プロムナードの立て札には、 「保土ヶ谷の松並木」と題して、 わが国における街道松並木の歴史は古く、遠く奈良時代に遡りますが、 江戸時代に入ってからの1604年、幕府は諸国の街道に並木を植えるよう命じました。 以後、夏は木陰を作り、冬は風雪を防ぎ、植樹帯は旅人の休憩所となることから、 官民挙げて大切に保護されました。 保土ヶ谷宿の松並木はこの付近から境木まで3キロメートルあまり続き、 広重や北斎などの浮世絵にも度々描かれました。 昭和初期までは比較的良好な状態で残されましたが、時代と共に減り続け、 現在は権太坂付近に僅かな名残をとどめるだけになっています。 この松並木の復元工事業では、「上方の松原」と呼ばれていた今井川に沿った、 約300メートルの区間に松などの木々を数十本植えました。 「保土ヶ谷宿の一里塚」 松並木と同時期、街道の距離の目安として、 日本橋を起点に一里(約4キロ)ごとに築かれたのが一里塚です。 一里塚は、街道の両側に土を盛って小山を造り、 その上に遠くからも目立つように榎(えのき)や松などの木々が植えられました。 保土ヶ谷宿の一里塚は、日本橋から八番目の位置にあり、 現在の車道上にありましたが、古くから南側の一基しか伝わっていません。 その一里塚も明治時代の初め、宿場制度の廃止に伴って姿を失いました。 この度の一里塚復元事業では、設置する場所の制約から文献にあるような、 「五間(9メートル)四方」に相当する大きさの塚は築くことができませんでした。 が、塚の上には昔のように榎を植え、松並木と併せて宿場時代の再現に努めました。 東海道保土ヶ谷宿松並木プロムナード実行委員会 横浜市保土ヶ谷区役所 平成19年3月 と、ありました。時代の変遷を感じさせられる立て札に出会いました。 神社のちかいところにあるのがひょっとすると明治時代に植えられた榎かも しれませんと思い、カメラに収めました。かなり大きい木でした。 川を隔てたプロムナードより小高い場所にありました。 車道(国道一号線)側からみたプロムナードの様子です。 これが復元した松並木とありました。 まだ二年余りしかたっていませんが、機嫌よく育てて欲しいなァと思いました。 さおしかの部屋
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2009年11月19日
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