重陽の節句を祝う

民の命を使って、国の平和が守られる、そんな道理は無いと思います

書かなければいられない事

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確かに、飛鳥文化や天平文化以降、奈良の都には、唐風の文化が栄えました。 寺が建てられ、中国風の宮殿がつくられ、都市の整備もされました。

が、そのような都の姿は、大規模古墳が築造を止めた、その土地の上に、新しく生まれたものだった筈です。  つまり、新しい文化を受け入れようとする、そういうセンスや、才能が、日本人には具わっていた、ということを私は、感じます。

高松塚古墳やキトラ古墳の壁画が示していることは、日本に、(優れた) 中国風の文化が伝わっていた、というのではなく、日本古来の文明・・・‘古墳’と、新進の文化・・・‘中国風の壁画’とが、一緒になっている、ということに外ならないと思います。

古代、日本は中国風の文化の 真似っこ をした訳ですが、私は、真似っこ は、殆ど、互角の能力を持つ者同士の間でやり合うことなのではないかと思います。

出来上がったものが 似たり寄ったり である、ということは即ち、互いが似たり寄ったり だということなのではないでしょうか。

似たり寄ったり であるからには、きっと、‘似せた’、そのものの国にも、こちらの国のものがあるだろうと、私は思う。

そうやって、真似っこ をし合う国と国は、段々、どちらがどちらであるか、分からなくなって行くのです。



どちらがどちらであるか よく分からない、そういうものは、両方共に価値が下がりますし、私自身は、元々、真似っこ が、大嫌いです。

例えば、私がつくる文章にも、偶然にも、他の何かに似てしまうこと、というのは、あるかもしれません。 それはつまり、文化が進む過程に於いて、複数の文化、文明が混ざりあっているからだと思う、

そもそも、私がしゃべっている ことば も、多くの文明が重なり合ったものなのですから。

偶然にそうなってしまうのは、仕方がない、

それでも、私は、自分自身のものでないものを、自分でつくるのは、嫌です。


日本には、その始まりがいつなのか分からない程古い、縄文、という文明があるのです。 私が、真似っこ を嫌うのは、ひょっとしたら、ルーツに、そのより古い、つまり、真似っこ をする以前の、縄文 の文明の因子を持つからなのかもしれません。

真似っこ をする者同士には、優劣の差はなく、似たり寄ったり。 ですが、能力の優劣というのではなく、人には 違い というものがあり、それは、地 ー 場所 と、時間による のではないでしょうか。


古代、中国風の文化を真似た日本は、それに敵うだけの能力を既に持っていた、が、それだけでなく、もっと根源的に違う能力も持っていて、その後の時代には、鎖国 すらもして、独自性を維持したのです。







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洋画、邦画、テレビドラマ、夫々は、互いに ‘真似っこ’ し合っている、

・・・・私は、そういうことを、度々、感じています。


その ‘真似っこ’ は、ひょっとして、私がこのブログに かねてから 書いてきた、古今東西に於いて文化、文明は共有されている、ということと、とどのつまり、同じコト であるのでしょうか。


実は、古代史に於いて、常識のように云われることで、私にはどうも、気に入らないことばがあります。

中国から、日本に、優れた文明がもたらされた。 又、或いは、朝鮮半島を経て、日本に進んだ文化が入ってきた。 − − − という、その ことば (説) です。


弥生文化の発祥を促すことになった 稲作 も、朝鮮半島から九州に入ってきて、やがて、近畿地方にも広まっていった、と、学校で、そう習いました。

古代の文明は、悉く、一方的に、西の方からもたらされたことになっています。  稲作も、仏教も、工芸も、西から伝わる以前は、日本は、それらの文明に於いては、全く未開であったかのような、そのような印象になっていると思います。


何故、日本が、日本列島にあった、それ以前の文明について、つまり、縄文時代以前の文明 のことですが、その存在を不明確な状況のままにしているのか、考えてみれば、少し、不思議ですらありますが、


私としては、アメリカ人も日本人も、お互いに ‘真似っこ’ をしていることからみて、古代の文明も、悉く、西方から東方へ、という一方通行であったのではなく、東が西を知る時には、同時に西が東を知ることにもなった筈だと、そう思うのです。







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1999年に公開されたハリウッド映画 ‘シックス・センス’ は、それよりも20年も前につくられた、日本のテレビ時代劇 ‘座頭市’ ー 『ゆびきりげんまん』 の、映像の手法を真似ている と、感じさせるものがある、

ー ー 私は、そう思いました。


ところで、現在放送中の、織田裕二さんが出ている、「Oh,My Dad!!」 というドラマは、登場人物の設定などが、洋画の ‘幸福の力’ と、殆ど 同じ、です。

シリーズになっている、‘京都地検の女’ の、名取裕子さんの人物像は、『エリン・ブロコビッチ』 という映画の主役 (ジュリア・ロバーツが演じました) と、同じ です。


 シリーズ最新版の第一回は、再度、映画 『エリン・ブロコビッチ』 を意識しようとするかのように、“環境汚染問題” を事件の背景にしていました。


大ヒットドラマ、‘古畑任三郎’ は、アメリカの人気テレビドラマ ‘刑事 コロンボ’ を真似たものです。

ー ー ー 誰でも知っていることです。 誰でもが分かる、(・ ・ ・ ‘古畑任三郎’ のように、でも、誰も文句やケチを付けることなく、支持されたものもありますが)、洋画の二番煎じ の テレビドラマ というのは、本当に沢山あるのですが、

アカデミー映画賞を獲る立派な洋画の方にも、‘座頭市’ のように、邦画に見倣ったものが、実際にある訳で、それは、お互い、ナアナア、ということですが、

誰でも、ウスウス承知していながら、態々、声に出して云うことをしない、

〜 〜 〜 〜 のは、何故なのでしょう・・・・。






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以前、BSで平日の午後 再放送していた 「座頭市」 を、ほぼ毎日観ていました。

特に私の印象に残った回で “ゆびきりげんまん” という題が付いたのがあります。

ネットで、ちょっと、検索してみました。→ http://members.jcom.home.ne.jp/kzogi/mokuji.html
 新・座頭市(第3シリーズ)

1979年4月16日〜11月19日(全26話)フジテレビ系
制作:勝プロダクション フジテレビジョン 毎週月曜 午後8:00〜8:54放映

6.11 放送、 [7回] 『ゆびきりげんまん』
 脚本、佐藤繁子 中村努。  監督、国原俊明。  ゲスト出演、大谷直子、清水紘治、根岸一正

・・・・‘十年 経ったら また、会おうね’ と言って、いっつぁん は、少女と ゆびきりげんまん をします。

出会った少女を、祖父母の家に連れて行き、そこで ゆびきりげんまん をする、その場面迄が、その回の始まりの部分ですが、その、5分程の、物語り風の映像は、不思議な感じになっています。

話しは、その ゆびきりげんまん をして、十年が経ってからのことで、それで、始まりの処は、何か、呆っとした 幻影のような、

きっと、いっつぁん の思い出が入り混じった出来事だということを感じさせているのだと思う、

少女と一緒に茶店に寄った筈なのに、店を出る時には、少女の姿がなくなっている、 二人で歩き出したのに、いつか、いっつぁん が一人になっている、

そんな風に、少女は、画面に現れたり、消えたり するのです。



見えているような、見えていないような、・・・・そういう不可思議な映画を、私は、前にも見たことを、その時、思い出しました。

“シックス・センス” です。


私が‘シックス・センス’を観たのは テレビの ‘座頭市’ (再放送) よりも先ですが、実際は、‘座頭市’ の方が、‘シックス・センス’ よりも前につくられています。

確認をしてみましたが、『シックス・センス』(The Sixth Sense)は、1999年 に公開された映画です。 ‘座頭市’ から、20年後 ですね。

  映画監督は、M・ナイト・シャマラン という人で、彼は 1970年 の生まれだそうです。


内容は、全く違うものですけれど、‘シックス・センス’ という映画の、“見えている筈なのに、見えていない” という、最も重要な不思議な映像の作り方は、20年前の、日本のテレビ時代劇の映像に倣ったもの、

  ー ー だったのだと、そんな風に感じたことが、私の脳裏に残っています。









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日本の被爆、 (・・・4)

“どうして 大人の人は みんな 本当のことを 話さないの”

 と、少年 (大江健三郎) は母に問いました。

“そうね、でも、その人にとって大事な家族、父や子や、或いは 親友、そういう人の死を経験すれば、きっと 人は 本当のことを話すようになるわよ”

 それが、その時の母の答えであった


 と、そういう話が 「大江健三郎 さんと 第五福竜丸 の元船員だった 大石又七 さんの核をめぐる対話」 という番組の中にありました。


世間の記憶から、現実に起こった被爆事故を抹殺されて、大石又七 さんは、誰にも話題にされることなく、怖ろしい被爆の症状を抱えながら、一般の人々に紛れた暮らしを ずっと していました。 一人 又 一人と、同じ舟に乗っていた仲間が死んで行きました。

第五福竜丸がビキニ環礁で、米国の水爆実験に遭遇してしまい被爆をしたのは、昭和29年のことです。

およそ半世紀 (57年) が経っても、人 (大石又七 さん) の身体から被爆の影響は消えていません。

大石又七 さんは今 沈黙を破って、本当のことを話し始めています。『死の灰を背負って』 という本も出しました。

上の 大江健三郎 さん の話しは、そんな 大石又七 さん に向けられたものです。 本当のことを話し始めた人への敬意と、優しい励ましの気持ちが込められていると思います。


本当のことを言う人が かくも 少ない日本の社会に於いて、大事な人を失くした人が語り出す、真実の話し程、真剣な話しはありません。

昭和20年に、広島と長崎の、生活が為されている人と町に向かって、原爆が投下されました。  日本は被爆を忘れてはいけなかったのです。

それなのに、「核の平和利用」 という宣伝文句がバラ撒かれて、私達の頭の中は、いつしか、核は安全、日本は平和 という、誤った概念に支配されてしまっていました。

広島、長崎、第五福竜丸、東海村原発事故、福島原発事故、それらは、その時、そこの場所の、そして、過去の、忘れてもいいことではありません。

核による平和で安全な社会など、口が曲がっても出てくる筈のない台詞なのです。


戦後の十年間のことは分かりませんが、原発が導入されてしまってからのこの半世紀は、私達は、間違ったままできてしまっている と、私は そう 思います。









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