春苑 紅尓保布 桃花 下照道尓 出立 〔女+感〕嬬 【万葉集 巻19 4139】 春の苑 紅にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つ娘子(をとめ) はるのその くれない におう もものはな したてるみちに いでたつ おとめ ー ー 春の苑に、紅い色の、匂い醸して咲く桃の花。 花は滴って、足元を染める。 その道に、今、聖女は立ち出でるのだ。 『天平勝寶二年三月一日之暮』 に歌われた この 大伴家持の “桃の花” の歌は、この前年に起こった都 (国) の重大事、阿倍内親王 が天皇の位に立った (・・・孝謙天皇) ことを暗に示唆していて、その新しい時代を寿いでいる歌 だと、私は解釈出来ると思っています。 「下照る道」 というのは、神の国である高天原には天照大神がいるように、丁度、天の下には、下照る姫がいる、と、古事記に読むことが出来ることから、 下照る姫がつくった道・・・人が住むこの国の、そのあるべき処に続く道、というような意味が感じられます。 その道に、今、とうとう、“〔女+感〕嬬” (をとめ) が出で立った、と 歌っている、それこそ、内親王の即位・・・女帝が誕生したことを表わしている という解釈を持つことが出来ると思うのです。 そういう解釈を抱きながら、繰り返し、歌の文字をみてみると、他に、幾つも、想起される興味深い事柄があるように思われてきます。 奈良県 桜井市の 纒向 (まきむく) 遺跡 で、大量の 「桃の種」 が発見された というニュースは、多くの人がご記憶のことと思います。 (私も、このブログで取り上げました。→ http://blogs.yahoo.co.jp/mizunoene17/41985738.html → http://blogs.yahoo.co.jp/mizunoene17/41996038.html) この歌にある 桃 は、ですから、おそらく、あの 箸墓古墳 のある、巻向の地 を連想させる花だと思います。 にほふ という語は、額田王 が、奈良のみやこ を歌った時に用いた語です。 桃の花がにほう という語には、そこは みやこ だということを感じさせるものがあるのです。 巻向の地は、桃の花のにほう都だった という観念を、少なくとも、大伴家持 は持っていた という想像を、私は心に浮かべています。 そうして、この歌の最後に登場するのは “〔女+感〕嬬” (をとめ)、それで連想させられるのは、勿論 と、云いたい、卑弥呼 です。 |
古代への想念
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にほふ は現代語の香るという意味ではなく、花が咲く様子を表わしていると習ったような。
2015/9/8(火) 午前 3:12 [ 00 ]
> 00さん、お立ち寄り頂きまして有難う御座います。
そうですね、花の咲く、その様をあらわす ことば、とした方が、この家持の歌も、有名な額田王の歌も、解釈しやすくなります。
2015/9/8(火) 午後 3:33