上総歴史散歩・玉前神社の謎

ただいま古代の上総国を探究中です

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★ある日の玉前神社

平成21年7月7日(七夕の日)
*玉前神社は社殿が古くなったのでただいま復元工事中です。
復元改修工事は寺社建築で有名な金剛組が請け負っていますので、復元工事が終わるまで
このページで状況報告をしたいと思います。


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*復元工事を請け負うのは金剛組

金剛組は日本最古かつ世界最古の企業で、578年創業。
本社所在地は大阪府大阪市天王寺区四天王寺にあります。
NHKの番組で取り上げられたこともあるので、ご存知の方も多いと思います。

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*ここでは簡単に金剛組を紹介します


・寺社・仏閣・城郭・文化財建造物の復元、修理をする建設会社。
 現在100人以上の宮大工を抱えている。

・日本には金剛組の得意とする伝統的建築のライバル会社に、1586年創業の松井建設や
 江戸時代創業の鹿島建設・清水建設がありますが、創業の古さは金剛組がダントツです。

・578年聖徳太子が四天王寺建設のため、百済より招いた3人の宮大工の内の一人である
 金剛重光が創業、江戸時代に至るまで四天王寺お抱えの宮大工であった。

・古代には四天王寺(四天王寺は創建より現在に至るまで戦火や自然災害のため7度の焼失と
 再建をくり返した)、法隆寺創建・中世には大阪城建設、法隆寺の改築に携わったとされ、
 近世では1934年室戸台風で四天王寺五重塔が倒壊、第38代初の女棟梁金剛よしえのもとで再建される。
 (金剛よしえ…第37代棟梁金剛冶一の妻で、なにわの女棟梁と呼ばれた)

*この項ウィキペディアを参考にしました

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七夕の日に出会ったツアーの人達

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本殿の下にある手水舎

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鳥居の前の七夕の笹飾りが倒れたので駆けつける巫女さん達

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八方除けのカンバン(なにかお悩みはありませんか)

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現在では江上氏の「騎馬民族説」は否定されているようです。なぜなら弥生時代の遺跡から馬の骨が発見されていないことが根拠となっているようです。古墳時代の遺跡からは馬の骨が見つかっているそうですが、このため、騎馬遊牧民が日本に渡来していると考えている方は声が出せないか、あるいは小さい声で自説を語っているように思います。また、現在は騎馬民族→騎馬遊牧民と表現されることが多いようです。(モンゴルの至宝展)や(草原の王朝契丹展)の文物を見るとその見事さに圧倒されますが、一見してそれらが日本の文物と深い関わりがあることがわかります。私の考えではユーラシア大陸の草原地帯で栄枯盛衰を繰り返した騎馬遊牧民の国は世界の歴史に大きな影響を与えたと思います。そして、日本も例外ではないと思いますが、なぜか日本の古代史を語る時には話題になりません。

2013/6/5(水) 午後 6:24 [ 玉依姫 ] 返信する

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玉依姫 様 (三三三)
>騎馬遊牧民の国家でよく知られるのはチンギスハーンの興したモンゴル帝国の「元」ですが、この国家体系は異民族の(集合国家)であり……
……これまでも、外国からの古代の渡来文化について、コメントいただいていますが、交通不便な遠方からの事物や文化がはるばると伝えられていることには驚嘆すべきことです。まだ若かったとき京大が取材された【カラコルム】のスライドを観る機会があり、強い感銘を受けました。また、NHKが取材した【シルクロード(絲稠の道)】シリーズは、中国の長安と、イタリアのローマを結ぶ映像として紹介され【第一集】、【第二集】ともに大きな話題となりました。その後、ソビエト連邦が崩壊し、アフガンやイラン、イラクでは戦争が起きました。ネパールでは内乱があり、東西のパキスタンでは今も緊張が続いています。あの、バーミヤンの巨大な石佛が一瞬にして消え去るリアルな映像はいまも悲しい思い出です。

2013/6/8(土) 午前 9:22 [ japan_sansya ] 返信する

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玉依姫 様 (三三四)
>日本にも戦国時代がありました。そのイメージは戦に明け暮れ……
……ほんとうにそうですね。チベットや、ブルガリア、エジプト、パレスチナ、リビア、シりア……、最近では、北朝鮮の核問題、トルコの政情不安が取りざたされています。近代国家といわれる時代になっても戦火はやむことがありません。先に述べた【シルクロード】の取材もあの時代だからできたことで、現在では不可能ではないでしょうか。

2013/6/8(土) 午前 9:23 [ japan_sansya ] 返信する

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玉依姫 様 (三四一)
ここから仮説ですが……
【シルク。ロード】で知られる【絹の道】は、ローマ・長安を結ぶのみにあらず日本にまで達していたと推定されます。韓半島(朝鮮半島)から伝えられた織物技術は日本においてさらに高度に技術が磨かれ製品化された絹織物。なかでも華麗な【紗絹】や【羅絹】のような薄い絹で作られた【領巾・ひれ】は、古丹波(丹後)その他の各地で作られ遠くはなれた西欧の地までも商才に長けたペルシャの商人らによって運ばれたかもしれません。交易品のなかでも東大寺の【伎楽面】、【五弦琵琶】などは、中国、朝鮮にも実在しないことから、これらの國を経由しない交易路が遭ったことも考えられます。

2013/6/9(日) 午後 6:46 [ japan_sansya ] 返信する

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玉依姫 様 (三四五)
『萬葉集』の、柿本人麻呂が詠んだ【領巾・ひれ】。

あきかぜの ふきただよはす しらくもは
たなばたつめの あまつひれかも

夜空に耀く織姫(たなばたひめ)の領巾は純白なのでしょうね。秋空にゆらめいている白雲は織姫の領巾なのでしょうか。これを眺める牽牛の胸のうちやいかがでしょう。

2013/6/11(火) 午後 5:43 [ japan_sansya ] 返信する

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弥生時代の織物技術は現代人が考えるより高かったと思います。吉野ヶ里遺跡の出土品には平織りの他に(透ける布地)も発見されていて、これはしずか様の言われる(領巾)として使われたのかもしれませんね。染色技術も優れていて、吉野ヶ里ではローマ皇帝が羽織る、紫色のマントと同じ「紫の染料」を有明海の貝より抽出して、染色をしていました。日本から遠い地であるローマの貴族が好む(紫)を吉野ヶ里に住む人々が共有していたことは海路による交易が盛んであったことを裏付けるものではないでしょうか。

2013/6/12(水) 午後 5:47 [ 玉依姫 ] 返信する

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玉依姫 様 (三五四)
……椿(つばき)は、多くの人に愛される花で、果実からはいわゆる椿油を絞り、整髪料としてふるい歴史があります。伊豆大島がよく知られるように暖地性の花のイメージですが、海岸沿いに青森県にまで達しています。富山県では、平野部から山間部に入ると豪雪地帯でもありますが、【神通川】、【庄川】沿いの山間斜面には【雪椿(ゆきつばき)】が見られます。四月中旬になっても三メートルを越すような大雪に圧平されながらも、しなやかに、枝折れすることもなく、雪の消えたところから頭をもたげ開花します。その鮮やかな紅色はひときわで、小林幸子さんの「紅さす花は……」とはよくうたったものだと感心します。まさに、名歌ですね。寒いひと冬を耐えて越した雪国の人でないと、その実感はちょっとわかりづらいかもしれません。

2013/6/16(日) 午前 8:43 [ japan_sansya ] 返信する

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玉依姫 様 (四〇八)
これは仮説です。
円墳、方墳は、ときに混在します。数は少ないのが一般的ですが、これは、異族が一定の地域になかよく協同生活を営んでいたことを示すものではないでしょうか。全国には五例といわれる、【上円下方墳】は、上が円形、下が四角です。築造例が少ない古墳ですが、岐阜県の飛騨地方に、飛騨国衙のあった【国府町(現、高山市)】がありますが、国府町度瀬(現在は広瀬)に、上円下方墳があります。昭和初期に国鉄高山線が建設されたときに幾つかが破壊され現在はかろうじて残余の古墳が残ります。私説ですが、円墳と方墳が合体した形式ではないでしょうか。この国府町の【度瀬古墳群(わたせこふんぐん)】は、数に洩れているようです。

2013/7/2(火) 午前 10:27 [ japan_sansya ] 返信する

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玉依姫 様 (四〇九)
これは仮説です。
【双円墳】、【双方墳】と呼ばれる古墳がありますが稀少な例で、円墳、方墳をならべた形状をしています。きわめて近い関係にあった夫婦、あるいは、親子などの近親者の古墳ではないでしょうか。後世の【比翼塚(ひよくづか)】に通じるものと考えます。

2013/7/2(火) 午前 11:32 [ japan_sansya ] 返信する

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玉依姫 様 (四一〇)
これは仮説です。
日本の県単位に見る古墳の数は、兵庫県が第一位で、一万六千基強。第二位が千葉県で一万三千基強。第三位が鳥取県もおなじく僅差で一万三千基強、僅差で千葉県に続きます。ながらく日本の都であった大和國(奈良県)、山城國(京都府)を凌いでいます。しかも、千葉県の古墳は規模においても群を抜いた大規模なものがあります。これらの規模の古墳を築造できた当時の豪族の経済力、動員できた人力は尽大なるものがあります。その基底にあったのが製鉄による富の蓄積であることは、玉依姫さんのおっしゃるとおりでしょう。
その頂点に立っていたのが、香取神を祀った物部氏と、その配下の氏族ということになるでしょう。

2013/7/2(火) 午後 6:53 [ japan_sansya ] 返信する

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日本国内の古墳ランキングですが、しずか様が2位に挙げてくださった千葉県は、実は栃木県+群馬県(古代は1つの国であった)にかないません。栃木、群馬エリアに茨城を加えるといったいどれだけの古墳が造られたのか正確な数をとらえることは難しいと思います。
加えて高度成長期に住宅地や工場用地などで、破壊された古墳は数知れず、千葉県では東京湾側の木更津、市原市、市川市など古代に栄えた地域の多くが、土地開発で古墳を壊してしまいました。これは日本各地に共通することですね。たぶん諸外国も大なり小なり同じであると思います。

2013/7/3(水) 午前 0:05 [ 玉依姫 ] 返信する

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玉依姫 様 (六三四)
>目下のところ、「修験」=「鴨氏」に苦戦しています……
……【カモ氏】 の出自は、多くの謎があります。史書でもあまり触れられることが少ないようですね。
日本と朝鮮を考える上で重要な氏族だと思いますが、【金達寿(きむだるす】氏の著述『日本の中の朝鮮文化』には、なぜかほとんどでてきません。
奈良県御所市に鎮座する、高鴨神社(たかかもじんじゃ})、葛城御歳神社(かつらぎみとしじんじゃ)、鴨都波神社(かもつばじんじゃ)は、いずれもその創祀は葛城氏と、カモ氏(鴨氏、賀茂氏、加茂氏)に繋るとされます。いずれも延喜式に記載されるカモ氏系の古社と考えられますが、このことから、葛城氏と、カモ氏は近縁だったことがうかがわれます。

2013/10/10(木) 午前 10:01 [ japan_sansya ] 返信する

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玉依姫 様 (六三五)
>目下のところ、「修験」=「鴨氏」に苦戦しています……
……
高鴨神社(一名、高鴨社)
葛城御歳神社(一名、中鴨社)
鴨都波神社(一名、下鴨社)
( )内に示した、【高鴨社、中鴨社、下鴨社】の呼称は、いうなれば、いずれも【鴨三社】とも言うべき関係にあります。
ただ、祀られる祭神は若干異なっていて、高鴨神社の祭神は、
アジスキタカヒコネノミコト 阿治須岐高日子根命(迦毛之大御神)
シタテルヒメノミコト 下照比賣命
配祀
アメノワカヒコノミコト 天稚彦命

2013/10/10(木) 午前 10:03 [ japan_sansya ] 返信する

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日本と朝鮮を考える上で重要な氏族だと思いますが、【金達寿(きむだるす】氏の著述『日本の中の朝鮮文化』には、なぜかほとんどでてきません。・・・葛城氏と、カモ氏は近縁だったことがうかがわれます。・・・について

やはりそうでしたか。修験道からは朝鮮半島の匂いがしない(適切な表現では無いと思いますが、他に思い当たる言葉がありませんので使いました)ので鴨氏の出身地は東アジアではないと思っておりました。しかし、鴨氏は海の匂いのする氏族ですので交易を介して東アジアの国々と繋がっていたと推測しています。
鴨氏と葛城氏が近縁であることは上総国長柄郡の周辺地域にカモの地名があることと現在の奈良県御所市に百体観音が祀られ、上総の長柄地域にも同じく百体観音が祀られていることから以前より同族ではないかと思っていました。また、葛城氏は豊受大神を祀っていたということですので、鴨・葛城両氏族は豊受大神の出身母胎ではないかと思われます。

2013/10/11(金) 午前 0:13 [ 玉依姫 ] 返信する

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玉依姫 様 (六三六)
>目下のところ、「修験」=「鴨氏」に苦戦しています……
葛城御歳神社(一名、中鴨社)の祭神は、
ミトシノカミ 御歳神を
配祀
オオトシノカミ 大年神
タカテルヒメノミコト 高照姫命
となっています。神社は【御年山(みとしやま)】の山麓にありますが、この山は御神体山、つまり神南備山です。

2013/10/11(金) 午後 6:41 [ japan_sansya ] 返信する

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玉依姫 様 (六三七)
>目下のところ、「修験」=「鴨氏」に苦戦しています……
鴨都波神社(一名、下鴨社)の祭神は、
ツミハヤエコトシロヌシノミコト 積羽八重事代主命
シタテルヒメノミコト 下照姫命
配祀
タケミナカタノミコト 建御名方命
となっています。

2013/10/11(金) 午後 7:00 [ japan_sansya ] 返信する

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玉依姫 様 (六三八)
>目下のところ、「修験」=「鴨氏」に苦戦しています……
…… 高鴨神社(一名、高鴨社)、葛城御歳神社(一名、中鴨社)、鴨都波神社(一名、下鴨社)とよばれるように、上(高)、中、下で構成される、【鴨三社】 ともいえると考えます。
京都市の賀茂別雷神社(上賀茂神社)の祭神は、カモワケイカヅチノオオカミ(賀茂別雷大神)。
おなじく、賀茂御祖神社(下鴨神社)の祭神は、タマヨリヒメノミコト(玉依姫命)と、カモタケツヌミノミコト(賀茂建角身命)となっています。いずれも大和のカモ系三社よりのちの創祀ですが、やはり、上・下の構成になっています。

2013/10/13(日) 午後 8:06 [ japan_sansya ] 返信する

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これは、仮説ですが、三嶋系の神社もカモ氏の創祀と推察しています。
戻りますが、カモ氏は、北九州において海神氏と融和し、さらに日氏(仮称)と結んで勢力を拡大していったと推定されます。これは、日氏ー海神系・綿津見氏ーカモ氏が同じ地域に混在する例から推察されます。さらに和田氏が付随し、こののち、出雲系氏族が台頭するに及んで、出雲氏と友好的な関係を結んだのではないかと考えています。ジングウコウゴウ(神功皇后)は、伝承する話や、由緒のある地の多いのですが、実在が疑われる皇后です。その出自は、息長帯氏で、近江(滋賀県)北部とされますが。カモ氏からわかれた氏族とされています。
玉依姫さんのブログ冒頭は、千葉県の玉前神社ですが、やはり、海神系・綿津見と、カモ氏の存在がうかがわれます。

2013/10/13(日) 午後 8:07 [ japan_sansya ] 返信する

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一方で、大和の、葛城御歳神社(中鴨社)は、『日本三代實録』によ、貞観八年(八六六)に、朝廷が任命した神官を拒絶しており、その後も延々とこの拒否はつづいて、実に大正期まで神職がいなかったというお話が伝わっています。
おなジ、カモ惠の神社でこのように対象的な事例があることには興味を覚えますね。・・・について

貞観八年(八六六)から朝廷が任命した神官を拒絶している。時代的には清和天皇の頃ですね。清和天皇といえば「清和源氏」で知られます。この時代は藤原氏の娘達が朝廷への入内を独占していましたが、なかでも文徳天皇の第一皇子である惟喬親王(844−897)は本来なら皇位を継ぐべき第一皇子でしたが、権力者藤原良房の娘・藤原明子が産んだ清和天皇に位を譲り、大原の里に隠棲しました。
藤原良房は(房)が名前につくことから藤原4兄弟の内、房(総)国の流れと思われます。上総国には長柄郡があり、葛城氏も勢力を持っていたと推測しますので、もしかしたらこれが原因ではないかかと思います。

2013/10/13(日) 午後 11:18 [ 玉依姫 ] 返信する

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さて、ここで、前記の、カモ三社に戻ります。
わたくしは。カモ氏は、初代天皇を即位させた氏族と位置づけています。このことは、京都市下かも神社の祭礼・葵祭に、皇室から勅旨が立たれることでも立証されます。
一方で、大和の、葛城御歳神社(中鴨社)は、『日本三代實録』によ、貞観八年(八六六)に、朝廷が任命した神官を拒絶しており、その後も延々とこの拒否はつづいて、実に大正期まで神職がいなかったというお話が伝わっています。
おなじ、カモ系の神社でこのように対象的な事例があることには興味を覚えますね。

2013/10/13(日) 午後 11:49 [ japan_sansya ] 返信する

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