みやざき県庁職員日記

知事もすなる日記といふものを、県庁職員もしてみむとするなり

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 本県では、全国知事会を通じた宮城県からの要請により、4月1日から宮城県山元町へ職員を派遣しています。派遣された職員は、1週間現地に滞在して、避難所支援、支援物資の管理などの業務に携わっています。
 被災地の現状と今後の支援などについて、5月20日(金)に第4班〜第7班が知事、副知事に報告を行いましたので、その内容をお伝えします。
 
第4班(4/20〜4/26) 管理課 前田 直彦
 
 「建物や道路が壊れても、人々の絆は簡単には壊れない。しかし、時は着実に流れ、動くものと動かないものを顕らかにする。」
 
 私が現地での活動で受けた印象です。
 
 あれだけの大災害に見舞われながら、お互いに助け合い、懸命に生き抜こうとする被災地の方々の姿に、強く心を打たれました。と同時に、山元町が1日でも早く自立するためには何が必要か、県と市町村という関係で見たときにどのようにサポートするのがよいのか、ということを考えさせられた1週間でもありました。
 
 私たちが現地に入ったのは、震災発生からようやく1カ月が過ぎた時期で、被災者の方々も、また、役場の職員の方々も、発生当初の極度の緊張状態から開放され、少しずつですが、落ち着きを見せ始めた段階のようでした。そして、被災地を取り巻く環境も、いろいろな面で変化しつつある時期でもありました。例えば、自衛隊や他自治体からの人的支援の縮小、仮設住宅が完成間近、など。
 
 その一方で、役場職員の意識が、残念ながらその変化について行っていないのでは、と感じた場面もありました。もちろん、役場の皆さん方の事情を考えればやむを得ないと思います。多くの職員が被災され、震災後は1日の休みも取れない日々が続いてきて、ようやく一息つける状況になったのですから。
 
 しかし、状況が刻々と変化する中にあって、対応に遅れが出るのは、被災者にとっても、役場職員にとっても不幸なことです。だからこそ、あえて、外から入った私たちが、その意識を刺激してあげる必要があるのではないか。それこそが、ある意味で自立を促すことにつながるのではないか、と感じ、班内の職員にもそれぞれの現場で考えて、動いてもらいました。
 
 思った結果が出せたのか、あるいは、それ自体がよかったのかどうかわかりませんが、今後の支援のあり方を考える上で、ひとつの試みにはなったと思っています。
 
 
第5班(4/26〜5/2)  行政経営課 南條 寿文
 
 山元町に派遣されたのは、震災発生(3月11日午後2時46分)から50日を迎えようとしている頃でした。
 この頃には、震災当初、町内に十数カ所あった避難所は6カ所になり、各避難所では、基本的には被災者の方々を中心にした運営がなされているか、大規模な避難所では、これからの避難所内の自治の在り方などが検討されようとしていました。
 
 第5班の12人は、各避難所や支援物資集積所で、各種申請の受付、支援物資の在庫管理、その他避難所運営などに関するさまざまな業務に従事しました。
 また、4月1日からの本県における職員派遣の中で、今回、初めて各避難所(小中学校)での夜勤(宿直)業務にも従事しました。
 
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 (避難所での業務の状況)
 
 避難所などの運営には、被災者、ボランティア(宮城県内・県外)、地元企業からの派遣者、山元町職員、自衛隊、宮城県内外の自治体からの派遣者など多くの関係者が関わっています。  
 それらを取りまとめている山元町職員の方から、本県の職員派遣に対する感謝のお言葉をいただいたり、引き続き本県職員の派遣をお願いしたいことなどのお話を伺うこともありました。
 
 山元町では、4月30日から仮設住宅の第一次の入居が始まっています。
 現地では、まだまだ混乱が続く中、震災からの復興や日常化に向けて、関係者の皆さんが歯を食いしばってがんばっておられる姿に深い感銘を受けました。
 また、このような状況の中にあっても、現地で宮崎県の文字の入った作業服を着て業務に就いていると、被災者の方から「遠いところを御苦労さまです。」と声をかけていただいたり、こちらを気遣ってくださる場面もありました。
 
 現地での業務に従事してみて、本県としては、現地のニーズや避難所などの状況を把握しながら、今後とも支援を継続していく必要があると感じました。
現地の一日も早い復興を心から祈念しております。
 
 
第6班(5/1〜5/9)  商業支援課 湯浅 伸弘
 
 私たち第6班が派遣されている期間は、ゴールデンウィーク(現地はGWという雰囲気ではありませんでしたが。)ということもあり、避難所にも多くのボランティアの方が駆けつけて、髪のカットやマッサージ、足湯の提供など、さまざまな活動を行ってくれていました。
 このようなボランティアの方々の活動が、避難されている方の心のケアや不便な生活の支えとなっていました。
 
 ところで、現地のスーパーなどを見てみますと棚には商品が並んでおり、短期間での物流が回復しているところに、日本のすごさを感じたところです。
 地域経済のために、ぜひ、地元で買い物をしてください、ということも言われました。昨年の口蹄疫で県内の地域経済が落ち込んだ時は、多くの県外の方から、フェアなどを通じて、県産品を買っていただき地域経済を支えていただきました。
 宮崎から応援していきたいと思っています。
  
 私たちは、それぞれが短期の派遣であり、本格的な復興支援ということは難しいのですが、宮崎県の職員としての経験を生かして、役場の職員の方の手助けとなり、その分、役場の職員の方が町の復興に向けて取り組むことができれば、そのことが被災者への支援につながるのではないかと考えています。
 
 
第7班(5/8〜14)  市町村課 中田 時洋
 
 山元町に到着して、まず目に飛び込んできたのは、被災地の悲惨な状況でした。海岸から1km以上内陸部であるのに漁船が横たわっていたり、水田の真ん中に自動車が散乱するなど、ひどい光景でした。
 3月11日から2カ月経過しても、こういった状況だったので、津波の怖さと被害の甚大さ、早期復興の重要さを痛感しました。
 5月の中旬とはいえ、東北地方の朝晩は少し冷える日もあり、避難所での生活は、特に高齢者の方々・幼児にとっては大変だと感じ、1日も早く元の生活に戻れるような支援が必要です。
 
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 自衛隊、他県、ボランティアの方々などたくさんの方々が支援活動をされていらっしゃいましたが、私は、山元町役場の方々の一生懸命さに心を打たれました。自らも被災者であり、大なり小なり今回地震の影響を受けていらっしゃるにもかかわらず、避難所の運営や支援物資管理はもちろんのこと、今後の町のあり方の検討や県との連絡調整など、昼夜を問わず、また休日返上で業務に当たられている姿は、同じ公務員として本当に考えさせられ、基礎自治体の職員の重要さと業務の難しさをあらためて感じました。
 
 また、被災者との会話の中で、自治会、町内会などのいわゆる「地域コミュニティ」が非常に重要だったとの声を聞きました。人と人との関係が希薄になってきている現代社会ですが、有事の際には、地域の絆や熱い思いにより命が救われたり、復興のためには人と人とのつながりが重要だと知りました。
 
 短い期間で小さな支援しかできませんでしたが、避難者の方々からお礼の言葉をいただいたり、「宮崎も復興頑張れよ!」との声をかけていただき、本当にありがたく、逆に元気を頂きました。
これからも、一人一人が遠く離れた宮崎から何ができるのかを考えて実行することが、口蹄疫、鳥インフル、新燃岳で全国から支援いただいた恩返しになるものだと思います。
 
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