上総歴史散歩・玉前神社の謎

ただいま古代の上総国を探究中です

玉前神社の兄弟社

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古代の魔よけ

○(山東半島)と夷甚国造(NO4)
・古代の魔よけ

墓に入れられた桃人と桃枝


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馬王堆漢墓(湖南省長沙、紀元前二世紀の墳墓)より出土

上の写真は中国馬王堆漢墓(BC2世紀)より出土した桃人と桃枝です。
魔よけとして墳墓に入れられ、大量に出土しました。

日本列島の桃の存在は縄文時代後期からあり、弥生時代後期には大陸から栽培種が伝来し、大型化した。桃は食用のほか祭祀用途に用いられた。

・イザナキ、イザナギ神話に出てくる魔よけとしての桃(古墳時代)
「イザナキは黄泉比泉坂に至りし時、その坂本にある桃子三個を取りて、待ち撃てば、悉逃げかえりき」(古事記)

奈良県桜井市の箸墓古墳の近くの巻向遺跡より大量の桃の実が見つかっていますが、箸墓古墳にも祭祀用途の桃が入っているかもかもしれませんね。

*世界の桃の利用史
原産地は中国の黄河上流の高山地帯。ヨーロッパへは1世紀頃シルクロードを通り伝わった。ピーチ(peach)はペルシャが語源で、ラテン語の(ペルシャのりんご)から来ている。

つづく
○(山東半島)と夷甚国造(NO3)
山東半島の封泥(ふうでい)と卑弥呼の封泥
・東京国立博物館所蔵の封泥(2世紀頃)
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東京国立博物館
http://www.tnm.jp/


一月位前、奈良県の箸墓古墳に調査団が入ったというニュースがありましたが、ご記憶の方も多いと思います。
箸墓古墳は第7代孝霊天皇の皇女の墓とされ、宮内庁が厳重に管理する陵墓の一つです。大型の前方後円墳では最古のもので、墳長は280mもあり、現在の研究では、3世紀半ばから後半までの築造とみられています。卑弥呼は248年頃に没していますから、その墓ではないかと言う説があり、箸墓には常に注目が集まっています。

古墳の近くには広大な纏向遺跡が広がり、発掘調査により大きな建物跡も発見されています。もし、この遺跡が邪馬台国であるとするなら、そこには卑弥呼の宮殿があり、死してのち近くに墓を造って葬ったことになります。

*邪馬台国である決め手の一つに「封泥」が上げられる

「魏が文物を贈ってきた時の封に使った、漢字㊞が押された粘土が封泥で、開封した際の破片が出れば・・・
という記述を目にしたので、卑弥呼の時代の封泥を探したところ、東京国立博物館のコレクションの中に卑弥呼の時代に近い封泥を見つけました。(冒頭の写真)

*皇帝は紫泥を用いた
コトバンクで(封泥)を検索したところ、中国古代において文書や貨物を入れた袋、箱などを封印するためにかけた紐や検という木簡に付けた粘土。後世の封蝋にあたる。
封泥の色は普通 赭黄色であるが、深赭・浅赭・赭紅・灰紫などの色もある。
皇帝は紫泥を用いたという。

封泥は1822年に四川省成都で多数発見されてから注目を集めているが、山東省りんし(春秋戦国時代の斉の都)や朝鮮ピョンヤンの楽浪郡治址などから出土している。

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・中国山東省(泗水尹家城・なみだみずいいんかじょう)出土
春秋時代(紀元前5世紀)

つづく
○(山東半島)と夷甚国造(NO2)

・関東の縄文時代は国際交流が盛ん


前回は弥生時代に中国大陸より多くの人達が日本列島に渡ってきた。その多くはDNA解析の結果、長江流域〜山東半島からやって来たらしいと記しました。

しかし、それ以前の時代はどうだったのでしょうか?

・後期旧石器時代の遺跡(長柄町)
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後期旧石器時代は日本列島に本格的な人の活動痕跡が刻まれた時代である
狩猟を生業とする彼らは獲物の大型哺乳類を追い、生活必需品である石器石材の原産地へ足を運びながら、長距離を移動する生活をしていた。
写真はそのような生活をしていた人達の住居跡である。
(長柄町針ヶ谷遺跡・旧石器時代)

この時代の環境
・最終氷河期(寒冷期)であり、平均気温は現在より7~8℃低い
海面は130m前後も低く、九十九里の海岸線は現在より数十キロ先にあった。
東京湾は陸地(盆地)であり、そこに幾筋もの川が流れ込み、合流し、大河(古東京川)が流れていた。この時代東京湾が盆地であったということは日本海が現在よりも狭く、人々が大陸より渡ってくるのが容易であったのであろう。

カラマツ・トウヒ・などの亜寒帯の森林があったが、火山の噴火で、まばらな森林と原野が続く荒涼とした大地が広がっていたと推測されている。

しかし、1万5千年前頃になると、温暖化により、海面は徐々に上昇し、荒涼とした大地も針広混交林から、落葉広葉樹林へ変化していった。

縄文時代を迎えるとこの地域は深い森におおわれ、人々に自然の恵みをもたらすようになる。

*関東の縄文人の特徴

(参考:HP mtDNAからみた日本人の先祖より)
関東の縄文人のmtDNAはさまざまな亜型が比較的均等に存在するのが特徴で、東南アジアを中心に分布している亜型もあるが、中央アジアのような遠方に見られる亜型もあり、
現代日本人に多い亜型の割合が小さく様々な亜型が比較的均等に存在するのが特徴である解析の結果から見て関東縄文人の源郷としてアジアの狭い範囲を特定することは困難であるという。

縄文時代が一般に考えられているような鎖国的且つ閉鎖的な時代ではなく、開放的で交易なども盛んな時代であり、国際交流なども盛んな時代であったことを推測させる。

最近東京都世田谷区で、縄文時代の人骨が多数発見されたというニュースがあったが、
下の写真は上記の(HP mtDNAからみた日本人の先祖より)のデータ解析に使用された下太田遺跡(千葉県茂原市)の写真です。

・下太田貝塚後期中葉の墓域(写真は長生・夷隅の歴史より)
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この解析対象の関東縄文人は、大部分が縄文中期以降の人骨であり、この時点でこのような多様なmtDNA亜型が存在しているということは、縄文人が単一あるいは少数の集団から形成された単純な集団ではなく、長い年月の間に幾重にも集団の流入と混交があったことを窺わせる。(HP:mtDNAからみた日本人の先祖)より抜粋)

このHPを見て感じたことは、日本では一般的に縄文人とは「アイヌ民族」であるとの認識をしていますが、これまでのようにひと括りに「アイヌ」としていいのだろうかとの疑問を持ちました。

HPでは分析の結果、縄文人と渡来人に見られる明らかなmtDNA亜型の種類の違いはそれぞれが系統を異にする集団であったことを示し、現代日本人は在来系縄文人と渡来系弥生人の混血の結果成立したという。これは現在私たちが認識している結果と違わないと思いますが、mtDNAは「母系遺伝」のデータなので、それほど簡単に結論できるものではないとものべています。

いずれにせよ(縄文時代)の認識を変える研究結果と言えるのではないでしょうか?

現在、日本人が(単一民族)であることを信じている方は少ないと思いますが、1万5千年以上前から東アジアに限らない広い地域から、多くの氏族が日本列島に渡来して現在の日本人になったことがDNA解析の結果明らかになりました。
このことは縄文時代が日本の古代史を解明するうえで重要な時代ではないかと思います。

・参考:HP:mtDNAからみた日本人の先祖
    長生いすみの歴史

つづく

山東半島と夷甚国造

○山東半島と夷甚国造(NO1)
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前回は上総国玉前神社に伝わるウガヤフキアエズ命を育てた「甘酒」の話をしましたが、中国大陸の稲作が日本に伝わったのはBC1000年前後といわれ、弥生時代のことです。
(現在、弥生時代の始まりはいつなのか年代を巡る議論の決着は付いていない)

弥生時代に中国大陸から伝わった稲の他に、10年前岡山県の縄文時代の遺跡より(約6000年前)大量のプラントオパール(イネ科の植物の細胞成分)が見つかり、他にも陸稲(熱帯ジャポニカ)の稲の痕跡が、縄文時代の土器より発見され、少なくとも3500年前には陸稲による稲作が行われていたとする学説が多数発表されています。

縄文人も稲作(陸稲)をしてお米を食べていたようですが、主食ではなかったようです。
それでは、弥生時代のお米は主食だったのでしょうか?
ウィキペディア(弥生時代)によると、弥生時代 前期の収穫量は多いとは言えない。稲作の盛んなところでも、初期は一日あたり一勺程度、中期は6勺〜1合、後期でも二合を超えない程度である。不足分はひきつづき縄文時代よりの漁労・山の恵みでおぎなっていた。

弥生時代は日本の歴史上「文明発生」の夜明け前で、縄文時代の狩猟採集文化から定地耕作文化へ移行する農業革命の時代でした。
鉄器や青銅器が大陸から伝来、生産されるようになり、これらは稲作農業にも使われました。
この文明の利器を使った稲作農業はしだいに九州から東北地方まで普及し、稲を貯蔵する高床式建物が普及、土器は縄文時代の露天焼成から初期の窯焼成へと変わり、死者を墳丘墓に埋葬する風習もこの時期に生まれた。

・弥生前期の東北地方に水田跡
弥生前期には弘前市に小さな水田跡が発見されている。
弥生中期の青森県南津軽では、広範囲に整然とした水田区画が発見されている。
(寒冷地で水田稲作農耕を行っていた)

*上総国の情況
縄文時代は海が内陸まで入り込み(縄文海進・6000年前がピーク)現在の千葉県の約半分は海である。縄文晩期には海が遠くなったためか人口が少なくなった。

しかし弥生時代中期に人口が急増する。
*1世紀頃から木製農具・石製工具・鉄器も使用され水田稲作が広まる。(青森県南津軽の水田遺跡と同時代頃か)
大規模な村が形成され、環濠集落が出現する。
大形周溝墓が出現する。
(参照 長生・夷隅の歴史)

古墳時代になると平地の開墾が行われ、水田耕作の定着がうかがわれるが低地の開墾は容易ではなかったことが発掘作業でわかる。地域的には東京湾側が連続的に発展している。
(睦沢町歴史民族資料館 地域の古代史講演会より)

上記より上総国に弥生時代中期に稲と共に文明の利器を持った人々が移住してきた。
彼らは渡来人であることが推測できる。
(邪馬台国卑弥呼の時代より2世紀以上前である。)

彼らはどこからやってきたのだろうか?
稲の伝播経路を探していると興味深い説に出会いました。
(<研究ノート>
*山東省の古代文化と日本弥生文化の源流(考古学資料を中心として)  蔡 鳳書

(以下は蔡氏の論文を参考に記しました)

最も早い稲作農耕遺跡(今から1万年以上前)は中国の長江流域中部で発見されている。
そして下が現在最も信憑性のある日本への伝播説である。

・長江に沿って下る→江蘇省南部・拙江省北部→山東半島→遼東半島→朝鮮半島→九州

しかし、山東半島→九州へ稲作農耕の直接伝播もあったのではないか。

朝鮮半島は中国のイネが日本に伝わったルートと考えられているが、稲作農耕の始まりの年代が、大体日本と同じか、あるいは少し遅いことである。このことは山東半島の稲作農耕(ジャポニカ米)が直接日本に伝わったことを示唆しており、興味深い一説です。

・三東省のイネの遺跡と石刀
龍山文化中期〜晩期(BC2500~2000)このイネはジャポニカ米に属する
イネの収穫に使用する「石包丁」は中国では「石刀」と呼ぶが、日本の石包丁は形から見ると大陸沿海一帯の「石刀」とよく似ていて、山東半島の龍山文化時期と岳石文化(BC1600年前後)では石刀が多く出土している。
日本では弥生時代中期になると鉄製品の普及によって農具の大部分は石器から鉄製品に変わったが、イネの収穫に使用する「石包丁」は末期まで大量に使用され続けた。

近年DNAの解析が進み渡来系弥生人の多くは中国大陸の長江流域、山東省から来たと言われている。
これにより山東半島の歴史は、日本の古代を考える上で重要なヒントがあると思いますので、いましばらくお付き合いください。

・山東半島の東夷人
冒頭の写真の所が山東半島です。とても日本に近く、旧石器時代より古代の文化の発達したところです。今から八千年以前に西河文化が起こり、これは年代的には日本の縄文時代創世紀にあたっている。(日本との関係は不明)
中国で、もっとも古い時代より文化の花が咲いたところである。

・商(殷)と抗争「百タビ東夷ヲ克ツ」
夏の時代(BC2100〜1600)には古代中国の政治の中心地は今の河南省西部にあり、山東地区は当時の僻地であった。
だが、山東半島の「東夷文化」と、文化の創造者「東夷人」は有名である。商(殷)の時代(BC1600〜1450前後)になると、初めの頃は友好関係を維持していたが後半になると関係は悪化し、しばしば抗争した。

「百タビ東夷ヲ克ツという語はまさしく商(殷)王朝と東夷の激戦の状況を表した言葉である。

弥生時代に最初に中国大陸より多くの人々が海を渡り日本に移住してきたのは稲作農耕の伝来時期から推測すると、周と商(殷)の抗争時代からとも考えられる。

BC1100〜221年になると山東地区に「斉」・「魯」の両大国をはじめ大小さまざまな数十カ国がひしめいた。

天皇の一覧(ウィキペディア)によると神武天皇はBC660〜585の時代の人である。
しかし、神武天皇の出現以前に海を渡って日本に移住した山東半島の人々の集団もとうぜんあったことであろう。

つづく

○ウガヤフキアエズノミコトを育てた「あま酒」

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10日祭り(鵜羽神社)

このところずっと「車持氏」を追いかけつづけ、少し疲れたので気分転換をかねて上総国に祀られる
「ウガヤフキアエズ命・鵜羽神社」と妃の玉依姫がウガヤフキアエズ命を育てたと伝えられる「あま酒」の話をしたいと思います。

*1200年前より続く「上総十二社祭」

9月13日は1200年前より続く「上総十二社祭」の日です。
玉前神社社伝によると「上総十二社祭・裸まつり」を始めたのはヤマトタケル東征に随従し、後に左将軍となった大伴武日連が上総国造となり、その子孫である代16代田中権之亮盛長が大同2年8月(旧暦)神主となり、裸まつりを始じむとあり、玉依姫命が年に一度釣ヶ崎で兄弟等と再会する日、俗に「上総はだかまつり」とも呼ばれ、今日に至ると伝え、
また、一族の由来としては次のように伝えている。

上総国は、南九州と共に黒潮の文化圏に属し、早くから拓け、交流があった。
海神の娘、玉依姫を中心として女系集団が台風の季節、黒潮に乗って現(太東岬釣ヶ崎)に上陸。当地周辺を開拓し、玉前神社を中心にその勢力は次第に強大となり、上代東国鎮護の拠点となっていたのである。

上記の社伝を私流に推測すると下記のようになります。

この祭りは遠く弥生時代にこの地方を支配した物部氏の祭りで、古くは一族の祖である(豊玉姫・ホオリノミコト→木花咲夜姫とニニギ命の子・玉依姫・ウガヤフキアエズノミコト)をお祭りしていたと推測します。現在は日本の初代天皇である「神武天皇」の母君である玉依姫が「上総十二社祭」の主祭神です。

玉依姫は豊玉姫とニニギ命の子であるウガヤフキアエズ命を育て、後にウガヤフキアエズ命と結婚して四子をもうけました。末子のワカミケヌノミコトが神武天皇です。

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・鵜羽神社社殿

さて、「ウガヤフキアエズ命」ですが、お社は隣町の睦沢町にあります。
付近は丘のような山が水田をはさんでつづいていますが、その山裾にひっそりと鎮まるのが、ウガヤフキアエズ命を祭る「鵜羽神社」です。
鵜羽神社のお祭りは「十日祭り」と呼ばれ、上総十二社祭りの3日前9月10日にはじまります。氏子さんがお神輿を一宮町の玉前神社まで担いで練り歩き(玉依姫に会いに行く・古代の通い婚の形が残る?)そして3日間玉前神社に滞在し帰って来ます。

*鵜羽神社の伝説
お母さんの豊玉姫はウガヤフキアエズノミコトを産んだ時ワニになった姿をホオリノミコトに見られたのを怒り、妹の玉依姫にミコトを託し海に帰っていきました。
その時玉依姫はとても若く、ミコトにお乳を与えることが出来なかったので、自分のお乳の代わりに甘酒でミコトを育てました。
伝説に因み鵜羽神社では毎年「十日祭り」に甘酒を参詣者に振舞います。

「ウガヤフキアエズ命」は主に農業の神として信仰されていますが、玉依姫との間にもうけた子供は五瀬命(いつせ)・稲飯命(いなひ)・御毛沼命(みけぬ)・若毛沼命(わかみけぬ・神武天皇)です。

鵜羽神社に近い睦沢町大八木に鎮座する三宮神社には五瀬命(いつせ)・稲飯命(いなひ)・御毛沼命(みけぬ)の三兄弟が祀られ、大祭の日には神輿が氏子さんに担がれ、道中を練り歩きながら、玉前神社に到着し、休憩の後、ふたたび一族上陸の地である「太東岬釣ヶ崎」に向かいます。

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・稲花酒造の杜氏さん

*古代から今に伝わる「ウガヤフキアエズ命」を育てた「甘酒」
稲花酒造有限会社(一宮町東浪見)
古来より受け継がれてきた酒造りで玉前神社の依頼を受け神酒を醸造している。

玉前神社では大祭を終えると氏子さんが「どぶろく」と呼ぶ、「甘酒」の注文受け付けが始まります。
私もこの「どぶろく」を味わってみましたが、酒というより稲で作ったとても栄養価の高いオートミールのようなもので、赤ちゃんの「ウガヤフキアエズ命」がこれを飲んで成長したという言い伝えは素直に納得しました。
(後世、江戸時代も「甘酒」は夏季の滋養食として夏バテを防ぐためによく飲まれていました)

また、稲に関しては「秦伊呂具が裕福であることに慢心し、餅を的にして矢を射て神罰があたった」との逸話があります。
食糧に不自由しない現代人は感覚的にこの話の真の意味を理解することは難しいと思いますが、この「どぶろく」を味わったことで、元玉前神社本殿両角に飾られる「稲束」の意味と稲への信仰をほんの少し理解した気がしました。

この「どぶろく」はとてもおいしく、味わうごとに深い幸せと身体への滋養を感じました。(弥生人も同じ思いを抱いたのでしょうか)

稲花酒造有限会社の製品
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参考・ウイキペディア(ウガヤフキアエズ)

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