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観光資源〕

観光資源〕
本村は観光資源に富み、四季おりおり美しい景観を呈している。落差一二一メートル、東目本随一の名爆「精進ケ滝」、水量豊富で豪快な「赤薙ノ滝」、日本一の桜の巨樹、山高の「神代桜」と、その樹容鶴の舞いあがる姿に似た萬休院のアカマツの名木「舞鶴の松」とはともに国指定の天然記念物、鳳風山の花庸岩地帯から湧出する含土類食塩泉で胃腸病の霊泉として古くから知られている「大藪鉱泉」、美Lい大武川・石空川の渓谷、武田氏の烽火(のろし)台跡といわれる中山砦と茸狩り、村指定の文化財の数々など、その保護と総合開発に力を注いでいる。

〔武川町・植物〕(「武川村誌」)

本村は植物分布からみると、暖帯と温帯に移る境から始まり、垂直的に亜寒帯、寒帯にわたり広い範囲に植物分布をもち種類が多い。
温帯は本村では急峻な山岳地帯を除いた標高八○○メートル以下がこの区分の中に入り、落葉広葉樹が広く分布している。
温帯下部ではクヌギ、コナラ、アカプツ、ヤマツツジを主体にした林がある。アカマツは村の木に指定され、広い範囲に分布し生育がよい。
温帯上部にはミズナラ、カラマツの植林地がある。
亜高山帯(亜寒帯)は標高一、八○○メートルから二、五〇〇メートルの地域で常緑針葉樹が主体でシラベ、コメツガ、オオシラビソ、落葉針葉樹としてカラマツがある。これは燕頭山から鳳風山、仙水峠付近に美しい天然林が広がっている。
高山帯(寒帯)は標高二、五〇〇メートル以上の地域でハイマツに代表される地帯で、本村では地蔵ケ岳付近とアサヨ峰付近及び仙水峠の一部に、その群落が見られる。植物分布のうち、本村の特色あるものとして、カタクリの群落、オオビラソジ、シラヒゲソウ、コマイワヤナギなどは分布上貴重な存在とされているので愛護していきたい。

〔武川村・動物〕(「武川村誌」)

動物については、他地域で見られる種類はほとんど生息し、ライチョウ、ニホソカモシカも生息するが、特筆すべきものは未だ発見されていない。

〔武川町・気候〕(「武川村誌」)

本村の気侯は概括的には、中央高原型の内陸性の中にあって、少雨冷涼区に属するが地形上の要因で場所により、かなりの相違がある。また、海抜高度により垂直的な気象変化を示し、山岳気侯、高山気侯を呈する。昭和五十年から同六十年までの一一年間の武川村役場の観測結果によれぱ、年平均気温は二一・六度、年間平均雨量は一、一四九ミリメートルで、月間最多雨量は九月の一六三・五ミリメートルで、八月、六月が続き、月間最少雨量は一月の二一.九ミリメートルに、十二月、二月が続いている。
年間平均降水日数は一〇九・五日で、月間最多目数は六月の一四・三日に七月、九月が続き、最少日数は一月の三・四目に十二月、二月が続いている。これらの観測結果は近くに気象台の正抵な観測所がないので、厳密には若干の誤差は免れないかも知れたいが、一応の目安とたるので掲げた。
夏は南または南西の季節風が多く、昼夜の温度差が大きいので凌ぎ易いが、晩秋から春先にかけて北西の寒冷強風の季節風、すなわち、「八ケ岳おろし」の空っ風が吹きすさび、風塵が飛び身にLみる寒さである。春の晩霜、秋の早霜は、桑、果樹、野菜など農作物に及ぼす影響は大きく、また、気温の春の急上昇と秋の急下降とは農作業期間の短縮を余儀なく迫られている。

〔武川町・地震〕(「武川村誌」)

本村の西側を糸魚川-静岡構造線が、東側を富士八ケ岳構造線の二本の活断層が走っており、活断層は震央につながると考えられている。近年東海大地震の発生説が唱えられ、大被害が予想される地域とLて、昭和五十四年八月七日、地震防災強化地域に指定され、激密な防災計画のもとに体制を整えつつある。

〔武川町・水害の村〕(「武川村誌」)

本村の地形、河川の要因から特筆すべきことは水害である。本村の歴史は水害史であり水との闘いの歴史である。村内を流れる河川の上流は勾配が急で、西都山岳地帯が豪雨に襲われると急激に増水し、脆弱な地盤を浸食し、風化し易い花崗岩地帯を崩壌させ、一挙に土石流を押し出し、堤防を決壊して氾濫し、人家や家畜や田畑を流失して甚大な被害を与え、時には尊い人命まで奪うことがしばしば繰り返えされたのである。大水害により、耕地は川原と化し、農作物は流失または埋没し、堤防、道路、橋梁は寸断され、住民はこれらの復旧の諸普請に追われ、なおかつ、自らの耕地の田普請を強いられ、困窮のため、潰百姓が続出し、水害を免れた土地の質入れ、住居を安全な土地への移転などに迫られ、その生活は普請手当や拝借米によって僅かに露命をつなぐ苦闘の連続であった。このようななかにあって村役人は水害による年貢の減免と復旧工事の歎願に奔走したのであるが度重なる水害の反復は村を極度に疲弊させたのである。
殊に上三吹上河原の釜無川と尾白川・大深沢川の合流点付近は郡下屈指の水難場で度重たる堤防の修築や附属施設工事にもかかわらず、出水のたびごとに河床を上げ、堤防を決壊して氾濫し、住民の立ち直る余裕もなく、大水害を繰り返えしてきた。
また、大武川は急流で延長も長い上に、石空川の水を加えて流下する暴れ川で、洪水を起こし易く、柳沢、山高、黒沢の水田、下三吹に大被害を与えてきたのである。
これらの水害による困窮のあらわれとして三吹村の代助郷がある。三吹村は、元禄二年(一六八九)から甲州道中台ケ原宿助郷役を勤めてきたが打続く水害により極度に困窮した。隣村である宮脇、黒沢、山高、柳沢、牧原、新奥の六か村は窮状をあわれみ、代官所へ願い出で、寛政八年(一七九六)代助郷を勤めた。しかし、これらの六か村も困窮に詰り、文化五年(一八○八)大八田村外三か村が代助郷を勤めるに至った。
歴史上特に激甚な惨害を被ったのは、明治三十一年九月六日の上三吹と昭和三十四年八月十四日の七号台風による下三吹、新開地の災害である。前者は、同十年月九日勅使として侍従日根野要三郎の巡視を賜り、後者は同年八月二十六目時の岸信介首相、福田農相の実地視察を受け慰侐激励され、村民また復興に奮起したのである。殊に昭和三十四年の災害復旧には四年有余の歳月と三五億円の巨費を投じ大武川の流路工、護岸工事等近代的国土建設の理想的工事淋施され、以後流路工一砂防ダム、床固工事、治山工事が施工され安全基盤が確立された。

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