大戸観音のそばに地名の由来の記録がありました。 大戸は元禄三年(1690)から多摩群横山之庄「上相原村」が村名。通称は、 「大戸」と呼び、通称の方が近隣には知れ渡っていたので、大戸の呼び名は、 上相原村の屋号とも言える。現在の町田街道は、大戸街道と呼ばれたいた。 この街道が鶴間から分岐して秩父、高崎方面に向かう「鎌倉街道山之道」 と言われ、この場所から山路への入り口であり、横山之庄の相州口として、 大木戸番所が置かれたと伝えられ、大木戸をいつしか「大戸」と呼ぶように なった。 この番所の傍らに「了心庵」という草庵があり、後に八王子市山田の、 雲津庵の末寺で「祐照庵」と呼ばれた。 境内に観音堂が建立されたのが慶長元年(1596)で、当時から大戸の観音と 呼ばれ、門前には旅人宿や居酒屋が立ち並んで賑わい、鐘楼は八王子八景の、 景勝の地として「大戸の晩鐘」とうたわれている。 と言うことでした。 大戸の晩鐘 夕かすみ たつや大戸の 鐘の音に 妻木を負ふて 帰る里人 1998年3月 町田市教育委員会 とありました。 大戸観音の正面です、この晩鐘の奥に観音堂があります。 色々な方面に行くバスがあります。乗り間違えないようにします。 人気はありませんが、 細かく道しるべがあり、行きやすくなっています。 でもバスの数は少ないので、 予定を考えて近づいたほうが良いです。 地名に八王子が出てくるので遠くまで来たなあと思いました。 さおしかの部屋 |
境川を歩いてみる
[ リスト ]








梵鐘の奥に神社があると言うことは・・・神仏同居されているのですね。
2009/7/17(金) 午前 1:24
tiyakoさん、あれは観音堂というべきでしたね。訂正しておきます。
2009/7/17(金) 午前 6:32
鎌倉道山之道は鎌倉街道の裏道と云う事でしょうね!
多分昔表道をあるけない人たちの裏街道だったのでしょうか?(^^ゞ
2009/7/17(金) 午前 7:47
ヘラ釣り師さん、お説の通りかも知れません。町田街道が昔は鎌倉街道とも
いわれていたと言うので調べてみましたら、鎌倉街道には「上道」「中道」「下道」
とあったあったそうです。そのどの道かは分かりません。裏街道があったのですか??
2009/7/17(金) 午前 10:13