|
日本橋の旧大同生命ビル
旧加島銀行東京支店として建てられました
昭和11年、ヴォーリズにより改装
設計者 前田 松韻
竣工年 大正10年
施工者 竹中組(現・竹中工務店)
構 造 鉄筋コンクリート、7階鉄骨造
所在地 中央区日本橋2−7
建築家前田松韻は、大連軍政署の技師で、大連中山広場近代建築群の2号・大連民政署(大連警察
署)を設計しています
現在、彼は大連中山広場近代建築群の2号・大連民政署を設計した若き天才建築家として大変注目
が集まっています
日露戦争後、日本が満州鉄道の経営など、中国に進出したのに合わせて、建築の技師も大陸にわた
っていった
彼はその中の1人で、しかも戦時中に最初に渡った建築家であった
大連中山広場近代建築群で現存するのは10棟で、内7棟が日本人建築家による設計です
2号・大連民政署は明治41年に建てられ、日本統治下で最初に造られものです
彼は、完成前の明治40年に帰国し、東京高等工業学校(現・東工大)の教授となっていますが
写真の建物は、彼の日本での貴重な作品であったが、残念なことに取り壊されてしまいました
調べた限りでは、日本での作品はこの旧大同生命ビル(加島銀行東京支店として造られる)だけの
ようです
それと、ネットで公開されている写真は、私のこの写真だけのようです
今わかっている前田松韻の略歴
明治13年 京都生まれ
明治37年 東大建築科卒
同年 日露戦争下満州に渡り軍倉庫の建設
明治38年 大連軍政署の嘱託技師
明治40年 帰国し東京高等工業学校の教授
昭和18年 まで教授
住宅史の研究を行なった
昭和19年 没
天才的才能を持った建築家でありながら、研究者と教育者の道を選び、生涯をささげたようである
従って、作品は少なく、国内では加島銀行東京支店が唯一の作品だったようです
改めてこの建物を見てみると、当ブログでは大正の同年代の銀行建築を多数掲載していますが、こ
の建物のように7階建の高層建築で、かつ事務所建築のようなデザインの銀行は他にない
彼は、銀行建築に機能性や合理性を重視した設計を採り入れた最初の建築家であったと思います
そうした意味で、モダニズム建築への先駆的な建物であったと思います
加島銀行については、ウィキペディアによると、江戸時代から続く大阪の豪商加島屋の両替店を母
体に、明治18年に設立
金融財閥である広岡財閥の中核であったが、昭和恐慌のあおりを受け、昭和9年に廃業
ヴォーリスは、
皆さんは、メンソレータムをご存知だと思いますが、メンソレータムを作っている近江兄弟社の創
立者の一人です
事業者であり、キリスト教の伝道者であり、建築家でもあった
彼は、日本に数多くの作品を残しています
この建物について、ヴォーリスがどの様な改装をしたのかに関する資料はわかりません
但し、改装時期が昭和11年ですので、関東大震災とは関係はなさそうです
金融恐慌により加島銀行が破綻し、その後この建物を所有した会社が改装したようである
★ネガ有り 9−26B★
|
今NHKの朝の連続小説「あさがきた」が放送されています。主人公あさが加野銀行を作りますが、ドラマの加野銀行のモデルが加島銀行です。この写真はあさが作った加島銀行の東京支店だったものです。
私はこのテレビドラマでこの建物の由来を知り、「あさがきた」がより身近に感じ、毎日楽しく見るようになりました
2016/2/7(日) 午前 11:04 [ mk26813 ]