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大切な人が亡くなったら。 在りし日の姿を一生懸命思い出す。 顔、声、言葉、表情、目の輝き、後姿、ぬくもり、臭い、、、色々。 暫く経っても、無理やりのように、アタマの中のその人を探す。 今も地球上のどこかに生きているなと思えるくらい思い出せたら、なんとなく安心する。 アタマの中では生きている。私が生きている限り。 何十年後かに(それより長いか短いか分からないけど)私が死んだ時にも、 そういう努力をしてくれる人がもしいたら、 その人は、私が頑張ってアタマに留めていた人たちの分までも生きてくれるだろうか。 思いが、繋がるか。 メディアを通してだけなのに、好きな人がいる。 作家、音楽家、俳優、など。 ある、本当に好きなそういう人の亡くなったときを、実はたまに想像してみる。 きっと、すごく悲しい。 その時私がかなりのお婆ちゃんになっていたとしても、きっと子供みたいに泣くだろうと思っている。 でも、ぬくもりを知らないだけ、ニオイを知らないだけ、 虚無感を芯から感じるのは、無理かもしれない。 その代わり、その人は、 残したモノによって変わらず私の生活に存在し続ける。 そんな人に、私は憧れた。 私たちが、夏目漱石を読むように、モーツァルトを聞くように、ビビアン・リーを見るように。 きっと未来の人たちは、今の時代の作家や音楽家や俳優を感じるのだろうと思うと。 そして、改めて、ありがたく思う。 同じ時代に生きているからこそ、 身近な人を亡くしたに近い感情が湧きあがって来ることの喜びを。 子供の頃からずっとテレビで見てきた俳優が亡くなりました。 好きとか嫌いとかの感情の前に、私が生まれた頃にはすでに偉大な俳優さんだったので、 そういう意味では、先日おじいちゃんが亡くなったのに近い感情です。 ただ、今日銀座を歩いていて、これから始まる連ドラのポスターに彼の顔を見つけたとき、 なんだかなぁ、亡くなった人の「スタート」って、すごいなぁ。と思いました。 今週、その時間にチャンネルを合わせたら、 過去の作品としてでなく、これからその作品に息づいていく彼の姿を目の当たりにするわけで。 彼は亡くなったけれど、劇中の人物は生きている。ずっと。 私もメディア人の端くれですが、どう頑張っても、俳優には敵わないと思います。 作家にも、音楽家にも。 私は・・・せめて、思いを繋げる「橋」になれれば。 それが出来たら、十分に満足しなければならないでしょうね。 いつの日か君や僕を 誰も知らない時がくる
僕たちが昔の人たちを 知らないように 滴が床に落ちるような時間で 僕らは生まれ合った 幸せだとか 悲しみだとか分け合いながら 同じ時代を 歩いて行く 僕たちさ 物語を つないで行く 僕たちさ 君を愛し続けたすべてを 明日の方へ送りたい いつか遠い遠い未来の誰かに 伝えることができるなら・・・ from「同じ時代を」 byASKA |

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