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三十三番札所中、光触寺は七番札所
今日はどのぐらい廻れるか?
タクシーで、行く。(880円也)12時に着いた。
12時から13時まで留守と言う案内に、
戸惑ったが、写真だけ戴く。
女性が二人迷っている様子だが、
明王院に先にお参りすることにした。
勿論、明王院から戻って、
ご朱印は戴いた。
明王院は八番札所
徒歩で明王院に行く。
川沿いの道は中々いい。
ここは金沢街道沿いで車が多いが川沿いは静かだった。
浄妙寺は九番札所
光触寺から、今度は明王院は通過して、
難問の浄妙寺へ。
以前行った時は葬儀中でと、ご朱印を断られたのだ。
が、
今日は偉そうな女性が書いてくださった。
報国寺は十番札所
報国寺に着いた。
お参りをして、ご朱印を書いてくださる間、竹林に廻ろうとすると、
「200円」と催促された。
奥に赤い毛氈が見えたが、
(抹茶を戴けるそうだが今日は遠慮する)
バス道に出たが、
バスの来るのには時間がある。
光触寺から雨が降り出していたが、やや、多めの雨脚になった。
が、次のバス停杉本観音まで歩く。
鎌倉駅には14時40分に着いた。
今日は15572歩歩いた。
さおしかの部屋
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寺社関係見聞記
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鎌倉三十三観音第六番札所
来迎寺から大塔の宮を経てきた瑞泉寺。
一時間ぐらいかかった。
三方に山が囲んでいるお寺。
山門をくぐって受付で200円入山料を払う。
パンフレットには、
瑞泉寺略史に、
鎌倉公方足利家四代の菩提所となった瑞泉寺は、
鎌倉五山に次ぐ関東十刹の首位に列せられ、
頭塔の数十余が知られております。
江戸時代には徳川家から庇護を受け、多くの高徳が住職をされました。
専門的な話ではありますが、
幻住派や古月下の禅風gあ歴代の住職により、
広く関東一円に広められました。
元禄二年(1689)に水戸黄門光圀公が上山、一覧亭を復興、
千手観世音菩薩を安置たこと、
嘉永四年(1851)に吉田松陰先生が叔父である、
瑞泉寺二十五世竹院和尚を慕って初めて上山、
後に二度訪問されたことなども、公にされているところであります。
とあり、
夢想国師と瑞泉寺の項には、
瑞泉寺は、鎌倉二階堂紅葉ヶ谷の奥に、夢想国師によって建立された寺。
庵は何れも景勝の地が選ばれていることで知られています。
ここ瑞泉寺も風向明媚な環境の中に、
鎌倉時代末期の嘉暦二年(1327)に創建され、山号を錦屏山と申します。
中略
夢想国師は作庭家でもあり、
ここの庭園も国の特別名勝に指定されています。
などがあります。
本堂。
椿。
山茶花。
今は花の時期ではなく、
花の寺でも有名ですが、水仙もロウバイも咲いていませんでした。
庭園も写しませんでした。
帰りは大塔の宮まで歩き(バスはないので当たり前)、
駅まで
今日はトータルでは12805歩あるきました。
さおしかの部屋
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鎌倉三十三札所・西御門まで歩く
駅から歩いた。
八幡宮の前を右手に廻り、
バス道を行く。このまま行っては間違いと気づいて、
大塔の宮の手前のお肉屋さんで聞くと、
手前の道を入って行くと教えてくれた。
100メートルぐらい損した?
階段脇の案内には、
宗派 時宗藤沢山清浄光寺末
山号寺号 満光山来迎寺
建立 永仁元年(1293)
開山 一向上人
本堂には本尊・阿弥陀如来坐像と、南北朝時代の仏師・宅間浄宏の作と
伝えられる地蔵菩薩像が安置されています。この地蔵菩薩像は、近くの
報恩寺(廃寺)の本尊でした。
本堂脇の如意輪観音像は「土紋」の装飾が、鮮やかです。「土紋」は、
鎌安倉特有の仏像装飾の技法で、練った土で作った文様を貼りつけ、
浮き彫りに似た効果を出すものです。厄除けと安産にご利益があると
されます。
入山料はなし。
とありました。
細い道を行くと、以前来た覚えのある住宅地。
右手ののぼり加減の道に入ってみた。
寺らしい雰囲気、近づいて驚いた。
因みに入山料なかったです。
意外な大きいお寺だった。
初めの石段を上がる。
二つ目の石段です。
本堂です。
次は、瑞泉寺です。
駅からここまで4500歩越えてます。
さおしかの部屋
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鎌倉三十三観音四番札所
良い天候の日に恵まれました。今日は長谷寺です。
細かく区切られた石段を上がり、
右に阿弥陀堂、その奥に本堂(観音堂)のみえる場所に着きます。
長谷寺のパンフレットには、
この寺は正式には、
海光山慈照院長谷寺(かいこうざんじしょういんはせでら)と号します。
往古より「長谷観音(はせかんのん)の名で親しまれる当山は、
奈良時代の天平八年(七三六)開創をを伝え、寺伝に曰く、
聖武天皇の御代より勅願所と定められた、鎌倉有数の古刹であります。
本尊の十一観音菩薩像は、
像高九、一八mにも及ぶ本邦最大級の木彫り仏であり、
東国を代表する観音霊場でもあります。
伝世する寺宝により鎌倉時代には一山としての寺観が整っていたとみられ、
同じ頃の成立と伝わる、
坂東三十三所観音霊場の第四番札所に定められた当山は、
諸方からの篤い帰依により、その法灯を今の世に伝えております。
なお、観音山のすそのから、中腹にかけて広がる境内は、
四季を通じて花木が鮮やかな彩りを添え、
また、遠く相模湾が望まれる眺望は、鎌倉随一とも賞されます。
ご案内
宗教法人 長谷寺
鎌倉市長谷3−11−2
入山料 大人300円、小学生100円
宝物館 大人200円、小学生100円
写経なども受けつけているようでした。
駐車場 普通車30分300円、大型車30分1000円。
と、ありました。
必ず写されている山門。
山門のなかの本堂までの山。
石段を上る上に見えた紅葉。
上がった右手に見えた鐘楼。
境内にあった、仏足、石を彫ったものかな?
本堂。この中に金色の観音様がいらっしゃる。
冬桜?
ウメモドキ。
西側の展望、海がよく見えた。
久しぶりの来た長谷寺、
本当に良い天気で、海はこんなご機嫌な海は、
初めて見ました。
さおしかの部屋
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安養院はツツジのお寺
鎌倉駅から徒歩で、15分かかった。
ここは初めてきた。
ツツジの花が咲くのよと、姉が言った通り、ツツジの木があった。
鎌倉のポータルサイトによると、
尼将軍と称される「北条政子(ほうじょうまさこ)」が、
夫の「源頼朝(みなもとのよりとも)」の冥福を祈るために、
佐々めヶ谷に建立した祇園山長楽寺が前身といわれています。
その後、鎌倉時代末期に善導寺の跡(現在地)に移転され、
安養院となったといいます。
1680年(延宝8年)に全焼。その際、かって頼朝に使えていた、
「田代信綱(たしろのぶつな)が、比企ヶ谷に建立した田代寺の、
田代観音堂を移築しました。
こうして「祇園山安養院田代寺」となります。
神奈川県鎌倉市大町3−1−22
JR鎌倉駅より徒歩10分
入山料100円
山号 祇園山
宗派 浄土宗
寺格 坂東三十三箇所第3番札所
創建 1225年(嘉禄元年)
開山 願行
本尊 阿弥陀如来
と、ありました。
本堂。
屋根の飾り?
つわぶき。
今日は天気がいい割に人は少ない。
ゆっくり出来た。
ツツジの咲く時期に来て見ようと思いながら今日は一山だけで帰る。
さおしかの部屋
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