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以前、内幸町の三井物産館と旧日本放送会館の写真を掲載しましたが、新たに写真が見つかりましたので
掲載します
前回掲載したした時点では三井物産館について、私はほとんどわからなかったが
しかしながら、ウィキペデアの「日産館」を検索して、この建物の数奇な運命を知りました
それによると、日産館は日産コンツェルンのビルとして、昭和12年に竣工し、「日産館」と呼ばれまし
た
戦争中は海軍が使用し、海軍艦政本部がおかれました
戦後は、無差別爆撃により庁舎を消失した外務省が入居し、終戦連絡中央事務局をここに設けました
昭和31年に三井物産に売却され、「物産館」と改称、同社の本社社屋として使用
昭和51年三井物産が大手町に移転すると、警視庁は建て替えのため仮庁舎として使用
昭和55年解体
私が、この写真を撮した時は三井物産の本社であったが、建物に「日産コンツェルン」の銘板が貼られて
いたことを覚えています・・・そこで「日産コンツェルン」で検索した結果、ウィキペデアの「日産館」
にたどり着いた次第です
この写真を撮影した時は、富国生命ビルが解体されている時で、もう少し早ければと悔やまれます
日産館
設計者 川本 良一(中央土木)
施工者 中央土木
竣工年 昭和12年
構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造
所在地 千代田区内幸町2−2
川本良一の作品
戸板女子高校 http://blogs.yahoo.co.jp/mk26813/47026815.html
旧放送会館
設計者 山下 寿郎
竣工年 昭和13年
施工者 竹中工務店
構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造
所在地 千代田区内幸町2−2
山下寿郎の作品
丸石ビル http://blogs.yahoo.co.jp/mk26813/51912121.html
★ネガ有り 上15−19 下16−9★
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昭和の匂いがプンプンする建物ですね。
惜しいな〜保存の声は出なかったのでしょうかね。
2012/4/26(木) 午後 5:46
内幸町の一画は30年前までは昭和初期の建物がたくさんあり、昭和初期の街並が楽しめた所でした
保存の運動は当時無かったと思います
日比谷公園の近くでもあり、保存より開発の時代でしたから
2012/4/26(木) 午後 7:05 [ mk26813 ]
はじめまして、
日産館(三井物産→警視庁仮庁舎)は波乱万丈の如く昭和を駆け抜けた建物でしたけど、昭和49年の連続企業爆破事件(三井物産本社時代)のターゲットにされた事や、さいごの頃の警視庁々舎改築に伴う警視庁の仮庁舎は、わりあい印象に残ってる方も多いのではないかと思います。
それでは、この辺で失礼します。
2012/5/22(火) 午後 5:21 [ 武州人 ]
武州人さん こんにちは
連続企業爆破事件が起きた年は、私が就職した昭和49年ですので鮮明に覚えています
日産館と日本放送会館は激動の昭和を語る上で重要な建物であったと思います
連続企業爆破事件は銀座の旧大倉別館(当ブログで写真とコメを掲載)も標的となりました
あの時就職した私は、今では年金をいただく年齢になってしまいました
2012/5/22(火) 午後 5:55 [ mk26813 ]
川元良一は1914年(大正3年)東大を卒業、三菱合資会社地所部に入社、三菱銀行本店等を担当。
関東大震災後に転職して同潤会の建築部長に就任。その後独立奥野ビル、九段会館、当日産館を手掛けた。(三菱地所設計より)
2018/5/26(土) 午後 1:59 [ mk26813 ]
三菱地所設計の記録によると、川元良一は日産館を設計した時代は独立して設計事務所を持っていたとされていますが、ウィッキによると彼は日産系の建設会社である中央土木に所属し、この建物の設計施工に携わったようです。いづれが正しいのか調べる必要があるようです
2018/5/27(日) 午前 10:37 [ mk26813 ]