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記事再掲、『にごり江』を観たのは29年前でした ・・・・・・・・・ 東京の 「帝劇」 で、『にごり江』 が上演されたのは、1985年(昭和60年) のことでした。 『にごり江』 は、遊郭で働く女、‘お力’ が主人公の、樋口一葉 が書いた小説です。 が、幕が上がった、その舞台には、実際に 樋口一葉 が暮らした、路地、そのものが そこにあり、まるで、その時代に居た人々の、日々の ひととき のドキュメントを見るかのような、そんな劇だったのでした。 見る者は、浅丘ルリ子さんが演じる ‘お力’ を見ているようでありながら、心には、樋口一葉 という人に、気持ちを寄せていたのです。 私は、嘗て見た、その 『にごり江』 の舞台が、そういう風に仕立てられてあったのだ、ということを、29年経った今になって、気付きました。 ・・・・その時に、自分が見ているものは何なのか、その意味を知らない ということは、人には ある と思います。 自分の過去の出来事の中にも、人には新しい出逢いがあることがある、ということです。 その出逢いには、運命的なものがあるかもしれない。 (ー ー ー 只、単に、又、忘れてしまう記憶の一つでもあるかもしれない)。 私は実は、樋口一葉の小説を一つも読んだことがありません。 樋口一葉自身のことも、殆ど知りません。 ウィキペディアを見ると、彼女は、何と24歳の若さ(1872-1896)でこの世を去っていると書かれてあります。 人は、考えて生きて行きます。 喜びや悲しみを心に知りながら、生きて行くのです。 それが、彼女には、24年間しかありませんでした。 彼女自身は24年間の分しかない人の想いを、けれど、百年を過ぎても、舞台で演じられたり、それを見て、思い出す人(私)がいれば、彼女の想いは、継続がされ、時の中で生きて行くことになるかもしれません。 〜 〜 〜 つまり、よく言われること、死んでも心は残る、ということです。 その舞台の演出をした、蜷川幸雄さんに、本当にそのような意図があったのかどうか分かりませんが、舞台 『にごり江』 は、早逝した作家、樋口一葉をこの世に蘇らせていたと思います。 ・・・・・・・ ご訪問頂いた皆様には、ご面倒をお掛けしますが、どうぞ、下のランキングクリックをして頂きますよう、平に、お願い致します。 私が参加しているカテゴリーバナーを貼っていますので、ブログ村の方は、↑の記事の内容とは必ずしも合ってはいませんが、宜しくお願い致します。 |
潜在意識がもの云う時
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・・・・ すなわち四有輪転の四有とは、中有、生有、本有、死有の四つをさし、これで有情の輪廻転生の一期が到されるわけであるが、二つの生の間にしばらくとどまる果報があって、これを中有といい、中有の期間は短くて七日間、長くて七七日間で、 次の生に託胎するとして、飯沼少年の誕生日は不詳ながら、大正三年の清顕の死の日から、七日後乃至七七日後に生まれたということはありうることだ。 仏説によれば、中有はただの霊的存在ではなく、五蘊の肉体を具えていて、五、六歳ぐらいの幼な児の姿をしている。中有はすこぶるすばしこく、目も耳もはなはだ聡く、どんな遠い音もきき、どんな障害も透かし見て、行きたいところへは即座に赴くことができる。人や畜類の目には見えないが、ごく浄らかな天眼通を得た者の目だけには、空中をさまようこれら童児の姿が映ることがある。 ・・・・・ ・・・・中有たることをやめて、母胎に託生するのである。その託生する刹那、それが生有である。
ー ー ー ー 三島由紀夫、『奔馬』 より抜粋
ここに書かれてあることを信じるかどうかはともかく、読んでいて、私は、心が踊るように、楽しくなります。いつか、自分も、このような不思議に遭遇しはしないだろうか、もし、そんなことが身の近くに起こったなら、どんなにか興奮するだろうかと、そういう思いが、胸、一杯に膨れます。 それで、つい、私は、徒然に、もしや、という風なものの見方をしてしまうのです。 この前の記事に書きましたが、樋口一葉は、齢七つで 『南総里見八犬伝』 を読破し、そして、三島由紀夫は、『豊穣の海』 を書き終えた時に合わせて、自決を遂げました。 『南総里見八犬伝』 と、『豊穣の海』 には、共通する事柄が沢山あるのです。 私の見方では、七つで『八犬伝』 を読む子供と、生涯を掛けて 『豊穣の海』 を書いた人は、同じ人 です。 何処かで聞いたことでもありますが、‘三島由紀夫は、人が生まれ変わるということを信じていた’、・・・きっと、そうだと思います。 輪廻転生について説いた文章は、『豊穣の海』、全四巻の中に、上に抜粋した処の他にも、何箇所かにあります。 それは、やはり、三島由紀夫が、それを信じていたからこそ、綿密に書き込んだ ということだと思うし、どの文章も、とても、詳しい内容で、読む者に、それを信じさせてしまえる程の力が入っています。 三島由紀夫が 『豊穣の海』 を完遂させてこの世を去ったことには、私は、人の輪廻転生を信じさせる意味があったことだと、そう思います。 ・・・・・・・ ご訪問頂いた皆様には、ご面倒をお掛けしますが、どうぞ、下のランキングクリックをして頂きますよう、平に、お願い致します。 私が参加しているカテゴリーバナーを貼っていますので、ブログ村の方は、↑の記事の内容とは必ずしも合ってはいませんが、宜しくお願い致します。 |
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樋口夏子 (樋口一葉) は明治5年生まれ、平岡夏子 (三島由紀夫の祖母) は明治9年の生まれで、・・・・ この二人の ‘夏子’ という名前について、もしや、と思い、私は今一度、ウィキペディアを見てみました。 やはり、樋口一葉は五月生まれ、平岡夏子は六月生まれ、でした。 二人は、日本の暦では夏に入る月の生まれだったから、夏子 と名付けられたのですね。 この度、徒然に考えていて、名前には、不思議な因縁が絡んでくることがあるものなのだと、そんなことを、あらためて思うようになりました。 私の知人に、小学校に上がる前に、九死に一生を得るような事故に何度も逢うので、両親が心配し、占い師にみてもらって、名前を変え、その後は無事に過ごせるようになった、という経験を持つ人が居ます。 名前が不吉を招く、或いは、幸運を呼ぶ、そういうことがある、ということなのだと思います。 神戸で、惨い目に逢って、命を失った、あの子の名前は美玲(みれい)と言います。 その事件のことは、今だ驚きを持って、私はここ数日、テレビや新聞の報道に注意を傾けているのですが、どうしてなのか、その子の名前が、頭に入りません。 六歳という幼さで、儚く脆く消えてしまった命のせいか、何故か、私の頭には、その名が、すぐに存在しなくなってしまうのです。 存在がはっきりしない・・・それは、事件自体が、不明確なままになって消えて行く、ということを暗示していることであるような気がするのです。 遺棄された遺体が発見されてまもなく、事情聴取をされ、現在取り調べを受けているあの被疑者は、その犯罪の真犯人ではないのではないかと思います。 金銭に不自由した生活をしていたと報道されています。 幾許かのお金を貰って、犯人の身代わりをしているのではないでしょうか・・・・、 あの被疑者に関わっている間に、どんどん、真相が曖昧になっていってしまうような気がします。 少し前にも書いたことですが、私は、警察や検察を、けして信頼していません。 残念だと思っています。 冤罪など、一件もあってはならないのに、まま、ある。 そう、一件ある、ということは、不特定多数、ある、ということで、それが、実際、現実ではありませんか ー ー ー ー ー。 ・・・・・・・ ご訪問頂いた皆様には、ご面倒をお掛けしますが、どうぞ、下のランキングクリックをして頂きますよう、平に、お願い致します。 私が参加しているカテゴリーバナーを貼っていますので、ブログ村の方は、↑の記事の内容とは必ずしも合ってはいませんが、宜しくお願い致します。 |
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樋口一葉 の、一葉 というのは筆名で、本名は、夏子 である、ということも、ウィキペディアに書かれてあります。 昭和の作家、三島由紀夫は、能や歌舞伎を よく こなしました。 〔近代能楽集〕 という作品もありますし、戯曲もつくり、又、彼の小説の中にも、能や歌舞伎に纏わるものは、其処此処に、みつけることが出来ます。 そういう三島由紀夫の文学性は、やはり、歌舞伎が好きだった、という祖母のお陰で身に付いたことでした。 その三島由紀夫のお祖母様の名も、樋口一葉と同じ、夏子、でした。 三島由紀夫の祖母は、平岡夏子、といい、樋口一葉は、本名を樋口夏子、といったのです。 樋口夏子 (樋口一葉) は明治5年生まれ、平岡夏子 (三島由紀夫の祖母) は明治9年の生まれで、二人は、ほぼ、同時代の人です。 樋口一葉と三島由紀夫という、時代、性別、等々で格段の違いのある二人を、いきなり共通項に入れる考えは、飛躍的な感じがしますが、樋口夏子と平岡夏子を、明治生まれの二人の夏子、という言い方にしてみてみると、それまであった、隔ての殆どは一気に消えて行くような気がします。 樋口一葉は独身のまま、24歳の若さでこの世を去りましたが、彼女とよく似た文学的な素質を持った、もう一人の夏子、平岡夏子には、彼女が数えで50になった時、孫が生まれ、その才能が見事に引き継がれました。 ・・・・こんな風なことを頭に思う私には、もはや、三島由紀夫と樋口一葉に、何の因縁もないと考えることは出来ません。 『豊穣の海』 は、輪廻転生のお話しです。 又、樋口一葉が7歳の時に読んだ〔南総里見八犬伝〕は、犬の文字が付く名の八人の若者が、夫々、仁、礼、智、忠・・・八つの文字の一文字がある玉を持ち、牡丹の痣が身体のどこかにある、という印があることから互いに導かれ、やがて、結集して大きな使命を果たす、という長編物語りです。 〜 〜 〜 樋口一葉が、七歳の時に〔南総里見八犬伝〕を読んだことと、三島由紀夫が死の直前に、『豊穣の海』の執筆を完遂させたことには、何か因縁があったと、思われてなりません。 人の怨念(魂)の継承があって、人の文明は存在する、という一面が、歴史にはあるのではないでしょうか。 人は、皆、先人の人の無念を背負って生きているものなのかもしれない、と私はふと考えます。 ・・・・・・・ ご訪問頂いた皆様には、ご面倒をお掛けしますが、どうぞ、下のランキングクリックをして頂きますよう、平に、お願い致します。 私が参加しているカテゴリーバナーを貼っていますので、ブログ村の方は、↑の記事の内容とは必ずしも合ってはいませんが、宜しくお願い致します。 |
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ウィキペディアの 樋口一葉 の頁には、‘7歳の時に曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』を読破したと伝えられる。’ という記述があります。 ー ー 樋口一葉の、物語をつくる素質は、その時に培われた、ということだと私は思い、とても、微笑ましい感じを持ちました。 私自身のことを振り返ってみると、平仮名や漢字、それから数字、足し算や引き算、九九、など、全て、小学校に入ってから、覚えましたから、それ以前、或いは、入学直後に、一人で、長編の 『南総里見八犬伝』 を読み切ることは、出来ません。 それでも、樋口一葉のことを、凄い、というよりは、微笑ましい と感じる、その理由は、何と言っても、それが、『南総里見八犬伝』 だからです。 私がひっそりと思っていることに、三島由紀夫の 「豊穣の海」 にも、『南総里見八犬伝』 が隠れていると、ずっと、思っています。 三島由紀夫の文学性は、幼少時、祖母と一緒に見た ‘歌舞伎’ の影響が大きいということは、自他共に認められていることです。 『八犬伝』 は、歌舞伎の題材にもよくつかわれてあります。 樋口一葉と、三島由紀夫には、その文学性に於いて幾つかの共通項があると、私は思った訳です。 二人が東京生まれ、という点も、同じです。 〔滝沢馬琴も、東京(江戸、深川)の生まれです〕。 同じような才能や趣向がありながら、境遇の違いで、その暮らしは月とスッポン、全く、比較にもならない、 二人には、そういう相違もあります。 ・・・・・・・ ご訪問頂いた皆様には、ご面倒をお掛けしますが、どうぞ、下のランキングクリックをして頂きますよう、平に、お願い致します。 私が参加しているカテゴリーバナーを貼っていますので、ブログ村の方は、↑の記事の内容とは必ずしも合ってはいませんが、宜しくお願い致します。 |



