第5話はこちら
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早くこの場から立ち去りたいのにーー
偶然にも目撃してしまった光景から、チェギョンは目を背けたかった。
それなのに逃げ出したくても両足は竦み、まるで鉛の足枷を付けられたみたいに動けない。
ただ必死に嗚咽が漏れないよう両手で口元を覆って、残像を洗い流すかの様に次々と涙が溢れて頬を濡らす。
【シンは私のモノよ……絶対にアンタなんかに渡さない!】
柱の影に身を寄せるチェギョンだったが、精霊であるヒョリンにはその様子を伺い見る事はいとも容易い。
初めて好きな人の唇に触れる事が出来たのだ。
それも、チェギョンに見せ付けながら。
だから目測を誤ってしまった事に気付けなかったのかもしれない。
シンの領域を侵してしまっていた事に。
チェギョンを意識する余り、ヒョリンは自分の咄嗟の判断が……
既に命取りとなっていた事を。
勝ち誇ったかの様に、ヒョリンの口角が僅かに上がっていた。
「何をする!」
シンの冷たい声が、夢見心地のヒョリンを現実の世界へと引きずり戻した。
シンに近付く事は簡単だった。
精霊なのだから、その心を読み取る事も。
疎まれない距離を測り、決して彼の領域に踏み込み過ぎず……
ただ、理解者の振りをしながら寄り添っていた。
皇太子であるシンのプライドを保ちつつ、絶妙な間合いで存在する。
それがシンの側に居続ける、唯一の方法だったから。
「ごめんなさい……
どうしてもシンからのご褒美が欲しかったの。
私、すっごく頑張ったのよ……」
ーー貴方の為に。
シンが欲しくて。
シンの隣が誰よりも相応しい女になりたくて。
たとえ過去の思い出の中に、約束の相手が居たとしても。
それが運命の相手で、精霊として見守るべき二人だったとしても。
【現実(今)の世界で、一番近くに居るのは私なのよ……!】
姿を隠したまま泣きじゃくるチェギョンの様子を、ヒョリンは見下しながら優越感に浸っていた。
その時、シンはチェギョンの時とは全く違うその感覚や感情に、僅かな戸惑いを感じながらも……
頭の片隅に白い霞がかかった様な不思議な世界が見え隠れしていた。
モヤモヤとしたその世界は、時に甘く切なく儚くて……
そのくせ、瞬時に弾け飛ぶ。
!!!
「悪いが、友人として祝う気持ちはあるが、された行為は迷惑でしかない!!」
シンには見えていないはずなのに……
なぜだろう?
悲しみの表情を浮かべているチェギョンの姿が、目の前に浮かんでいた。
右手の袖口で乱暴に自分の唇を拭いながら、ヒョリンに冷たい視線を向ける。
「この際だからハッキリ伝えておく……
付き合っている大切な人がいるんだ。
今、その子だけを守りたい」
好きとか嫌いとか。
恋とか愛とか。
そんな事、どうだって良かった。
ただ目の前のヒョリンと、自分が唇を奪った相手であるチェギョンとは全然違う。
全く異なる……
こんな感情は初めてで、自分でも持て余すぐらいだ。
◇◆◇
「そんな!!
シン、酷いわ!あんまりよ!!!」
「あぁ、そうだな。
こんな非情な男なんて、直ぐに忘れてくれ!」
「こんなに好きにさせといてーーー
ずっと一緒に居たのは私でしょ?
シンが心を許せる唯一の相手……」
ヒョリンの切望すら疎ましく、シンの心には響かない。
本来なら侮辱罪で咎めたい程の屈辱的な行為に等しい。
だが、現実逃避した故の自業自得。
後悔だけの代償だとも思えた。
あの……
心の込もっていない、思いつきだけのプロポーズ。
やはりこんな行為は、大切な人とするべきなのだーーー
後悔と恋心。
口付けをした時の戸惑ったチェギョンの顔が、瞼に焼き付いて離れない。
◆◇◆
そんな二人のやり取りを……
チェギョンは柱の影から動けぬまま、聞いていた。
シンが言っている《大切な人》が、自分である確信も自信もまだ無い。
だけど、もしかしたらーーー?
《付き合っている人》が自分である確率がゼロでは無いのもまた事実。
その時だった。
「おーーーっ!
俺の大切なガンヒョンの大親友、シン・チェギョンじゃねーか!
どうした?腹でも痛いのか???」
泣き腫らすチェギョンに、躊躇無くデッカイ声で問いかける不躾な男の声が響いた。
!!!
「ギョン君っ?!シーーーッ……」
慌てて唇を尖らせて人差し指を立てるチェギョンに、ギョンの疑問は止まらない。
「(俺の声が響くぐらい)そんなに酷いのか?
痛むんなら保健室、行くか?」
そんなトンチンカンなやり取りに、シンの体は否応無しに反応していた。
「良い度胸だな、シン・チェギョン…
お前、立聞きが趣味なのか?」
意地悪な言葉とは裏腹に、その声は安堵と優しさが含まれていた。
チェギョンの涙の理由が…
シンには既に理解出来ていたから。
「ヒョリン、良い機会だから紹介しておく。
コイツが俺の付き合ってる女で……
大切な女(ヒト)チェギョンだ!」
!!!
驚きを隠せない三人。
チェギョンはシンの言葉に、自分の耳を疑った。
ヒョリンは自分がコンクールで居ない間に、二人の距離が近付いていた事に驚いた。
ギョンは……
ガンヒョンとの約束を果たす為、救世主に成れたつもりでいたのに。
「俺、とんだピエロだな……」
これじゃガンヒョンに褒めて貰えない。
既に、時は満ちていたのだ。
精霊としてわざわざ導かなくても、今の時代で再会し再び惹かれ合うシンとチェギョン。
チェギョンの涙が。
シンの笑顔が。
鈍感で、敢えて空気を読めないオーラを全開にしてきたギョンにさえ感じていた。
「付き合っているですって?
それって……
付きまとっているの間違いじゃなくて?」
ヒョリンの鋭い視線がチェギョンを射抜いた。
もう自分の出る幕じゃない事ぐらい分かりきっている。
でもヒョリンも精霊として二人の姿を……
シンを見守る宿命を、ずっと続けていたのだ。
これが運命なのーーー???
ずっと見てきたのだ。
秀麗眉目な孤高の皇太子を。
宿命が、魅惑に劣る理由なんて見つからない。
「あぁ、俺がチェギョンに付き合って下さいと頼んだんだ!」
あの時はまだ、深くは考えなかったが。
「その時、なぜチェギョンを望んだのか?
その明確な理由を、さっきヒョリンが教えてくれた」
???
「えっ、私……が?」
「あぁ、チェギョンとはずっと一緒に居たいと…
今なら心からそう思えるから。
それが答えだ!」
ヒョリンの言葉で、シンはチェギョンとの未来を夢見描いた。
茫然と立ち尽くすヒョリンの肩を、ギョンがポンと優しく叩く。
【ヒョリン、それで良い……
それでこそ、お前は精霊の誉れ……】
ギョンの心が無音でヒョリンに響く。
自分が惨めに思えて、ヒョリンの本心は泣き叫びたかった。
が、すんでのところで踏み止めていた。
辛うじて……に近いのかもしれないが。
【ギョン……私、バカみたい……
これじゃまるで、私が二人の手助けをしたみたいじゃない……】
ヒョリンの涙が決壊しそうなその時。
細い肩は抱きすくめられていた。
「ヒョリン!凄いな!!
金賞だって?おめでとう!!!」
傲慢なヒョリンを受け止め、この場から救ってくれた人物は……
同じ時間を過ごしてきたインだった。
祝福の言葉に、素直に。
惨めさを誤魔化してくれた優しさに。
「イン……ありがとう……」
ヒョリンの涙はインのシャツに吸い込まれていく。
「ギョンっ!」
「ガンヒョン!!俺……」
ギョンは自分の名を呼ぶガンヒョンに、困惑して眉を下げながらはにかんだ。
【俺……全然、役立たずだった……】
【何言ってんの、アンタにしては上出来よ!!】
ここでも魂だけが会話する。
見守る、浮かぶ。
精霊のパワーが。
時を飛び越え、強烈な思いとなりーーー
《無事に帰れたら……
ずっと一緒に居られますように……》
あの頃のシンとチェギョンの重なる願い。
その言葉のパワーが辺りを木霊する。
もう、抑える事など出来ない程に。