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宮中でソ内人に出会い、声を掛けてから一体何日が経ったのだろう。
ソ内人に会えずに居る此処数日間、一日がとても長く感じられ、チョンホの心に余計ソ内人への思慕が募っていった。
会いたい時に会えず、声を聞きたい時に気けず、今何処で何をしているのか、其れさえ聞く事の出来ない状況の中、ソ内人と会えない時間がチョンホの中で、ソ内人への想いを募らせる事に成っていた。
水刺間の傍で、ソ内人の影を求め佇んで居ると、必ずと言って良いほど副官のリュ・テジュンか兵士のコ・ドンヒョンが呼びに来るのだ。
今日も呼ばれ、執務室に戻って書類の整理をしていた処、ソンシクが夜勤の為に出仕して来た処だった。
「如何した?やけに機嫌が悪そうだな」
「別に、悪くは有りませんが」
「そうか?相当不機嫌そうに見えるぞ」
「・・・・・・」
「ああ、そうか!又水刺間の傍から呼び戻されたな」
ソンシクの、其の言葉にチョンホは驚いた様に、ソンシクの顔を見て居たが
「何故、水刺間の傍から呼び戻されたと分かるんですか?」
「お前、最近ソ内人に会えないから此の処,水刺間の傍に良く行って居るだろう。私が、副官達にお前を見掛けたら呼び戻す様に言って有る」
「何故、その様な事を・・・・」
「チョンホお前、自分が相当目立つと言う事を知って居るのか?大分女官の関心を引いているぞ」
「そんな、目立つとは・・・」
「まあいい聞け、お前は自分で気が付かないだろうが 女官達が、お前に見惚れて居る事等ざらに有るんだ。そんなお前が水刺間の傍で他の女官の事を知りたくてウロウロしてる。自然女官達の関心も、お前が何故水刺間を気にするのか、気に成るだろう用心しろと言った筈だ」
ソンシクの其の言葉に、チョンホは驚いていた。
今まで、女官を見る事も気に掛ける事も無く来たが、まさか自分が女官の感心を引いて居るとは、思っても居なかったのだ。
そう言えば、良く視線を感じた事が有り、振り向くと女官達が居た事が数え切れない程有ったが、まさか自分を見て居る等と思ってもみなかったのである。
「幾ら何でも、相手は女官ですよ。女官が王以外の男人の事を気にするなんて事・・・」
「ソ内人も女官だが」
「・・・・・・」
「気を付けろよ、女人の嫉妬程怖い物は無いぞ。女官達がお前に焦がれて、お前の一挙手一投足を見てるんだ。そんなお前の関心が他の女官に向いて居ると知れたら、如何成ると思う?」
「一体・・・」
「ソ内人の足を引っ張る女官が出ないとも限らん」
「そんな、ソ内人は関係無いでは有りませんか」
「だが、女人の心は恐ろしいぞ、自分に感心を持って貰えないと分かると、お前の感心を引いてる女官に嫉妬し憎悪が向く、ソ内人が大事なら自重する事だ」
ソンシクの言葉が胸に刺さった。
忘れて居た訳では無いが、ソ内人は女官だったのだ。
チョンホの向ける想いで、下手をするとソ内人に悪意を向けられるかも知れない、自分はどの様な処罰でも受ける覚悟が有るが、自分の想いにソ内人を巻き込んではいけないのだ。
『用心する事だ』ソンシクの言葉が、心の中で渦を巻いている。
チョンホは、ソンシクの忠告を受けて、水刺間の傍に行く事を止めて居た。
今日で約束をした日から、何日が過ぎたのだろうか?
一日千秋の思いで、ソ内人を待つチョンホに取って刻が経つのがとても遅く感じられ、一日が途轍(とてつ)も無く長かった。
顔に出す積りも無いが、そんな思いが如何しても顔に出てしまうのだろう、其の度にソンシクに注意をされて居るチョンホだった。
ソンシクや副官のリュ・テジュン、キム・ヨンテクと警備の事で話をしていると、取次の兵士が入って来てチョンホに声を掛けて居た。
「ミン従事官殿、水刺間の女官がお会いしたいと面会を求めておりますが、如何致しましょう?」
「分かった、すぐに行く」
そう言ったと思ったら、足早に執務室から飛び出して居るチョンホが居た。
「仕方のない奴だな」
ソンシクは、そう言って苦笑するしか無く、副官達も素早いチョンホの行動に呆気に取られて居たがソンシクの其の言葉に穏やかに微笑んで居た。
「普段、冷静沈着なチョンホでも恋の病には、勝てないと見える。お前達、呉々もチョンホが暴走しない様に見て居て呉れ、何か有ったら・・・私が殴り飛ばしてでも止めて見せる」
「従事官殿、其処までご心配為さらなくとも大丈夫だと思います」
「そうです、ミン従事官殿も良くお分かりに成っておられると思います」
「お前達にも苦労掛けるな、呉々もチョンホの事を頼む」
チョンホが飛び出た執務室で、其の様な会話が成されて居るとも知らず、只水刺間の女官だと言う事だけで飛び出して来たが、果してソ内人なのか?姿が見えるまでチョンホの中に不安が有った。
建物から出て、瞳がソ内人を捕えると今までの不安が消え去り、チョンホは顔が綻んで来るのを止め様が無かった。
久し振りに見るソ内人は、何故かやつれていて、チョンホは自分の知らない処で何が有ったのか聞きたい気持ちが湧き上がって来たが、踏み込んで聞くとソ内人との関係が切れてしまうかも知れないと思い、辛うじて自分の感情を押しとどめて居た。
「久し振りです。暫らく見掛けませんでしたが?」
「事情が有りまして申し訳ありません」
「構いませんよ」
「あとは、申し訳有りませんが書物を貸して貰えませんか?」
その言葉に、何冊か貸す為に用意がして有ったが、ソ内人が何の書物を望んで居るのか気に成って、何を貸そうか聞いて居た。
「今度は、何を貸しましょうか?」
「郷薬簡易方を」
「郷薬簡易方と言うと医書ですね」
「はい」
「医書も読むのですか?」
「事情が有りまして・・・」
チョンホは、ソ内人がやつれた事と何か関係が有るのかと思いつつ聞く事が出来なかった。
「ついて来てください」
ソ内人を教書閣に連れて行くと、素早く郷薬簡易方を探し出して渡していた。
医書を抱えるソ内人が、嬉しそうな顔をして呉れるのを心待ちにして居たが、見る事が出来たのは医書を抱えて思い悩む様なソ内人の顔だったのだ。
自分の前から、遠ざかるソ内人の後ろ姿を見て居たが何故か切なかった。
あれ程までに会いたかったソ内人だが、会う時間は短く言葉を交わす時間は尚短く、幸せな時は一瞬にして過ぎ去ていた。
会って居る時は、至上の喜びが有り、会えない時は寂しさに包まれる。
ソ内人の姿が完全に視界から消えると、会う以前よりソ内人が恋しく成っていた。
チョンホはそんな自分の感情に戸惑って居たが、ソ内人を想う心を止めようとは思わなかった。
執務室に戻ると、ソンシク達が何事も無かった様に警備の話を続けて居たが、ソンシクがチョンホの顔を見るなり
「随分寂しそうだな、もっと嬉しそうな顔をしてると思ったが、まあ恋の病とはそんな物だろうな」
ソンシクの言葉に、赤面するチョンホを見て、普段感情を出す事の少ないチョンホの初々しい一面を見た副官達は、何故か嬉しく成りチョンホの報われ無い想いを見守って行こうと心に決めて居た。
屋敷に戻ると、弟チョンウの婚姻の為に領地から戻って来た両親に挨拶をして、近情報告をしていたが、話がチョンホの婚姻の話に及ぶと話を誤魔化し、早々と両親の部屋を後にしていた。
チョンホは、自分の気持ちがソ内人に有る以上、其の想いを隠して他の女人を妻にする事が嫌でたまらなかったのだ。
ソ内人との婚姻が叶わぬ夢なら、例え報われ無い想いと分かって居ても、ソ内人の傍でソ内人を見守って居たいと思う自分が居た。
ミン家の事は、弟チョンウの婚姻が正式に決まると弟に任せられると安心が出来、心配する事も無く居たが、後は只チョンホに持ち込まれる縁談を何とか誤魔化してうやむやにするだけだった。
「チョンホは、何故あれ程婚姻を居やがるのか、チョンウは何か知って居ないか?」
「私は何も存じませんし、兄上は私には何もお話しくださいません。只私の婚姻を事の他喜んで下さっています」
「まさか、女人が嫌いと言う訳では無いでしょうね。男人の方が好みなのでは?ソンシク様とは事の他仲が宜しいようですし・・・」
妻の其の言葉に、苦笑いを浮かべて
「ソンシクには妻が居よう、チョンホは自分から言い出して女人と一度は婚約して婚姻直前まで行っているのだ、まさか女人が嫌い等と有る訳が有るまい」
「でも、今度の事で一族の皆さんから、総領息子を差し置いて弟に妻を迎えるとは如何いう事だと、お叱りを受けて困っています」
「何、気にする事は無い、チョンホにも何か考えが有るのだろう。もう少しチョンホの思う様にさせて遣ろうと思っている」
「旦那様は、チョンホ様の事が心配では無いのですか?」
「心配しても如何しょうも無いだろう。其れほど心配ならヨナとテジュンに聞いてみては如何だ」
「ヨナは身重で、亭主は遠方に居りますのにチョンホ様の事で心配事を増やす訳にも行きませんし、テジョンにも何もお話ししていない様ですし」
「なら、放って置くしか無い。まさか縛り上げて無理やり婚姻させる訳にもいかんからな」
そう言って笑う夫に、溜息をつく継母だった。
チョンホは夢を見て居た、憂い顔で沈むソ内人を慰めて居る自分がいて、何故か幸せだったが、現実では到底叶わぬ夢だった。
今は、夢の中だけでもソ内人の傍に居られる事が至上の喜びに成っていたのだ。
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