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丘陵地帯を行く……
民家に咲いていた藤の花、今年初めてあいました
一つ目の坂の名前は久比里坂
二つ目は高坂、この間10分でした
蔵の案内板です。港が近いからあったようです。
周囲には見当たりません。この史跡の絵に残っているだけのようです。
この辺は右側に愛宕山公園(浦賀園)・浦賀奉行所跡・
ただの奉行所跡など、
寄ってみたいですが今回は見過ごします。
大きくカーブすると、
浦賀湾が右側に開けて、道路は平坦です。
右に浦賀湾が広がっていました。
今までの漁港とは雰囲気が違いますね
浦賀湾に面して西叶神社・その奥に高坂貝塚?……
ドッグを過ぎればもう直ぐ浦賀湾の、
一番奥の京浜急行の浦賀駅ですよ〜〜
実はこの写真の左部分は病院のようでした。
もっと右側がドック前でした。残念……。
思ったより浦賀駅は近づかないで、
途中で女性に道を聞きました。
女性は、このまま行けば「右」「左にあります」。
行って解りました。
カーブの曲がり角に駅があり、こちらから行くと右と、
思いますが、廻りこんでゆくと駅は左にかわり、
今来た道は馬堀海岸の方面から来た、
浦賀港線に突き当たる感じの道でした。
これからバスで観音崎に向かいま〜〜す。
さおしかの部屋
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三浦半島を歩く
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夫婦橋を初めて渡る
夫婦橋はコンクリートで出来ていました。
人柱になったという娘さんのことを少し思い出しながら……。
人柱なんてなるのも嫌だし、
他人を巻き込むのも嫌だなと思いながら渡りました。
今は人柱なんて風習はなくて、
どんなに美人でも人柱にはなりたくないと思うよね。
周囲の写真です。
花壇のヘリにマーガレット。秋にはコスモスが咲いていました。
以下は駅前から京急久里浜に行くまでにある花壇ですが、
いまは特に花は咲いていません。鳩がのんびり餌を探していました。
鳩がおどけているようですが、単にこけてるのですよ。
この表示の道は行きません。さおしかは「浦賀港」をめざします。
夫婦橋です。渡ります。
神奈川の橋100選とあります。
いよいよ上り道にかかります。
これからは暑いのが悩みの種になる歩きです。
大丈夫です、日陰もありますから……。
さおしかの部屋 |
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ペリー公園には……
開国橋の側の案内板
物の7分ぐらいでペリー公園につきました。
公園前の海です
公園の中です。大きな碑、木の記念碑、鎖と錨?
最後の写真はペリー上陸の記念に建てられたものの資料です。
一番大きな碑のことのようです。
横須賀市指定重要有形文化財(歴史資料)
としてあり、
「この記念碑は1853年7月14日に、ペリー提督が久里浜に上陸してから
48年後の明治34年7月14日、米友協会により建立され、碑の前面には
北米合衆国水師提督伯理上陸記念碑
の文字は初代内閣総理大臣伊藤博文(同会名誉会員)の筆。
建立の経緯は1900年11月に開かれた米友協会式典に出席したぺリー
とともに久里浜に上陸した退役海軍少将ピアズリーが、上陸の地に日米
国最初の接点を示す光景がないことを語り、聴衆に感銘を与えたことに
よる。人力は日本が主だったが、アメリカからも費用を募り、僅か8ヶ月
で落成を迎えた。太平洋戦争中のことも書かれていますが、終戦後の昭
和20年(8月に終戦)11月に復元され、現在に至っている。
このペリー上陸記念碑は、日本の近代の幕開けを象徴すると同時に日米
両国の国際関係の歩みを示す上で貴重な資料である。
平成19年3月12日指定
横須賀市教育委員会・平成19年10月設置
と書いてありました。少し省きましたけど。」
いまは日米で大きな問題は沖縄ですね。
沖縄のことでは密約が取りざたされてもいますが、
あのときの日本は、密約(国民には内緒の事柄)をかかえても、
生き残りたかったのでしょうね。
米国も日本を必要としたのでしょうね。
戦後の復元も終戦が8月で、復元が11月、大急ぎだったのでしょうね。
そんなことの積み重ねで、さおしかは安穏と、
生きて来られたのだと思ったりもします。
死なない程度のお給料で……。
など考えさせられることがあったたびでした。
家を10時半にでて、ここまで4時間半。
歩数は16000歩。家に帰り着いたときは19000歩を、
越えていました。
境川を歩いたときに22000歩歩けた時がありましたが、
本日も記憶に残る一日でしたよ♪
さおしかの部屋
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京急久里浜駅から開国橋までの歩きました
久里浜駅まではあっという間に着き、
時間的にはゆとりがありそうで、開国橋に行くつもりでした。
意外に遠かったです。
が、
平作川(ひらさくかわ)の川の縁は歩きやすい道でした。
夫婦橋、案内がありますがよく読めません。
横須賀風物百選によりますと、
「橋の歴史は330年前に遡り、海水の逆流を防ぐ水門が夫婦橋のはじ
まりです。川の中央に中洲があり、二つの橋が夫婦のように仲良くか
かっていました。それで名づけられたようです。
人柱伝説には、
平作川の洪水で橋は幾度も流されました。そこで、貧しい人夫の美しい
娘が神の怒りを鎮めるために犠牲となって橋の下に埋められました。
その後はどんなに大雨が降り続いても橋は流されなくなったそうです。」
という悲しいお話もありました。
平作川の眺めと川沿いの道。
開国橋には特に案内は見当たりませんでした。
ネットで調べますと、
横須賀の文化・歴史には、
「開国橋の向うは房総半島です。久里浜港に出入りする東京湾フェリー
の大きな姿や、沖合いを行く船を眺めることが出来、昭和20年代に埋め
建てられ、遠洋漁業の基地として栄えました。
開国橋の名前は、ペリー提督が上陸した地点に近いことから名づけられ
ました。
また、三浦半島最高峰の大楠山から流れ出る平作川は、場所により名前
を変えながら、60余の橋を通過して開国橋で久里浜港に注いでいます」
と、ありました。
この橋の先には地図で見ますと、
海上自衛隊病院、海上自衛隊の物資の施設とか、
横須賀刑務所久里浜少年院とか、防衛庁の施設とか、
お国の大切な?施設ですが、我々にあまり縁のない、
ところですので、行きません。
次はついでですので、もう一箇所行ってみたいところがあり、
案内には近そうですので、行って見ます。
帰りはバスがあるようですのでバスを利用します。
さおしかの部屋
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目指した病院前に到着、警官が警備?
いかついコンクリートの門柱が二本、
その中にバス停はありましたが、門の両脇に警官がいました。
門の中には他の警官らしい3人の男性。
赤い郵便車(ワゴン車)が荷台の中を調べられている風情。
ともかくさおしかはお水を飲みました。
そして生き返りました気分。さおしかには調べられる要素もなく、
バス待ちのベンチに安穏といられました。
バスの時間までは10分。なんて間がいいんでしょ♪
思わず口笛を吹きたい気分。
郵便車は中に入り、ものの2分もしないで走り去りました。
一人バス停に来ました。見るからにドクターという感じの男性です。
バスが来ました。実に何気ない京浜急行のバスです。
男性は、運転手さんに何かを確認してもらい、
座席に着きました。さおしかは例によって前の席ですので、
男性の動向はわかりません。
バスが発車して間もなくの景色
トンネルもバスだと楽チンのチン!
バスは程なくフェリー港に着きました。
遠くから気になっていたのは火力発電所でした。
写真はありません。
フェリー港は二度目ですが、規模が大きくなった?
後はこのまま帰るか?
ともかく京急久里浜駅まで行くバスに乗りました。
フェリーから降りた乗客と一緒です。
千葉からの帰りの人ですので華やかではなく、
物足りない雰囲気です。
さおしかの部屋
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