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昨日(正確には13日の明け方)、夢の中で私は神様から死を宣告された。残り24時間。
どうやら都会で一人暮らしをしている私は、真っ先に実家に帰り、コタツにもぐってテレビを見ながら最後の昼寝をしたい衝動に駆られる。そこは夢だから、次の瞬間実家のコタツへとシーンが進む。
母に、早口で「今日中にあたし、死ぬから、お願いだから、邪魔せんでね!テレビみたいから。」
起きて、まだ人生が続くことがありがたかった。まだまだコタツに入ってテレビ見る喜びを満喫できる。でも、朝方の夢は正夢になると言うから、今日一日気をつけて過ごそうと思ったのだ。
11:00、ヨガに来ています。インストラクターは、”正月太り”というフレーズを連呼する。自分は、3キロも太ったそうだ。脂肪が固まって身に付いて離れなくなるのは、一ヶ月が勝負だそうだ。まだ脂肪が柔らかいうちに、燃焼することが必要らしい。今日のインストラクターはやたらとポーズの時間が長い。燃焼モードに入っているからだろう。もう、限界だったし、今年の目標は、自分に無理強いさせないことなので、ちょっと休憩を取るため、休憩室へと飛び出した。
ヨガの雑誌がおいてあるので、パラパラめくっていると、魂についての記事があった。
人間の魂は、死んだあと、中間世というこの世とあの世の中継地点に行くそうだ。そして次に宿る肉体を決めるのだそうだ。それは、魂とはもともと光の球体で、完璧に完成されるまで転生され続けるという。そして完璧に球体となった魂は、神様を形成する一部になって戻っていくのだそうだ。それが私たちは神の子供、一部、神ご自身と言われる所以なのだそうだ。
魂は、中継地点で今世でやり遂げられなかったことを次世でやり遂げさせる。その為、生まれる時代、場所、性別、環境などを吟味するというわけだ。
魂に耳を傾けるということは、自分が生かされている意味をよく考えてみなさいということだと思う。魂はたくさんのヒントを人生に散りばめている。特に人物との出会いは重要らしい。前世との繋がりがある人もいるみたいだ。面白かったのは、魂でも、種類別があるそうだ。きじでは、それを劇団に例えていた。同じ種類の魂同士が集まったものを一つの劇団とすると、ステージは今世の人生で、たまたまその演目に必要な劇団員が、配役をもらって登場し、出会うというわけだ。魂の共鳴とは、軽軽しく口に出せないなと思った。
こんな感慨深い記事を読み、パワーアップして残りのヨガをしてきた。
家に帰って、また考えてみた。私の魂がヒントを出している・・・とは。
まず、父の存在が私の人生を大きく左右したと思う。父が他界したのは、不幸ではなかった。大変重要なキーポイントになっている。自分の接し得なかった人物を、創造し、模索する行為は私に自分の世界を持たせた。それは年頃になると、小説や映画や演劇に広がり、またそこから知的好奇心がどんどん出てきた。海外への憧れが第二ステージだと思う。
初めてのホームステイはオーストラリア。ホストファミリーは父親が単身赴任中で、父親疑似体験はできなかった。私を含め、5人の生徒中父親不在のファミリーは私だけだった。やはり縁がないのだ。
大学時代、再びホームステイを体験。場所はイギリスの田舎町。ホストファミリーは、一人暮らしの老婆だけだった。旦那を早くに亡くし、教会の敷地内に住む、いわゆるお堅いカトリック信者だろう。この時の海外研修参加者は、20人はいたが、父親不在のしかも一人暮らしの家庭は私だけだった。やはり縁がないのだ。
魂がヒントを出すことで最も有力な手がかりは、夢だそうだ。私は自分が死んだ夢をこれまでにも何度か見ている。強烈な印象を残したのはオーストラリアでの留学中だった。
私は真っ白な広い部屋にいて(ヨガスタジオを連想させる)、何体もある白い布の被さった横たわる遺体の中に佇んでいる。誰かが来て、恐ろしく長い鉄製の箸を渡し、自分の遺体を捜し、骨を拾えというのだ。何となく死んだことを受け止め、一つの遺体の前に座り込み、布をめくると同時に夢から覚めるという、夢だった。
最近は、昨日の死の宣告以外では、自分の葬式に自分が参列していて、号泣しているという夢だ。とにかく、夢でなかったらびっくりするくらい、号泣し続けるという夢なのだ。なんであんなに悲しかったのだろうか。自己愛が大きいのだろうか。
また、非常に興味深いのは、神のお告げの夢だ。狼が羊を追いかけて、逃げ場を失った羊がとうとう崖からまっ逆さまに落ちるのだ。羊はアニメーションのようにクルクル回転しながら落ちてゆき、なんと先ほど落ちたはずの崖の上に綺麗に着地して、なんと狼になったのだ。まさに輪廻転生という感じ。
神様が私の耳元で囁かれたのは、驚くべき(本当に驚くべき)宇宙の真理だった。ただの一言で済むような単純なことを言われたのだ。そのとき号泣したのは当然だった。しかも、目覚めてからも心がじんわり熱くて仕方なかった。ただ、その一言が思い出せない。もしかしたら言葉ではなかったのかもしれない。
それが昨日分かったのだ。ゴーギャンの「我々はどこから来たか、我々は何か、我々はどこへ行くのか」答えが。
我々は、神の一部から来て、我々は、神自身で、我々は神へと戻る。
ものすごく単純で、馬鹿らしくて、そんな事の為に生きていることの無力感の中に、大きな神を形成せしめる米粒より小さい(点でしかない)自分の存在に大きな意味を感じた感触は、夢での神様の一言を思い出させたのだ。
ヨガを始めたのも、きっとヒントだったのだ。精神と肉体と魂の重要さを知ったのはヨガがきっかけだったから。出会う人は、どんな人であれ、私の魂を完全な球体にする為に必要なのだ。
それがわたしの達成するべきことだから。
しかし、魂が完全な球体になるには今世の自分の力だけでは無理かもしれない。達成できないものを持って次世にいくかも知れない。父の存在も、前世で達成出来なかった何かと関係があるはずだ。
大きくいうと、宿命的に男との縁をこれほどまでに断ち切らざる得ない魂とは、前世でもしかして、私、とんでもない男狂いだったとか・・・。もしくは、ものすごい仕打ちをされて次世では、慎重になっているとか。もしくは男性の同性愛者だったとか。美輪明宏との出会いと関係ありそうだが。
こんな感じで自分の魂を考えてみた。決して無意味ではないはずだ。常にポジティブになれる。
「心の強い人は、たいてい心さえしっかりしていれば体は何とかなるって、体のことをばかにしているんだ。でも人って、ある線を過ぎると、今度は体が弱っていくことが心を引っ張っていってしまうんだ」よしもとばななの「ハゴロモ」にて引用。
そのとおりだと思う。(肉体改造に異常なまでに執着した三島由紀夫は、精神と肉体の関係性を知ってしまったのだろう)
私には、単身都会にて一人暮らしをしている友人がいる。私が思うにこの友人と私の魂は同じ種類だ。今世で何かの縁があって同じ舞台で何らかの配役をもらっているらしい。
どうやら、劇団員の中には、自分の配役に満足できずにいるものもいるようだ。はやくリタイヤさせてくれといっているものもいるに違いない。
私とこの友人はおそらく、遠くにいながら舞台では同じ場面に何度も登場するような間柄だと思う。鏡写しかもしれない。
だから音信不通になっても、魂は覚えているから大丈夫なのだ。
今日、この友人は、魂の存在を知ることが予め決められていたのかもしれない。それが私の魂の数々のヒントの集大成だったかもしれない。そうだとしたら、宇宙はグルグルグルグル回ってできていることが証明できる。やっぱり球体って永遠なんだ。
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今晩は。あなたが魂と言われているのはオーラの事ではないですか?私は胸の中にある魂は球体と思っています。そして本当はオーラは球体に成っていくような気がします。では。
2009/1/20(火) 午後 10:09 [ - ]
こんにちは。
前世中間世、摩訶不思議ですよね。
シェークスピアも何かしら言っていましたよね。
2014/4/19(土) 午前 1:54 [ kouitiz2000 ]