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日の丸と君が代の由来

日の丸と君が代の由来
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            ◆◆◆日の丸と君が代◆◆◆ N0-1 
以前、札幌で開催された第2回アジア冬季競技大会のスケート表彰式で、優勝した韓国選手の栄誉を讃えて韓国国家を流す際、間違えてモンゴルと北朝鮮の国歌が相次いで流されるという大失態があった。
大会委員会は、韓国選手団に不手際をついで流されると言う大失態があった。大会委員会は、韓国選手団に不手際を 詫びるとともに再発防止を約束、韓国側はこの謝罪を受け入れてことなきをえたが、全く国辱ものであり、大きな国際問題に発展しなかったことは幸いだった。

また、男子1500Mの優勝者も韓国選手で、引き続き表彰式が行われたが、その際韓国選手団から「選手団の旗を掲揚、選手団の歌を演奏する」との場内アナウンスに対して「何故国旗を掲揚し、国歌を演奏するとしないのか」とクレームがついた。
このため、組織委は男子500Mの表彰を延期し、JOCの判断を仰ぐなど、事後の対応策を検討することになり、大会に大きな凝りを残した。(韓国はこと日本との問題となると、殊更ヒステリックになる傾向が在る)
このように国旗、国歌のない国は寡聞にして聞かないし、その民族、国家にとって重大な意味を持つものである。
さて、近頃の日本でも「日の丸」と「君が代」の掲揚と斉唱を巡る動きが、特に教育現場で喧しい。

旧ソ連や東欧の激動の余震で、日本の左翼は若者に人気がなく、すっかり落ち目だと言われているが、必ずしもそうとは言えない状況もある。というのは、日教組は相変わらず国旗、国歌反対の教育にしがみついているし、文化人の中にも安普請の人間が多く、ことさらに反国歌、反皇室のポーズをとりたがる。国旗、国歌を論ずれば必ず天皇制の問題につきあたるし、そして天皇制を擁護すれば右翼のレッテルを貼られる。
だが右でも左でもない自由な視点でこの国を見 、日本を愛している人間は何千万といる。よく「日の丸は血塗られた侵略のシンボルだ」と言う
が、米国や英国、その他の先進国の国旗は侵略や革命で、まさに血に染まった国旗以外の何物でもない。

自国の国旗にこうした過剰反応を示すのはこの国だけである。
人種の坩堝であるアメリカなどは、国民結束意識高揚のため、至る所に星条旗が在るし、ストリップ劇場でさえ観客は国歌を歌っている。
従ってそういう安普請の人間達の思想はいかにも浅薄で、其の行動もいかにも矛盾している。彼らこそ、この日本を危うくしている元凶ではないのか。
日本史の記紀は神話だし、徳川史観や皇国史観では虐げられた庶民の歴史は隠されていて、さっぱり解らない。一日も早く現在の日本史から脱却し、自由で怜悧な目でこの国の歴史を見直せば、日の丸も君が代も、その生い立ちが理解できるし
これからの道も見えてくる筈である。
          ◆◆◆日の丸と君が代◆◆◆  N0-2
まず日本人の既成概念となっている「大和民族単一説」は捨てることである。大別すれば海洋漁業系、騎馬民族系に二大別出来る。古い順に並べると、
1、土着西南系(九州、四国方面に多い、弥生時代、邪馬台国群、八幡国群)
2、海洋漁業系(後の平氏、天の朝、中近東、ベトナム方面より)
3、原住農耕系(大陸系に帰順して農奴となった、仁徳王朝)
4、騎馬民族系(後の源氏、農耕は一切しない、崇神王朝)
5、藤原船舶系(中国大陸から渡来し、藤原氏を名乗る、継体王朝)となる。

そして、混血はしているが日本人であれば必ずこの内のどれかに属している。
また、これらの部族には民族の色として、海洋渡来系は赤色、騎馬系は白、藤原系は黒、土着西南系は黄色と、厳然と色分けされている。だから日本人は今でもなにかといえばすぐ赤白に分かれたがるのである。
運動会、紅白歌合戦然り。今、我々の身近な物で「水引」と言うのがある。これは舟べりに垂らす布を御所ではかく呼ぶ。

武家では能舞台に垂らす布をいう。だが庶民の間では寺へ持っていく布施に黒の細布を巻き付けてそう呼び出した。江戸期になると一般にも多く用いられだしたが、日本列島の原住民は源氏と平氏が圧倒的に多い。だから双方に向くように、紙よりを赤と白の二等分にした。

幔幕も同じ色分けだが、農耕漁業の平氏のほうが多いので、
天と地は赤色の横布をつけている。現在も当時のままであるのは皆さん御存知の通り。紅白が全ての行事に使われる根元は、日本人の民族色別による。
現在寺へ出す供養料などの包みの水引だけが黒白となつたのは、元禄期、綱吉の神仏混合令以降の名残である。
さて、幕末期北海道近海にはロシア船が頻繁に来攻しだした。ために徳川幕府は北海道防衛にと赤系の平氏者を集め、彼らが今でいう、
有事立法の下に頑張るようにと、船体を紅殻で染めた赤船艦隊64艘を作った。
高田屋嘉平が「操船するのは海洋民族の平氏が良いが、応戦する者は武闘派の源氏者が宜しかろう」と、進言した。それゆえ同乗させた双方が船内で宗旨違いで争っては困ると、源氏の白旗の中心に平家の赤を丸で入れて恰好をつけたのである。

『嗚呼、堂々の日の丸船団』はこの時誕生したのである。源氏者は「我らの白で赤を囲んでいるんじゃ」と言い、平家者は「白の真ん中に我らの赤がどっかり座っとる」と、どちらも都合良く解釈し、すこぶる評判は良かったらしい。
文化、文政には根室、択捉、国後まで日の丸をたてた500石や1500石の船団が北の海に君臨した。
不勉強な歴史屋は勝海舟が乗り込んだ威臨丸の日の丸が最初と言うが、この赤船が嚆矢なのである。しかし当時も厳しい北の海である。難破する船が続出し、文化10年を以て廃止されたゆえ、万延元年の渡米の際まで途絶えていた。
ペルリが浦賀へ来る前のアメリカ捕鯨船団がこの赤船を見かけている記録が現存している。
【追記】
この日の丸国旗のいわれについてはもう一つある。
日本民族の内、赤と黒は天孫系で、白と無色が原住系という識別が厳然としていたらしい。徳川家は三代家光からは血統も怪しくなったが、それでも「神君家康公思召しにより」と幕末まで「八朔」といって、旧暦ゆえ秋風のたつ頃なのに、将軍家から端下女のお末に到るまで、全員白装束になる習慣があった。
当日は吉原の女郎衆も白衣を着て江戸中が白一色になった。
だから、幕末に新見豊前守が訪米使節になった時、
(大公儀が京を包み参らせる形なり)と採用した白地に赤丸入りの旗が御一新になると、
(赤丸が白を押さえ従えるのは良い図柄)と反対に評価されやがて
「白地に赤く日の丸染めて、ああ美しや」となったのだとも云う。
いずれにしろ「白は空で、赤は太陽を表す」という認識は誤りで、日本民族の「民族カラー」が正しいようである。

         ◆◆◆日の丸と君が代◆◆◆  NO-3
             
         《君が代の起源》
古今和歌集の「わが君は千代に八千代にさざれ石の」なる詠み人知らずが明治13年に採用され、同26年から文部省告示で全国の学校で斉唱されたというのが、現在の定説となっている。
しかし、実際にはすでに薩摩の軍楽隊によって明治3年にこの曲は初演奏されている。「峰の小松に舞鶴住みて、谷の小川に亀遊ぶ、君が
代は千代に八千代に、ささ゛れ石の巌となりて、苔のむすまで命ながえて…」と
いうのは二代目羅卒総長となった大山巌の生地、鹿児島鍛冶屋町のものが、旧幕時代には祝歌として、尾張万歳や三河万歳のごとく口にしていた歌である。

明治になると彼ら下級武士が天下をとったので、薩摩琵琶歌として東京で流行させたのである。
歌詞の中に自分の名の巌が読み込まれているので、大山はいつも放歌
高吟していたという。
明治3年当時の大山はまだ薩摩大砲一番隊長であったが野津静雄(後の陸軍中将)、大迫清(四代目総長)らと三人で、時局談をしていた時、
横浜の英国軍楽隊へ教習へいっていた江川吉次郎が訪れてきた。
そして「イギリスの軍楽隊長から、世界中何処の国にも国歌というものがある。しかしこの国には無いのはどうしたことか、と言われ悔しい思いをした。早速同志の者と相談して探してくると、かくはお知恵を拝借にきました。なんぞ頃合いの物は有りませんか」と三人に懇願した。
突然の申し出に三人は面食らったが、イギリス人に嘲られたとあっては国辱ものである。
そこで「おはんもよう知っとる……巌となりての、あれを国歌じゃというてやったらよか」と大山巌は独断で命令した。
江川も良く知ってる薩摩の歌ゆえ、横浜へ戻って歌詞を書いてフエントン楽長に渡しすぐ演奏した。

これが世上物議をかもしている「君が代」の起源である。歴史を怜悧な目で読みとるならば、およそこんなものでる。
「君が代」が天皇賛歌でケシカランと言うならこうした裏面史を公開したうえで論議し、「我らが世」と変えるもよし、国民合意の上で新国歌を作るのも一方法である。
以前、石橋文相は「君が代の君は国民全部を意味している」との認識を示したし、昭和59年の衆議院内閣委員会で森善郎文相は「現行憲法下では、日本国民統合の象徴である天皇を持つ日本の国が永遠に平和であってほしいと言う歌と、国民も理解していると思う」と誠に苦しい答弁をしている。

一国の大臣がこんな寝ぼけたことしか答えられないのも、歴史を知らな
いからである。日本という国は暖流や寒流に乗って、アラブ、インド、
ベトナム、中国系やモンゴル系、さらに白系ロシアや南鮮、北鮮系と島国ゆえ沢山の民族がこの列島へやってきているのである。

大和民族単一説を広めたのは、対外戦争に国民を一致団結させるため、
明治昭和の軍部が流したプロパガンダにすぎない。
日本は今やバブル崩壊後、国の方針定まらず、危険な方向にまっしぐらである。国民は間違った歴史観のせいで、何を信じ、何を拠り所にしてよいのか解らぬ迷える子羊の群である。結局、金や物しか信じられぬ拝金主義者となり、世界から訝しい国と見られている。国を愛し、国を憂うるならば自国の正しい史観ほど大切なものはない。
正しい史観のもとに国民が一致団結して、同じ方向を向いた時初めて、この激浪を乗り切れると思うのだが。

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