江の島の見える河口から歩き始めたのは昨年の暮れ、 12月24日でした。 2回目が今年の1月7日、 3回目が1月13日、遊行寺橋から金沢橋まで、 4回目が2月8日、金沢橋上から渡戸橋上まで、 5回目が2月15日、高鎌橋から下分橋まで、 この日は高座渋谷までが遠かった。 6回目は3月12日、大和高校下から大和橋まで、 ここまででサイクリングロードが終わるので、終わる心算だったが、 また歩き始めた、7回目、5月4日、大和橋からつきみ野駅下まで、 8回目はつきみ野駅下から、小田急町田駅の横まで、 今回が9回目、町田駅横からです。 まだ、新型インフルエンザは関東に来ていなかった。 のです。 気づいて振り向いた川下の景色です。 これと次の二枚が幸延橋。 この橋を渡って、日陰の道、神奈川県側に移る。 管理土地(東京)があります。神奈川県側なのにね。 桑の実、夏だねえ……。 字が読みにくいですが、「里親の林」の看板、東京か神奈川か表示がない。 町田駅までは順調でした。 駅から表に出て、さて、どちらが川だろうと検討のつかない、 方向音痴わからずや、 こっちと思っても、川の気配なし、 向こうから元気そうな男性が歩いてくる。 すぐ近くのしゃがんで煙草を吸っている男性は遊び人風、 元気な男性に、 「境川は?」と聞くと、 「ここに住んでいないので」という。 「境川は向こう……」と聞くのを避けた煙草の男性が教えてくれた。 お礼を言って指差したほうに行くと、 駐車場やら小田急の線路やらが行く手を遮る。 もう一度、駅の方向に向かうと、 向こうから老婦人、尋ねると、この広場の向こうに階段があり、 階段を降りると川の縁に出られますと言う。 老婦人は広場のある、建物に入っていった。「何とか会館」、 どうやら年配者の屯できる場所らしい。 広場を横切って、なるほど川が見えた。 階段を(4段ぐらい)降りると川の縁の道。 ちゃんと整えられている。 ここも、歩行者が保護される道らしい。 とっとと道を行く。 ひょっと見ると川は風に逆らいながら流れ下っている。 「エッ」 町田から境川に出るとと、素早く地図を頭の中に広げると、 ここは神奈川県側、川は反対に流れていなければならないのに、 「……?????」 私が川に出たなら左へいかなければならないのに、 左への道をとったためのロスを生み出したのだ。と思った。 誰も周囲にはいない。 しゅっと振り向いたまま、川の下る流れを見ながら、上る。 なんのことはない私は東京側に出ていたわけだ。 この日は風が強い、 でも、暑い。例の帽子の中にハンカチを入れての汗対策を、 整えてさあ、行くぞ! さおしかの部屋
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境川を歩いてみる
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前回の原町田の表示で町田市に渡っていましたので、 あとは一路、駅を目指しました。 川には鯉、鴨がず〜〜っと見えていました。 引地の鯉より大きい感じでした。 川も大きいから多分鯉の数は多かった感じがしますが、 鴨の数は少ないと思いました。 川でも比較的近くを流れていても個性があるのですね。 で、 町田市は大きく様変わりしていて、 駅前から出ていたバスは、現在はバスセンターからの発着です。 よって、以前に乗ったバスの発着所が判りません。 ラーメン屋さんもさっぱり判らないまま、 大きなバスセンターに恐れを抱き、 大きな、長いエスカレーターで駅(JR町田駅から小田急駅)に、 向かうべくエスカレーターに乗っかりました。 千寿橋は町田駅に最寄の橋でした。 JR町田駅から小田急町田駅に乗り換える通路です。便利になりました。 ここは実家に行くときによく通りますが以前に比べると、あり難い、 便利さです。 小田急への表示も大きくて見やすいですよ。 小田急のホームに着きました。やれやれです。 14時15分の普通に乗りました。大和で急行に乗るのが楽しみでした。 もう、一刻もはやく家に着きたい心境でした。マスクの人が多かったです。 電車は折りよく間もなくきました。 望んだのは急行でしたが、 急行は30分に一本ぐらいしかないようでしたので、 一歩でも藤沢に近づきたいので、止むなく大和まで、 普通電車で行こうと乗りました。 空いていて座席は確保でき、写してきた写真は、 大和までで、整理できました。 デジカメって、要らないと決めたら瞬時に消せます。 あり難いことでした。 今日は、つきみ野から町田まで、 いや、自宅までの歩数は13405歩でした。 お付き合いいただき有難うございました。 町田からは今のところ予定していませんが、 気が向いたら出かけます。 その節はどうぞ宜しくお願いいたします。 お疲れ様でしたね……。 さおしかの部屋
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例によって橋のすくない川です。 ここは上鶴間、谷口小学校を過ぎたあたりであった、 境橋を渡りました。 もう駅までは川は渡りません。 この町はもう随分前に町に出たことがあります。 なんとかいう資料館があり、 バスで息子と行きました。 そこで催される刃物の展示会を見るために行ったのですが、 まだ、縫い物をしていた頃、 展示会があるというので行ったのですが、 ラシャバサミはごく少なくて、多かったのは、 大工さんの使う鑿が多かったと記憶しています。 多分、20センチか25センチの鑿の鉄部分が研いだために、 15センチぐらいに減っていて、 職人さんがいかに道具を大切に使っていたかが理解できて、 貴重な見学でした。 その帰りに駅前のラーメン屋さんで、 遅い昼食(ラーメン)を息子と食べたのを思い出します。 もう、あのラーメン屋さんはないかもしれない気がします。 寄り付きにくいように巨大な町になっています。 渡ったのは境橋でした。 この橋には橋の表示がありませんでした。 変わりに道路の上部に地名としての表示がありました。 まだ、町の喧騒は聞こえていませんでした。 さおしかの部屋
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思わず足を止めました。 ムクドリが道にいたのです。 草の中から何か摘まんでいます。 「えさ?」 違います。ふわふわした羽毛のようなものを銜えては、 道に出てきます。 そしてまた草の中に近寄ります。 ムクドリは私の存在に気づき飛び去りました。 近寄ると、草の中にグレイの羽毛が、いや、鳥のようですね。 子供が外敵にやられたような感じです。 あれは親鳥? こんな思いをするとは……。 エライところに行き合わせたものです。 最後のは写真は「鵜」ですよね、 もしかしてと、 「鵜」を疑いつつ離れました。 もう直ぐ町田駅に着きます。 それには向こう側に渡らねばなりません。 1キロはないのかな? 早く帰りたくなりました。 さおしかの部屋
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お弁当の印象は特にない。 食事を軽く考えているわけではないが、 生活に重く取り入れているわけではなかったのだ。 だから、食事は質素に尽きる。 外歩きの食事はお握りが多くなるのは当然のことだ、 歩くことを重視すると、 食事は二の次になり、歩けたということで満足できる。 歩くことと、食事と両立するには時間が倍かかる。 そんな理由で、食事は軽くなる。 で、まあ、この日の食事はお握り、それもコンビニの棚からの、 調達だ。 お茶もそうだ。 場所は境川沿いの(上鶴間)。泉竜寺の上流のマンションの中の、 マンション住民のためのベンチだろう。 時刻は13時25分、お握りの入った袋を開けた。 大好きなお赤飯のお握りだ、もう一つワカメお握りもあるが、 さきにお赤飯に手をつけた。 ここで、もし、地震が起きたら、好きなお赤飯を残すか、 食べられらなかったら、一生後悔すると思うからだ。 昔は、好きなものは残しておいて食べるのを楽しんだものだが、 何時からだろか、 好きなものを先に食べるようになったのは……。 食べている間中誰も通らなかった。鳥も来ない。 それほど静かな境川のヘリの道、 この道は歩く人のために確保されているが、 あまり人とは会わなかった。 だから、 静にゆっくりと川の流れを眺めながらのランチの至福のひと時だ。 とか、いっても、たったの6分で私のお食事タイムは終わり。 お茶も戴いた。結局、ワカメのほうは自宅へのお土産になった。 歩くときは、お腹は満腹にしない、これ鉄則条件ね。 この知識はアースマラソンの○平さんのテレビを見ての教訓だ。 目的を大切にすると自然に食事より体調が大切。 食事のとりすぎは一種の満足感を持ち、 歩くことや、 マラソンを大切な目的と感じなくなる恐れがあるからだ。 ○平さんはそんなに細かく言わなかったが、 マラソンはやれないが、歩くということをやって見て、 理解できたことだ。 でも、そんなに体力を、必要といない歩くだけのことなのだから、 マラソンをする人よりは体力は必要ないわけだ、と考えた。 昔から、腹八分というが、この場合、腹六分が最適だ。 時間もとらなくてすむ。 写真は食事したベンチです。 さおしかの部屋
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