展示室のなかには数多い品物がありました。 何しろ大国のロシアを破った記念物があるのですから、 とても私の手に負えるものではありません。 階段を降りたり登ったりしてとった写真ですので、 出来るだけ載せたいのですが、 軍艦のものや軍人さんのものはよくは分かりませんのが実のところです。 艦を後にしての公園には石や木々を植えたなかにせせらぎがありました。 いかにも平和な水音がしていました。 帰りには町の手前で海軍カレーを購入してきました。 店員さんはどうも自衛官上がりのように見えましたが、 確認しないでいました。 しきりにかレーの販売状況を話してくれました。 私は具が少ないような気がしますので、 玉ねぎとじゃが芋と、豚肉を少し加えていただきました。 味はそのままで充分いけました。 店員さんの話では、 鎌倉・大船・横浜のデパートにも置いてあるそうです。 割りに手近で買えるのはありがたい情報でした。 さおしかの部屋
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旅の写真
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甲板からの景色は外洋ではありませんので、 港の風景にしか見えません。 それでも珍しいと感じたものを写しました。 といっても、私が珍と感じても他人がどう感じるかは不明ですが……。 感激は、Z旗と菊のご紋証と、軍人さんの重そうな服でしたが、 ガラスケースの中で、気づいたら私が写りこんでいました。 お目を汚すとおもいましたので、省きました。 私がいないのを選んで載せます。 達筆ですね、読めますか?昔の人は字が上手いですね。 中の階のとしたの階のがごっちゃになっていますが、 急な階段を登ったり降りたりで閉口しました。 でももう、軍艦の階段は急峻なのは学習済みですのでOKでした。 下の階には講堂がありました。 中に入って椅子には掛けられませんでしたが……。 ビデオ室も日本海海戦のことをやっていましたので、 子供の頃きいたままを再現して話したり画像もありで、勇敢な様子が、 よく分かりました。 これでは、日本は周囲に嫌われるなと思いました。 頭もいいし、戦術も長けていたわけです。 人間の特質は「嫉妬深い」訳ですから、少し長じるとすぐに打たれる訳です。 猫をかぶってみていきましょう! さおしかの部屋
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大滝というバス停から、徒歩7分です。 「三笠公園」というとすぐ分かります。 記念艦三笠の由来は、チラシによりますと、 古いことがよく分かりました。 日露戦争のときに活躍した船です。 存亡の危機に立たされた日本が心身の限りを尽くして戦った防衛戦争であり、 東郷平八郎司令長官が率いているわが国連合艦隊がバルチック艦隊を対馬沖に遊撃して、 圧倒的に勝利を収めた日本海海戦により戦争を終局向かい、ポーツマス条約が締結されて、 両国の講和が成立したのだそうです。 中略しますが、 歴史的大勝利に大きく貢献しました。 大正15年、このような栄光の歴史を持つ「三笠」を記念艦として保存することになr、 難工事を克服して現在の場所に固定され、以来、民族の誇りの象徴として、 親しまれています。 とありました。 三笠の略歴 明治35年 3月 1日 (1902) 英国ビッカーズ造船所で竣工 同 36年 12月 26日 (1903) 連合艦隊旗艦 同 37年 8月 10日 (1904) 黄海海戦 同 38年 5月 27日 (1905) 日本海海戦 大正15年 11月 12日 (1926) 記念艦 昭和36年 5月 27日 (1961) 復元 平成 4年 6月 8日 (1922) 海事遺産賞受賞 だそうです。 大きさも記してありましたが省きます。 猿島が甲板から見えました。 カップルものどかに見学です。 さおしかの部屋
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せっかく載せて写真も載せ、あと少しで決定としたかったのに、 |
この女の子の名前と童謡のことを聞いたのは、 勿論神奈川に来てからです。 しかし、湘南にいたのでなぜか横浜には馴染みがありませんでした。 神奈川に来てからも、一気に東京にゆくので、 横浜に友人が出来るまでは知りませんでした。 横浜の友人が教えてくれたのです。 女の子がいることを……。 女の子が山下公園のどのあたりにいるのかを知りませんので、 探すことになりましたが、 探すほどのことはなく、見つかりました。 女の子は海を見ていました。 本当に異人さんに連れて行かれた自分を思っているのでしょうか? 不思議な空間でした。 公園から見た「しらせ」と「きりしま」です。 赤いくつの女の子です。 日本の西洋理髪師発祥の碑がありました。 ふたたび、大桟橋の方の雲が見えました。 これで横浜散歩は終わりです。 半分ぐらいがバスの中でありがたかったです。 また残りのコースを廻ろうかなと思っています。 ここからは意外と近くに「みなとみらい」の地下鉄があり、 さほど疲れませんでした。 で、本日は9758歩歩けました。7月の25日でした。 さおしかの部屋
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