日記 2011年6月22日(水) 晴
今日、福島の友人からきた電話。
他の用事のついでだったが、厳しい日常が解った。
彼女の住む福島市内にも「避難」してくる人が続々来ているそうだ。
一戸建てを借りて住む人。用意された避難所に住む人。
サマザマらしい。
その人によって事情があるのだ。
ニュースでも見ていたが、
テレビを通しての話と、友人の肉声で聞くのは迫ってくるものが違う。
以前には言わなかったが、今日の話では、
地震による被害が家にあったそうだ。
現在、壁紙の張替えと外壁がまだ残っている。
業者と材料が間に合わずに今になっていて、
中々手が見つからないらしい。
幸い、雨漏りはなかったそうだが、
地震の度数は6度プラスだった。
壊れなかったのが不思議ぐらいの揺れだったそうだ。
旦那さんは今は原発から10キロ内の浪江町まで、
毎日、一時間半の道のりを往復して、
地下ケーブルの仕事をしているのだそうだ。
一番彼女が気にしていたのは放射線の量だった。
洗濯物が外に乾せない。出かけるときはマスク着用。
スーパーでも福島の野菜の側に、他の安全な野菜が並ぶ。
とか、色々話が続いた。
言ってはいけないらしいので書けないが、
「東京電力の福島原発に勤務している人のこと」
を、悔しそうに言っていたが、
そのことを書く任にないので、書かないが、心には留めておこう。
が、
そういうことはありがちだろうなぁと、勉強になった。
といったところで、何の足しにもならない。
地震のことや、原発のことは、岩手だったかしら、
自殺された方の言葉ではないが、
「原発さえなければ」
本当に原発など、安全でも何でもなかったんだと思う。
今日は国会では、結局70日の延長になったそうだ。
早く、
被災した人たちが安心して日々が送れるようにしてあげて欲しい。
そのための国会にして欲しいと思うのは私だけではないだろうと、
テレビのニュース、福島の友人の話を聞いて、
つくづく思った2011年の夏至だった。
さおしかの部屋
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