収穫と言っても、私の偏見の収穫かも知れないが、 前回の道を進むと、表示があった。 「八木重吉記念館」 内心「へ〜〜〜」だったが、写すものもないので写す。 表示を通り越すと今度は、 「八木重吉の生家」 があった。ここで生まれた人だったのだ。 と今更周囲を見ると、山に囲まれ、守られるような場所に、 その平屋はあった。森閑とした佇まいだった。 入る気にもならないので、そのまま行く。 八木重吉の詩集は持っていない。 でも奥さんだった人は知っている。 まあ、私が知ったときは既に八木重吉はなくなり、(1927年、10月26日没) 八木と友人だったという吉野秀雄というひとと結婚して後だった。 だからその人は「吉野登美さん」になっていた。 勤務していた場所の直ぐ側に家が「吉野家」あって、秋になると、 金木犀の香りがあたりを漂っていた。 帰宅して調べると、 「踏まれても 根強く生きよ道芝の やがて花咲く 春も来るらん」 の作者がこの八木重吉だったことがわかった。 この歌は、まだ少女時代に姉から教わった歌だった。 人生訓のように思い、 「堪える」とか「忍ぶ」とかの言葉は嫌いではなかった。 だから、他人には教えないが、妹には教えた。 啄木の、 「十七は 悲しき年よ灰色の 壁にもたれて 泣くことを知る」 も、従姉妹から教わったのを妹に教えた。 そんなことをワ〜〜〜ッと思いながらゆくと、 青少年センターへの道しるべがあった。 帰り道にバスもきそうないので生家の前を通ると、 老境の男女が詩碑を確認しながら、 入ってゆくのが見え、私も寄りたかったが、 何しろ全身汗ダクダク状態で、そ〜〜っと通り過ぎた。 八木重吉も、吉野秀雄も、登美さんももう既に亡い人です。 吉野さんは歌人ですよね。 お二人の詩集も、歌集も待たない私が、 こんなところで生前の噂を書くのは悪いかなと思いましたが、 毎年、10月26日の命日には八木重吉を偲んで、 「茶の花忌」が行われ、重吉のファンが集まる会があるそうです。 気が向いて、天気がよかったら行ってみたいなと、 ふっと思いました。 さおしかの部屋
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2009年07月16日
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