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今日は随筆クラブ 「浜木綿」の合評会でした。 「浜木綿」は今年20年を迎え、私はまだ入会して数年のひよこですが、 会員皆様の随筆は歴史があり、深い感性で素晴らしい作品揃いです。 会員には東京在住の方もいらっしゃいます。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 随筆クラブ 浜木綿第41号 智恵子抄によせて 水上くみこ もう随分日は経つが余韻は残ったままである。 この展示には光太郎よりも私は智恵子に関心があった。 それから半年。先日、本の整理をしていたら赤 い装丁の智恵子抄を見つけた。母が読み置いていた智恵 子抄を読んだのは私が中学生の頃だったが、智恵子の 生涯を、その頃よりも自分がもう智恵子の歳を越えて 随分理解出来る様な気がする。 ・・・・・ あどけない話 高村光太郎作 智恵子は東京に空がないと言ふほんとの空が見たいと言 ふ私は驚いて空を見る。桜若葉の間に在るのは切つても 切れないむかしなじみのきれいな空だ。どんよりけむる 地平のぼかしはうすもも色の朝のしめりだ。 智恵子は遠くを見ながら言ふ。阿多多羅山の上に毎日出 てゐる青い空が智恵子のほんとの空だといふ。 あどけない空の話である。 ・・・・・ 智恵子抄展で心に残ったのは智恵子が心の病に倒れてか ら光太郎の心の葛藤や友人への手紙に記された智恵子の 迫り来る病状の軌跡が苦しく重い。 智恵子の切り絵や絵画、光太郎の彫塑共に、お二人の生 涯が芸術と互いの愛情や思いだと静かに伝わった。 光太郎が智恵子の面影の残る裸婦像を完成させた後亡く なるなんてゾクッとするし、生涯をつらぬいてひとりの女 性を愛した一生だった事が分かる。 入院中の智恵子は見舞いに訪れる最愛の光太郎のため にだけ製作した切り絵千数百点を残す。光太郎の献身的 な看護にもかかわらず、智恵子は昭和十三年十月五日夜 五十二歳の生涯を閉じた。今際のきわに、智恵子は大好 きなレモンを光太郎からもらうと一口かじり、かすかな 笑みをこぼしながら息を引き取ったそうだ。 ・・・・・ 智恵子は明治十九年五月二十日福島県生れ。酒蔵の長女 明治四十年二十二歳で日本女子大学校卒業、洋画家を目 指し二十六歳で雑誌「青鞜」創刊の表紙絵を描く。その年初 めて光太郎に会う。大正三年光太郎は詩集『道程』刊行。こ の年の十二月結婚、智恵子二十九歳 光太郎三十一歳。 大正四年三十歳 窮乏の中、二人の制作は充実 大正七年三十三歳 智恵子の父没。智恵子病気がち 昭和四年四十四歳 智恵子の実家が破産し一家離散。 昭和六年四十六歳 智恵子統合失調症の兆候出る 昭和七年四十七歳 薬物自殺未遂 昭和十年五十歳、南品川のゼームス坂病院に入院 昭和十三年五十三歳 智恵子没。死因は粟粒性肺結核。 その後、昭和十六年秋、高村光太郎の詩集「智恵子抄」 が出版された。闘病中智恵子は切り絵を制作しながら 光太郎を思い待つ日々で、そんな智恵子は愛くるしく, 少しずつ壊れていく記憶が、かわいそうで可哀想でたま らない。光太郎はその智恵子を見続け葛藤し苦しみの 様子を書き留めている。私だったらどうするだろう。 連れ合いだったらどうするだろうか。 ・・・・・ 光太郎は二十二歳の時、ロダンの彫刻『考える人』の 写真に衝撃を受け二十三歳で欧米に留学。自由で近代的 な精神を身につけて二十六歳で帰国。日本社会にこびり 付いている古い価値観や美術界の権威主義と衝突、強く 反発する。当初の光太郎の詩は、「一切が人間を許さぬ この国では、それ(近代的自我)は反逆に他ならない」と、 社会や芸術に対する、怒り、迷い、苦悩に満ちたものだ ったそうだが智恵子と出会ってからは、穏やかな理想主 義とヒューマニズムに包まれるようになった。光太郎は 「私はこの世で智恵子にめぐり会った為、彼女の純愛に よって清浄にされ、以前の退廃生活から救い出される事 が出来た」と語った。 高村光太郎三編 道程 僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来るああ、 自然よ 父よ 僕を一人立ちにさせた広大な父よ僕から目を離さな いで守る事をせよ 常に父の気魄を僕に充たせよ この遠い道程のために この遠い道程のために ・・・・・ 牛(抜粋) 牛は急ぐことをしない 牛は力いっぱい地面を頼って行く
自分を載せている自然の力を信じきって行く ひと足 ひと
足 牛は自分の力を味わって行く ふみ出す足は必然だ ・・・・・・・・・
牛は随分強情だけれどもむやみとは争はない 争はなけれ
ばならない時しか争はない ふだんはすべてをただ聞いてゐる そして自分の仕事をしてゐる生命(いのち)を くだいて力を出す 牛の力は強い しかし牛の力は潜力 だ 弾機(ばね)ではない
ねぢだ坂に車を引き上げるねぢの力だ
・・・・・母をおもふ 夜中に目をさましてかじりついた あのむっとするふところの中のお乳。 「父さんと母さんとどっちが好き」と 夕暮の背中の上でよくきかれたあの路次口。 鑿で怪我をしたおれのうしろから 切火をうって学校へ出してくれたあの朝。 酔ひしれて帰って来たアトリヱに 金釘流のあの手紙が待っていた巴里の一夜。 立身出世しないおれをいつまでも信じきり、 自分の一生の望もすてたあの凹んだ眼。 やっとおれのうちの上り段をあがり、 おれの太い腕に抱かれたがったあの小さなからだ。 さうして今死なうといふ時の あの思ひがけない権威ある変貌。 母を思ひ出すとおれは愚にかへり、 人生の底がぬけて 怖いものがなくなる。 どんな事があらうともみんな 死んだ母が知ってるやうな気がする ・・・・・・・・・・・・・・・
少しシミのついた母の赤い「智恵子抄」は、もう形見 になってしまった。遺品の中に見つけた時、母が大切に していた一冊だと思ったら十四歳のあの時の自分が 蘇って鼻の奥がキューンとなった。 |
随筆はまゆう原稿
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