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仏教は「善」神信心は「悪」
禅 千宗易 千三つの意味
現在仏教の各寺では哲学的に勿体をつけて「禅の瞑想で精神統一」などとやるから、何も解らぬ外人までが忍者や武士道と同じように有り難がって大変な人気である。 しかし江戸時代までは至極単純で、日本に大陸から進駐してきた連中が持ち込んできたものに仏教と漢字があるが、彼らは仏教は「善」で、原住民が信仰していた自然教、
即ち拝火教や拝水教、白山信教などを馬鹿にしてこれらを異教とみなして、「悪」とみなしたまでの話である。 寺の多い京では各寺が庶民から「お賽銭」という名目で金を巻き上げるに当たって中近東から来た目の青いのや毛色の変わった人間を見世物にして祭り上げたものである。
有名な達磨さんはインド人だということはよく知られている。 彼が面壁九年と言われるほど何も喋らなかったのは、日本語がてんで判らなかったからで、それでも色黒でギョロ目の達磨さんを当時の日本原住民は恐れて崇めたのである。
だから、このことを庶民は皮肉って、その実態をコンニャク問答にして、他愛の無いものだと種明かしをしたのである。
だが幕末になると山岡鉄舟が、斬れもしない日本刀を賛美し「剣禅一如」とさも尤もらしいことを言い出した為に、今では外人たちにも信者が多い。
大体考えてみても、人殺しの道具の刀と、宗教との関連性など何処をどう捻くったとて出てくる筈が無い。だからこんなマヤカシに惑わされてはならない。
千宗易
この時代に一緒に生きていた当時の公卿で神祇大福の吉田兼見は
この宗易とは家族ぐるみの付き合いをしていた。 その日記が現存しているが、何箇所も続けて「理休」と書いている。 まさか彼が誤る訳は無いから現在通用している「利休」は偽ものである。 千三つ この言葉は現在、千分の三位しか本当のことを言わない嘘つきという意味で使われている。だがこれは誤りである。
千というのは数ではなく、先住民のセンのことなのである。
日本中にこの「セン」が付く土地は多い。漢字のマジックによって様々な漢字で記されているが字づらに惑わされて本来の意味が隠されているのが現状である。 仙台、浅草(本来はセンソウと読む)、洗足、千住、と日本地図を見れば実に沢山見られるが、東北関東、東京には特に多い。
先住民が多く住むという意味の仙台。
先住民のことを昔は草とも言った為、の浅草。 仏教を嫌い絶対に転宗しない原住民を強制的に転宗させることを洗足という。
今では「ヤクザから足を洗う」等と使われるが、転向するという意味なのである。 千人も多く住んでいるのではなく、先住民が住んでいたから千住という。
大陸よりこの日本列島に乗り込んできて君臨していた連中が、「嘘っ八」とか「嘘の三八」と馬鹿にしたのと同じで、先住民の語る歴史など皆出鱈目だとした。
さらに「センズリ」という言葉も男のオナニーの事だが、千度もこすったら、皮がむけ、一物が大変なことになる。
この本当の意味たるや、原住民が奴隷(庭子)として生涯独身を強いられて、性欲さえも抑圧され、一人寂しく処理するセンの民の悲しい言葉なのである。
即ち大陸系の占領軍が、原住民を蔑み馬鹿にして、
「お前達は、センずりでもかいているのが相応しい低級民族だ」と。 さて、もう理解されたと思うが、八切史観は一貫して、この日本という国は太古から中国に占領され、一時期は朝鮮半島の百済にも占領されていたと解明している。
中国は平安時代であり、藤原を名乗っていたし、百済は奈良時代で、今でも「くだらん奴」「くだらない」等と残っているほど強大な権力で日本原住民を支配弾圧し奴隷化していたのである。
日本が真に独立を出来そうになったのは秀吉の朝鮮の役に当たる。 秀吉は朝鮮は通過するだけで、最終目的は北京の周辺を占領して、天皇の周りに権力を張っていた中国系公家達に分け与える計画だった。 その計画とは、 「天皇を北京へ迎えて、その周辺十カ国を御料所とする」
「関白秀次は、明国百カ国を全て治める」
「日本の関白職は、秀吉の甥の大和中納言」
こうした戦後処理まで考えて、 「文禄元年六月三日付け」をもって「七番隊総勢十三万の精鋭をもって明国進撃」 の発令をしている。
だから「チャンコロ共は国へ帰れ」と言った秀吉の逸話も残っている。
大陸勢力を根こそぎ島流しにでもすればすむところ、大陸占領という無謀な計画は秀吉の気宇壮大なところであろう。 そして原住民出身である自分こそが次の天皇になり、真に独立した原住民政権による日本国家樹立を計画し、そのため己の新御所として聚楽第も建てたのである。 惜しむかな、夢半ばで病没し、その後も大陸勢力は温存されたのである。
信長にしても、八の民族(海洋渡来系、平氏)の勢力を結集して岐阜(祇を信じる民族だから) ギフつまり祇の民族の都として祇府を選んだのであろう。
だから彼は大陸系の役職、右大臣や内大臣などを嫌い、受けても一年もせず投げ出した居る。 そして生涯無官でいた。 次に豊臣家を滅ぼした家康は関東の江戸に徳川政権を樹立する訳だが、関西を押さえていて当時の日本の大蔵省(財務省)とも言うべき、春日局を十四歳まで養育していた京の蜷川財閥との対立を避け、箱根の山を境に東は金本位制、西は銀本位制をしいた。
この蜷川は大陸系だから、京の公卿、御所を中心とした大陸勢力は温存されたのである。
しかし御所から次々に出る倒幕の勅旨に手を焼いた幕府は、御所を見張るため、京町奉行所と京所司代を設け、厳しく監視した。 江戸幕府創業の頃の乱は、島原の乱、別木庄佐衛門の乱、由井正雪の乱、これらは全て討幕運動だった。
この後、明治維新と成る訳だが、当初は神の民、即ち日本原住民の復権を目指す革命運動だったのが、大陸勢力である薩摩、長州の仏教側からの政治献金で明治政府を作られてしまい、
神祇省も廃止され、これ以後明治大正昭和と大陸系の勢力が日本を統治するという構図になる。 そして薩長勢力は孝明天皇さえも暗殺して、これが太平洋戦争にも繋がる陰謀の歴史となる。
ウイキペデアで検索すれば、この辺は様々な考察がなされているが、中でも史料的価値が大きいものに、鹿島 昇著作「裏切られた三人の天皇」に詳細がある。
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仏教は「善」神信心は「悪」だった
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