんじゃないの?

今は言わないほうがいいに決まってる。せっかく「令和」に決まったのに、落選したものを公表したら「やっぱ、あれがいい」とか言い出したら、「令和」が台無しになっちゃうからね。

しかも、今回は情報漏洩にも徹底してたみたいだし、菅官房長官の発表まで一切洩れることなくここまでいけたよね。
 
でも実際はどうなんだろうね?
私は新元号発表の瞬間をNHK総合テレビで見てたのですが、発表とほぼ同時にテロップ(字幕)表示してたし(民放キー局もそうだと思うが)、画面上のニュース速報にもすぐに出てましたね。
 
あれって「令和」と出たらすぐ入力できて表示できるものでしょうか?(それ以外の文字などはあらかじめ入力してあると思うが)
 
報道協定とかあってごく一部に洩らしてるじゃないかと疑ったりもしますね。
 
実際のところ、選定委員会前に委員には携帯電話を預けるとか、元号を決める閣議前には携帯の電波を遮断するとかのかなりの徹底ぶりだったみたいですね。
 
平成時代の前期にインターネットや携帯電話が普及し始めたから、ここで洩れちゃうとすぐに拡散しちゃうからね。もし万が一洩れたら差し替えるとかとも言ってたみたいだし。
 
東京ではテレビ東京やTOKYOMX(メインチャンネル)も含めて、地上波テレビではNHKEテレ(教育テレビ)を除くすべてのチャンネルで新元号発表の特番をやってました(その後の安倍首相の会見時にはテレビ東京のみレギュラー番組を放送)。
 
新元号が発表されたと同時に早々と「令和グッズ」が発売されてたみたいですね。
テレビのニュースで「令和」と書かれたTシャツとか見てると「早っ!」と思っちゃいました。
あと、「令和」と書かれたお菓子とか人生ゲームの「令和版」とか、ほんとにやること早いよなぁ…。
 
広島・福山市の金属加工メーカーでは発表からわずか約2分半で「令和」と書かれた金属カップを製作したとか…。
 
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会見のテレビ中継で映し出された「令和」の文字を写メして製作したそうだけど、まさに今じゃできないよね。昭和〜平成の30年前じゃ、まずありえないよね。
これも文明と技術の発達ですね。

昭和から平成に改元したのは昭和天皇が崩御された30年前の1989年。

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1989(昭和64)年1月7日に小渕恵三官房長官(当時)が新元号「平成」発表されたときの画像

1989(昭和64)年1月7日、私は当時中学2年生でこの日は学校でした。
朝起きたときに「昭和天皇が危篤状態」と知り、登校して亡くなられたことを知りました。
「崩御」という文字を初めて知ったのもこのときでした。

この日の新聞の夕刊には「昭和天皇崩御」と見出しで書かれた新聞が多かったが、私の故郷の沖縄の新聞県紙2紙(沖縄タイムス、琉球新報)は「崩御」の部分が「ご逝去」という見出しでした。

昭和天皇は戦争直後、北海道から鹿児島まで各道府県訪問されたそうだが、唯一沖縄だけは27年間もアメリカ軍の施政権下におかれたというのもあってかなうことができず、1987(昭和62)年には沖縄で国体も開催され、沖縄行きたかったそうだが病状悪化で断念。結局天皇在位中に一度も沖縄へ行くこともなく亡くなられたそうです。
「天皇」として沖縄を訪問したのは平成に入ってから現在の天皇陛下が1993(平成5)年に沖縄で全国植樹祭が開催されたときだったそうです。その後も何度か訪問され、去年には離島まで足を運んだそうです。

話は戻すが、この日は土曜日で授業は午前中のみで、午後は部活で学校に残ってたので、後に首相になった当時の小渕恵三官房長官の新元号「平成」の発表の瞬間はラジオで聴いてました。
テレビの映像を見たのは帰宅した夜になってからでした。

その当時、「平成」のほかに「正化」や「修文」という文字が候補に挙がってたようだが、いずれも昭和と同じさ行だたっため、平成に決まったらしいが、私が当時先生方から聞いた噂には「朝日」でした(ガセかデマだったかもしれないが)。

昭和の元号は64年(実際は「元年(1926年)」と「64年」がそれぞれ1週間だったため、62年と2週間)と長かったため、当時は日常生活でも年号は和暦(元号)のほうが普通に使われていて、元号抜きで年号で略してました(「昭和63年」なら「63年」)。
しかし平成に入ってからは次第に西暦に移り、和暦を使う機会はどんどん少なくなりました。

2000年以降は西暦でさえ4桁で言うようになりましたからね。

明治から一世一元となったため、明治〜大正(1912年)、大正〜昭和(1926年)、昭和〜平成(1989年)の改元時にはいずれも天皇の崩御によるもので、うち明治と大正の各天皇の崩御時は即日改元でした。

元号改元するときってだいたい縁起が悪いときに行うときが多いので、今回は天皇退位という和やかなムードと縁起のいいときに行うので、「平成」から「令和」に変わる瞬間をどう迎えるのか楽しみですね。

年越しならぬ「元号越し」のカウントダウンイベントなんかするのかな?

1ヶ月のテレビ番組表が掲載されてる月刊のテレビ雑誌には先月の段階ではNHK総合テレビが元号が変わる瞬間は「番組未定」と書かれてほかは、民放キー局ではレギュラー番組の編成が書かれてましたが、おそらく特別番組を組んだりして世替わりの瞬間を見届けるでしょうね。

新元号「令和」という文字は悪くはないと思います。
確かに「令」という文字は「命令」や「号令」というように従うような表現も文字になりがちだが、それをあまり意識しなければ悪くはないと思います。「和」という文字が和らげてくれますから。

西暦645年の大化の改新で初めて元号が用いられて250近く元号が使われてきたが「令」を使われたのはこれが初めて、一方「和」はこれで20回目。

日本の歴史で「令」といえば「律令」とか法にかかわるような文字だからまず元号では使われなさそうだよね。一方、「和」は日本のイメージにあるし、いろいろ和らげるというイメージがあるからね。

「平成」の響きがよかったので、「令和」のイメージがどれだけ響きをよくしてもらえるかということですね。
まだ「平成」のほうがいいといっても、そのうち慣れてきますよ。

30年3ヶ月20日続いた「平成」が今月で終わり、来月から新元号「令和」。
今月までは「平成31年」、来月からは「令和元年」。
「平成最後」と今月まではあおれば、来月からは「令和最初」とあおるんだろうなぁ。

「令和」の時代もいい時代にしてほしいね。
その前に「平成」最後の月も悔いのないように過ごさなきゃ。

台風21号と北海道地震

先週は静岡へ早起きで仕事だったりして11日も出ずっぱりで今週は仕事がなくダラダラと休んでますが、その間に予想もしなかった天災が2度も発生しました。
まずは台風21号。

一昨日、中心気圧945hPa、最大風速45m/sの「非常に強い」勢力で四国に上陸、その後関西を直撃し日本海を北上していきました。

「非常に強い」(中心付近の最大風速44〜54m/s)勢力の台風は沖縄や奄美、または小笠原付近に接近するときには時々あるが、たいてい日本本土に接近・上陸するときには「強い」(最大風速33〜44m/s)以下の勢力に弱まっており、「非常に強い」勢力で日本本土に上陸したのは1993(平成5)年の台風13号以来25年ぶりだそうです。この時も上陸したのが9月3日だったので今回とほぼ同じ時期ですね。

しかし、この台風の威力がほんとに凄まじかった。
暴風で屋根や看板が吹き飛ばされるわ、高潮や暴風で車が横倒しや押し流されるわ、広範囲で停電は起きたり、関西空港は滑走路などが浸水し、タンカーが連絡橋にぶつかったりして利用客が足止め食らったりしてかんづめ状態にもなるなど、関西を中心にかなり大きな被害が出ました。

テレビのニュースやtwitterなどのSNSでの動画投稿を見てると、まるで映画やテレビの特撮ものを見てるような後景が現実で起きてるのだからほんとに恐ろしいですね。

関西空港(関空)は9月4日が開港記念日。開港24年にしてこのような悪夢が起きてしまいました。
関西には関空のほかに伊丹(大阪空港)と神戸の3つの空港がありますが、関空がマヒするなんて想定もしなかったので初めて伊丹と(後にできた)神戸のありがたみがわかったと思います。

この台風は関空を中心にいろんな爪跡を残してますが、関空が関西で最も大きな空港だけでその被害も大きいことでしょう。
一昨日から一晩も足止め食らった利用客は昨日朝から夜遅くまで高速船で神戸空港へ、シャトルバスで対岸の泉佐野駅へそれぞれ脱出できたそうです。

関西では6月に大阪北部を中心とする地震、そして先月も台風でそれぞれ被害が出てるだけに甚大な被害だと思います。


そしてその台風が通過したと思えば、今日早朝3時過ぎには北海道南西部の胆振(いぶり)地方の厚真町で震度7の大地震が発生しました。速報段階では「震度6強」でしたが、後の状況で「震度7」に修正されました。

最大震度が震度6強と震度7とでは地震の規模も全然違ってきます。

北海道は場所は違えど地震がたまに起きてますが、震度6強や7クラスの地震は初めてだそうですね。

死者・行方不明者の犠牲者も出ており、土砂崩れや道路の損傷、都市部では液状化があちらこちらで発生しており、NHK総合テレビは地震発生後ほとんど地震速報のニュースばかりでした。

気象庁は「平成30年北海道胆振東部地震」と名づけたそうですね。

北海道は広大な面積で地震の被害はほとんど北海道全土で主に大きな被害をもたらしてるのは北海道西部なんですが、地震の影響は強かれ弱かれ北海道全土に及んでいます。

それは停電、一時期北海道全土にあたる約300万ヶ所が停電したそうですが、今日1日で復旧したのは約1割。道東や道北、オホーツクなどでは停電したまま。

地震そのものも強かったですが、今回の大きな被害は広範囲にわたる停電だと思います。

なぜこんなに停電起きるのかと私も思ったが、今回震源に近い火力発電所が北海道の電力の半分も賄っており、その発電所がダメになると他の発電所も連鎖的にダメになり、結局北海道はすべて停電になってしまうようですね。「ブラックアウト現象」とも言うそうですが。

そもそも北海道の主な発電所って道央や道南といった西部にしかないのも知りませんでした。てっきり、道東や道北、オホーツクにも発電所はあるのかと思ってました。

そこでダメになれば全道の電力がダメになり、ひいては自家発電あったにしてももう当てにならないということですね。

地震で電力のことを考えるようになったのは2011(平成23)年の東日本大震災で福島第一原発事故が一番記憶に残ってとても大きな被害だっと思いますが、今回はそれに次ぐ被害だと思います。

地震が起きたのが9月という初秋だったのがよかったが、これが冬とかもう少し前の夏とかだったらどうなったでしょうね。

北海道には原発もあるそうですが、今後どうするんでしょうね。

再生可能エネルギーもいいのですが、北海道はもっと発電箇所を分担したほうがいいように思えるが、広大な面積なわりには人口は道庁所在地の札幌市周辺に集中しており、札幌から離れれば離れるほど人口は少ないためなかなか難しいとこがありますね。

電力が復旧するのに最低1週間はかかるとのことですが、一日も早い復旧が待たれますね。

北海道の玄関口の新千歳空港もマヒ状態のほか、鉄道も動かなかったみたいですね。

札幌の「眠らない繁華街」のすすきのも今夜ばかりは停電で眠ってる状態で、自動車のライトだけが光ってましたね。


今年は夏あたりから大きな災害に見舞われてるが、今週これほど想定もしなかった甚大な被害が起きたのはこれまでないでしょうね。

これでいろいろ考えさせられるものになってしまいましたが、ただ驚くばかり。

関西にせよ、北海道にせよ一日も早い復旧と復興を望むしかないですね。

今年はあと4ヶ月近くあり、台風もこれから発生しては日本に接近すると思いますが、もう同じ地域に被害をもたらすのは勘弁してもらいたいですね。

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