全体表示

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全40ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

 イメージ 4
 
 
 
 
  昨年の暮れにかけて 夫の年老いた長兄夫婦が相次いで亡くなりました。
冥福を祈るとともに
 
            それについて 不思議な感慨を持ちました。
  
イメージ 5
 
          
 
 
 
 
                           
      
     最初に兄嫁である義姉が亡くなったんですが、
  それから
  2週間目に 突然長兄が急に血圧が下がり、脈も触れなくなったため
救急車で病院に運び込まれました。
 
  早くも兄嫁の義姉が迎えに来たと、甥や姪、親戚の者たちが一様に思いました。
 親戚の者が駆けつけ、点滴治療など功を奏してか、奇跡的に蘇り、
それまであまりものをたべていなかったせいか低栄養状態だったのが
持ち直してきたのです。
 
 しかし、80代半ばを過ぎ、高齢で臓器不全もあって、予断を許さない状態には違いなく
いつどうなってもおかしくない状態ですと、医者からは言われました。
苦しむだけの延命治療はしないという家族の意向も確認されました。
 
 それでも、病院に運ばれて少しでも状態が持ち直すと、医者というもの、病院というものは
捨ててはおけないらしく、次々と新しい治療や点滴を 確認書を取って続けました。
 徐々に 腹水や、肺がんの存在も発覚し、胸水も溜まって
 何度も危篤状態に陥り、夜中とか甥や姪、我々が駆けつけると
看護婦さんが みんなが来てくれたよ、と大きな声をかけたり、
姪が
「父さん、わたしだよ!」と呼びかけると しばらくすると
脈が触れだしたり、ほとんど測れないぐらい下がっていた血圧があがってきたりするので
生命力を感じたり、寿命というものがあるんだなとおもったりしました。
 
イメージ 2
 
  長兄と 私の夫は 親子ほど年が違っていて、年老いた両親に代わって
夫は小学校の時から親代わりで、経済的にもバックアップを受けて育ちました。
           
 
 
   長兄夫婦は とても仲が良くて…というか兄嫁が夫である長兄をとても頼りにしていて
  二人が休みの日は揃ってドライブに出かけたりで、旅行したりしてました。
 
  長兄は 学者でよく本を読み、 退官してからも
 時には昼夜逆転で 割とマイペースな生活をしておりましたが、
 義姉は どこに行くのも長兄と行きたい気持ちがあり、
年老いた兄が あまり出かけるのを喜ばなくなってからも 
一人で出歩くのが好きではありませんでした。
          
 
 近年、足がもろくなり、車椅子に頼るようになっていた兄は
ほとんど昼間も寝たり起きたりしていました。
 お兄さんは置いといて、お姉さんは 好きなところに出かけたり、気分転換を
した方がいいのでは、と周囲が声かけても
私は 主人をほっておいて、自分ひとり遊びに行ったりするような女じゃありません。」
というほど一途な女性でした。 
 
         
   義姉は 数年前から 物忘れがひどくなり、同じことを何度も聞いたり、不安がって あちこちに電話しまくったり
 夜間徘徊も出始めて あれこれ、認知症の症状も進んで、常時見守り介護が必要となりました。
 昨年施設入所に至りましたが、 入所して三か月もたたない間に転倒して 大腿骨骨折となり
緊急手術をしたのですが、そのあと検査で脳腫瘍のようなものが見つかり、そのせいでの転倒
だったのか今となってはわからないようですが、入院して一か月もたたないうちに
意識不明となり10日ほどで、帰らぬ人となりました。 
 
       
 お葬式で、あんなにお兄さんが大好きというか 長兄なしでは夜も明けないぐらいの
こだわりの人だったから きっと一人で旅立つということはなくて
連れに来るんじゃないかと親戚の者も冗談ともつかない口調で話し合っていました。
 
 そうして 先に書いた通り、2週間目に 突然、長兄が倒れた時はびっくりしました。
義姉がこんなに早く…!?と。
 
  しかし、その後も 何度も持ち直して、 義姉が迎えに来ても?
長兄の生命力や、現世への執着心みたいなものが強くあるのでは、と甥や姪は
言っておりました。 
 長兄の方は 意識はあって、夫が駆けつけて名乗ると深く何度もうなずいていました。
 次第に衰弱していくのが見えるのですが、それがいつなのかということはわかりませんでした。
 
 時に意識低下をおこし、うわ言のようなものを言ったり、呼吸が荒くなって酸素吸入を
しながら肩で息をして苦しそうなとき腕を上げて虚空をつかむというか振り払うようなしぐさを
何度かしていると 姪が 今 かあさんが、父さんの腕を引っ張っているかもしれない、とか
 半分冗談ともつかず 今この病室に母さんがいると思う、と言ったりしました。
  そのように姪が言っても おかしくないほど 長兄の状態は一進一退でした。
 
    80を半ばを過ぎた老夫婦でそれなりに、一線から退いてより、
甥姪の負担も長く続いておりましたので、子どもたちも事態を割と冷静にとらえてはいました。
 
 そして、臓器不全も進み、腹水や胸水も溜まっているのでいつどうなっても
おかしくないと状態となり、夜中に危篤と呼ばれ、病院に駆け付けたのも
一度だけではありませんでした。
 死に目には付き添いたいという姪も、一進一退を繰り返しているうちに
死期が近づいているものの、皆が都合がつかない夜、明け方に
姪が一時間だけ 仕事を休む段取りをしに病院を離れたすきというか
誰もいない間に長兄は息を引き取りました。
 姪が死に目に会えなくてごめんね、と涙を流しましたが、
その亡くなった朝は 義姉の四十九日の前日でした。
 
 皆がいないほんの一時間の間に、義姉はギリギリ、兄を連れていったんだなと
つくづく感じました。
 甥も 母の執念のようなものを感じると言っておりましたし、
姪も 「母はきっと父を連れて行くと思っていた」と言いました。
「母は亡くなってから 私の夢に全然出てこない、きっと 父を連れて行こうと必死で
ヒマがなかったんだと思うわ、」と。
 
 お兄さんは 可愛がっていた娘(姪)が傍にいる間はまだまだ死にたくないという
執着心があったのかどうか、持ち直し、持ち直し、 倒れてから一か月経過しておりました。
  なので 夜中に皆が集まった時にでも 甥と姪は私の夫に
「 今日じゃないような気がするので 仕事もあるし、叔父さまは帰ってください」、と
死の2、3日前にも言ったりするほどでした。
       
  四十九日までは 中宥?と言って亡くなった人の魂は  
 あの世とこの世を彷徨っていると聞いたことがあります。
お姉さんは きっとお兄さんを連れて行きたかったのかなと思います。
 
 姪が 
まだ、この世で 仕事がいっぱい残っている人は道ずれにしないで
連れて行って良いと思ったひとをつれていくらしいし、父は 母と一緒に
言ってよかったと思うといいました。
        
 一口に80代と言っても元気かくしゃくとしている人もいれば、
寝たり起きたり病気がちで 俗世間から遠く離れていた人なので
親族一同、仲の良い夫婦が一緒に旅立って良かったんじゃないかと
言い合いました。
 
  体が弱っていたとはいえ、特に今年中は どうにかなるとも思えなかった
兄夫婦がたった49日の間に相次いで亡くなったのは 
 何かこの世で生きている人間の目には見えない不思議な力を強く感じました。
       
                     イメージ 3     
 
 
   よく仲の良かった夫婦が相次いで亡くなるとかいう話は聞きますが
  多分兄夫婦は仲がいいので 
 義姉が長兄を迎えに来るんじゃないかと 私自身も思っていましたが
 
    いざ本当にそうなってみると 不思議な気持ちでいっぱいです。
 
 
       お世話になった義兄夫婦の冥福を心から祈りたいと思います。 
 
 
 
イメージ 1
 
 
 
 
 
 
昨年 秋、 南イタリアシチリア島に夫の友達夫婦数組でツアーに参加しました。
 
 例年、晩秋でも日中は 薄い上着も脱ぐほどの気候だそうでしたが、
昨今の異常気象で、寒かったです。
 一週間のツアー旅行なので ケータイで撮った写真を見ても
どこがどこなのかよくわからない…
 
   ギリシャ遺跡巡りが多い中で、
 悠久の時間が過ぎ去っていったのを
遺跡の柱越しに見る青空とオリーブの木々の揺らぎに感じたかもしれません
 
イメージ 1
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 2
                 シラクーサの港の夕日
 
 
 
イメージ 3
 
 
          
 
街で見かけた首輪をつけたワンコ
 結構放し飼いが多いのか
 首輪をつけたダルメシアンとかもいた。
 
 このワンちゃん、お腹にはっきり
ハートマークが♥

新年に思うこと

イメージ 1   
  
   おめでとうございます。
 
      今年は健康第一、無理をせず、
 
      また、細々とでも興味を持ったことや、
     巡り会えた人たちを大切に
    日々を過ごしていけたらなぁ、と
     思っております。
 
        ブログも 時々更新したいと思います。
 
                2014年1月
                         水鳥イメージ 3  
 
イメージ 2
     

光陰矢の如し

 今年の猛暑が思い出せないほど、寒い毎日です。
 
  毎年のように 思うのですが
 あっという間の一年… 光陰矢のごとし
 
  一つ一つの出来事は、いろいろあったな〜という感慨はありますが
過ぎてしまうと、夢うつつ、自分の確かな気持ちすら
思い出せないほど、飛ぶように過ぎてしまいました…
 
 よく小学校時代までは 一年が長かったと言いますが
それは何故なんでしょう?
 
 一つ一つが新しい経験で、いっぱいの感動が
   心に印象を深くするのかもしれませんね。
 
 
 年を重ねると 確かに感動は薄くなっているかも…
 
幼い子を見ていると、新しいことに興味津々で
すごく集中しています。
 そして覚えたことは 何度も繰り返したり、
昨日出来なかったことが 今日は出来て、一つ一つが積み重ね
成長という言葉で表されるように体も心も育っています。
 
  …翻って、この私、
 忘れっぽくて、探し物ばかり、
 
 朝起きて、それから顔を洗って、家事をして朝食を食べて
今日一日のスケジュールを頭に描く…
 
 何しろ、雑用に追われるような毎日で、心ときめくような気持から
遠ざかって久しい…
 
 緊張することもあるけど、何とか今までこなしたことを
思い描いて、日常を過ごしていく、
 
 早い話が、夕方になって お昼は何食べたっけ?なんてことも
思い出せないほど、流されていっちゃってるんだから??
 
  朝、昼何食べたか覚えてなくても大丈夫…
ご飯を食べたこと自体忘れるようになったらやばいけど。
 
 そりゃ、
   月日はうかうかとしてる間に過ぎてしまうっていうの…
 
 
 だから、  
   来年は 心を留めて
   小さくてもいい、感動またはときめき?を探そうと…
 
 
イメージ 1
  
 
 
 
 
 
 

人それぞれの老後…

 
 昨夜から、風が吹いて気持ちがよく
久しぶりに窓を開け、エアコンをつけずに寝た。
 
朝の空気も 久しぶりにひんやりとしていた。
 早速いつもより少し早く 犬の散歩に出かけることにした。
 
7時半過ぎると制服姿の学生達が登校し始めたり、
通勤に足早に急ぐ人が増えてあわただしい雰囲気になり暑くなるが
 
6時前後だと、
 ランニング姿でジョギングしたり、夫婦で話し合いながら歩く人、
ゆっくりと川端を散歩するお年寄りなどの姿が見られ、朝の風景は違う…
 
すれ違う人ごと、自然におはようございますという声が出てくる。
 
 公園には夏の花が咲く、
 
イメージ 1
 
イメージ 2立葵?は涼しげで
 
 のうぜんかつらは 華やかだ…
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 散歩途中の通り道に面したおうちから年配の女性が現れた。
 
  うちの犬は
 4〜5人の集団でふざけながら歩く中学生は苦手のようで
 リードを引っ張って、家に帰ろうとするが
 ゆっくり歩いて、可愛いね〜と声かけてくれる年配の人が好きなよう。
 
 今朝も尻尾をちぎれるほど振りながら 自分から老婦人に近づいて行った。
 
 近所なので 時折会うが、
「あら、あら、私のことを覚えてくれているんだね〜
 嬉しいわ〜なんてかわいいの」
          とかがみこんで頭を撫ぜてくれる。
 
  
イメージ 3
 
 
「今朝は涼しいですね、」と並んで歩きながら声をかけると
 
「そうやね、これから公園で始まったラジオ体操に出るのよ、」という。
 
「それは健康に良いですね〜」というと
 
「私はね、今年90歳になるので、動かないとね、」という。
 
えっ、背筋も伸びて、はきはきものを言われる老婦人は
70歳代か、ひょっとして80になられるかな?とは思ったけど、
とても90歳になるようには見えなかった。
 
「耳が遠いしね、目も半分かすんでいて、膝も 痛いのよ、
でも 杖をつくと腰が曲がったように老け込むのがいやなので
杖はつかないのよ、」という。
 
「60歳ぐらいまで バレーボールや水泳や色々競技もやったけど
それからはフォークダンスとかも長いことやったわ、」と。
 
「それで 背筋がピンとしてらっしゃるんですね」と驚く。
 
「私はね、64年連れ添った夫を5年前に亡くしてね、」
「それに息子を56歳の時に息子も亡くしたの、」
「二階に、嫁がいてくれているけど、働いてるから
生活は全部別でね、ご飯も自分で作っているの、」と。
 
「そうなんですか〜
60〜70歳でも病気で寝たきりの人も多いのに
90歳で、何もかも ご自分で出来るなんて すごいですね」と感心しきり…
 
 
公園までの10分あまりの間に
その老婦人は 半世紀の自分の歴史?を
 苦労したのとか、大変だったの、とかいうような感情を交えない言葉で
 矢継ぎ早に語った。
 
公園に差し掛かったら、
「私ね、ラジオ体操が始まるまで ちょっと一回りしてから
行くわね、」と会釈して さっと離れて行った…
 
私は60台になったが、
あの人の90の年にあのように姿勢を正して、
日焼けしないように手袋はめて、身だしなみに気を配り
自分で毎日をクリエイトしていくことができるだろうかと思わず思ってしまった。
 
 
足腰が不安定になったり、一人ぼっちになったら、
知らず知らず、誰かを当てにするようになるのは人の常だ
 
有名でなくても、お金持ちでもなくても
自分の身の回りのことは 自分でやりくりしたり、
体が不自由になったとしても、全面的に子供や
周りの人を当てにしたりせず、
自分の出来ること、自分の誇りを失わず
背筋を伸ばして生きていきたいものだと
改めて思ったことでした。
 
通りすがりの人にでも、さらりと話して
自分を解放していくこだわりのない生き方は
人目を気にせず 潔い生き方の一つではないかと
 
 
世間のしがらみや、恥や見栄でがんじんがらめ、
そのくせ 自分は何もできないの、助けてくれて当たり前と
暗黙のプレッシャーを周囲にかけるお年寄りは多い。
 
愚痴や辛さに身を任せ、
身内に根無し草になったように
寄りかかって生きたくないなぁ、と つくづく思ったんですが
どういう老後が待っているのやら…
 
 
イメージ 4
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

全40ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]


.
水鳥
水鳥
女性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

ブログバナー

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

過去の記事一覧

Yahoo!からのお知らせ

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

検索 検索


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事