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水戸天狗党の由来
水戸斉昭は徳川慶喜の実父であるが、朝廷から勅を貰い江戸に取って代わって水戸幕府を開こうとしたが、雄図虚しく死去する。
だが家臣たちは死後もその意思を継いで、江戸に取って換え世直しをしようとしていた。
その過激派に付けられた名称が天狗党なのである。 しかし何故天狗党の名が付けられたのかは明らかにされては居ない。
その訳は、当時の有名人だった藤田東湖の遺児で、藤田小四郎を頭に立て、武田耕運斎達が挙兵した。 そして水戸斉昭の子の徳川慶喜の配慮を願って加賀まで行って、そこで同行の妻や娘諸共入獄され、やがて一人残らず打ち首になる。 しかし明治になると彼らは揃って追贈位され華族に列せられ、恩賜金さえも給せられている。
これは有名な事象で当時人口に膾炙されていた。
だがこれには陰の主役が有って、それは医者の倅だったため士分で無い田中源蔵の率いる三百人の少年隊だったのである。
この少年達は、水戸藩の方針で官学の弘道館以外の私学は不要という命令で、私学廃止に反抗した当時の学徒隊だった。
だが年少の子供達だから、髪を切って童顔を隠すために紙製の天狗の面をかむり、栃木陣屋を襲い土浦城を攻めた。
これは勿論武田耕雲斎ら、参謀本部が裏で糸を引いていたのである。
そして今の日立市で、昔の助川から八溝山で一人残らず全滅し悲惨な最期を遂げた。 この事件は当時全国に鳴り響いたので、翌年高杉晋作がその名をバクったのである。 |
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