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右側の建物が旧東洋ガラスビルで、左側の建物が幸ビルです
内幸町の旧放送会館の前にありました
写真の建物の設計者、竣工年などご存知の方は教えてください
東洋ガラスビル
旧名称 長与胃腸病院
設計者 小林 政輝
竣工年 大正末
構 造 鉄筋コンクリート
所在地 千代田区内幸町1−3
設計者は、日本建築総覧によると小林政輝ですが、彼はどのような建築家であったのかよくわかり
ません
幸ビル
設計者 大倉土木
竣工年 昭和2年
施工者 大倉土木
構 造 鉄筋コンクリート
所在地 千代田区内幸町1−3
PS
グズグズさんから、東洋ガラスビルについて貴重なコメントをいただきました
それによると、この建物は大正12年の関東大震災後に長与胃腸病院として建てられ、文豪・夏目
漱石の主治医のいた病院として有名だったとのことです
そこで、長与胃腸病院について検索すると、
当病院は、長与称吉が明治26年に日本橋に医院を開業、明治29年10月に内幸町に病院を建
設、この病院はわが国はじめての胃腸病専門の病院であった
司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」にでてくる秋山真之や夏目漱石が入院したのもこの病院であった
関東大震災の後、鉄筋コンクリート3階たての、写真の建物に建て替えられた
幸ビルに関するエビソードとして、
戦後の一時期、この建物に文藝春秋社が移転していました
文藝春秋は、菊池寛が大正12年1月号を以て創刊した文芸雑誌です
昭和2年に、長与胃腸病院の並びの大阪ビルの2階(当ブログで当時の大阪ビルの写真を掲載して
います)、211豪室に移転してきましたが、
終戦後、占領軍に大阪ビルは接収されたため、すぐ近くの幸ビルに移転してきました
昭和22年、菊池寛は公職追放の指令を受け、文藝春秋社を去っています(東京紅團の文芸春秋の
足跡を歩くより)
隣の長与胃腸病院は夏目漱石と関わりがあり、その隣の幸ビルは菊池寛との関わりがあったわけで
す
文豪たちと関わりのあった地域であり建物だったわけです
★ネガ有り 16−11A★
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東洋ガラスの建物について少し判りましたのでお知らせします。残念ながら建物自体の詳細は判らなかったのですが、大正12年の震災後に長与胃腸病院として建てられたものと判りました。昭和43年に四谷の移った後に東洋ガラスの社屋になったものと思われます。四谷の「胃腸病院」の沿革のサイトに写真がございました。文豪・夏目漱石の主治医のいた病院として有名なようです。
2012/6/27(水) 午前 0:11 [ グズグズ ]
グズグズさんおはようございます
当初から東洋ガラスのビルとして建てられた訳ではなかったのですね
長与胃腸病院は、夏目漱石の主治医であったとのことですので、当時は名の知れた病院だったのでしょう
この建物について教えていただきありがとうございます
2012/6/27(水) 午前 8:03 [ mk26813 ]