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懐古写真館

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川越の見世蔵

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川越のこの見世蔵は2階の窓に特徴があります

川越の見世蔵の窓は観音開きが多い中で格子となっています   

棟瓦の棟面土は漆喰仕上げとなっています   

重々しくなりがちな見世蔵を少しオシャレな見世蔵にしたのでしょう


★ネガ有り 36−8★

丸の内の明治生命館

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明治生命館   

20代の頃、生命保険加入者へのサービスとして、この建物の中で映画の上映会がありました   

映画より建物内部が見られることが嬉しくて、保険のおばちゃんに招待券を頼んで何度か行きました

上映時は仕事は定時に切り上げ、この建物の内部見学に   

この建物は近代建築の最高傑作といわれています   


設計者  岡田 信一郎   

竣工年  昭和9年

施工者  竹中工務店

構 造  鉄骨鉄筋コンクリート

所在地  千代田区丸の内2−1


★ネガ有り 上2−3A 下   ★

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旧東京商科大学研究室? であったと聞いてはいましたが   

この建物は東京商科大学研究室として建てられ、その後岩波書店の事務所として使われたと聞いていまし



私がこの写真を撮影したのは30年以上前ですが、現役の事務所として使用されていました

木の電柱が写っていますが、東京のこのような都心に木の電柱があったんですね   
  
設計は、日本で最初に鉄筋コンクリートの建物として有名な三井物産横浜ビルを設計した遠藤於莵で、竣

工は大正4年? と思われます

この建物について詳細をご存知の方は教えてください


設計者 遠藤 於莵

竣工年 大正4年?

施工者 ?


PS

ピニンP4さんからの情報から少しずつこの建物について分かってきました

・まず、現在の一橋大学は、商法講習所→東京高等商業学校→東京商科大学→一橋大学 と変遷した

・明治8年に設立の商法講習所は銀座尾張町に有り、明治9年に東京府移管になり銀座木挽町に移転、

 明治18年に東京商業学校への改称を経て一ツ橋通町に移転、大正9年に東京商科大学となる

・大正12年の関東大震災により校舎のほとんどが壊滅

・大正14年に現在の国立へ移転

・関東大震災で残った建物は、図書館と写真の旧専攻部教室だけであった

 旧専攻部教室は三井の寄付で出来たため「三井ホール」と呼ばれた

・国立に移転した後、一ツ橋の校地には、南半分に「一ツ橋講堂」及び「如水会館」、北半分は共立女子

 大学の校地となった

・「三井ホール」はその後岩波書店に渡ったと思われる

「三井ホール」は一橋大学の歴史を物語る貴重な建物であったことになります

・設計者はほんとに遠藤於莵なのか?

 ネットでは、この建物の設計者が遠藤於莵であることを裏付けるような資料を見つけることはできませ

 ん

 この時代に、鉄筋コンクリートの建物を設計できた建築家で、耐震にも造詣が深い建築家は数名であ

 り、遠藤於莵か曾禰逹蔵のいずれかになり、2名とも三井とのつながりがあります

 建物のデザインも考慮すると、遠藤於莵であったと私は推測します

 この建物が壊されてしまったこと、また解体した時に記録が造られていないとしたら、大変残念なこと

 です


一ツ橋講堂の写真 http://blogs.yahoo.co.jp/mk26813/50044736.html

学士会館の写真  http://blogs.yahoo.co.jp/mk26813/51998700.html



★ネガ有り 4−29★

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建てられた当時の名称は、東京府美術館です  

正面玄関の写真です   

正面玄関の堂々とした列柱はすばらしいものでした 

様式はネオクラシック式、外壁にはレンガが貼られていました 

この建物の建設費は、石炭商佐藤慶太郎ただ一人の寄付金百万円でまかなわれたそうです

佐藤慶太郎について、石風社から本が出ています

佐藤慶太郎伝 東京府美術館を建てた石炭の神様・・・著書 斉藤 泰嘉

書評を紹介すると、

日本のカーネギーを目指した九州若松の石炭商・佐藤慶太郎。「なあに、自分一代で得た金は、世の中ん

ために差し出さにゃ」。

巨額の私財を投じ、日本初の美術館を建て、戦局濃い中、佐藤新興生活館(現・山の上ホテル)を建設、

「美しい生活とは何か」を希求し続けた男の清冽な生涯を描く傑作評伝  以上です

この建物には、ドラマがあったのですね

尚、この建物が造られる前は、ここにバラック建の美術展覧場があったようです

そしてこの建物は、収蔵より展覧会場を目的に設計されました

残して欲しかった建物でした


建物名 東京府美術館

設計者 岡田 信一郎

竣工年 大正15年9月1日(開館日)

施工者 大林組

構 造

所在地 台東区上野公園8
 


★ネガ有り 4−12 他1枚(正面)★ 

一ツ橋の学士会館

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学士会館   

少し古い写真ですが   

ここが東京大学発祥の地で、いわば大学発祥の地となります  

設計は高橋貞太郎と佐野利器の共同作品です

佐野利器は高橋貞太郎の恩師です

学士会館を造るにあたり、大正14年にコンペが行われ、高橋貞次郎の設計案が1等当選となり、昭和3

年に竣工しました

戦前までは、旧帝大出身の卒業生であった人たちが会員となっている組織でしたが、現在はレストラン

、結婚式場など、誰でも利用できます

学士会館は、終戦後進駐軍が接収した歴史をもっています


設計者 高橋 貞太郎  佐野 利器

竣工年 昭和3年

施工者 戸田組

構 造 鉄骨鉄筋コンクリート

所在地 千代田区神田錦町3


★日本の大学のルーツ

学士会館のある所は、東京大学発祥の地と先に書きましたが、この一帯、神田錦町は明治に入って学校が

いくつも建設された所です

安政3年(1856年)九段下で海外事情の調査や教育が行われたようです

この調所が、のちに神田一ツ橋に移り「洋書調所」となり、「開成学校」となり、開成学校からは東京大

学、東京外国語大学、商法学校(一橋大学)が発足しました

学習院大学(華族学校)もこの近くで発足しました

岩波書店の創始者である岩波茂雄が教鞭をとった、神田高等女学校もこの地区でした

明治の前半はこの地区が学問の中心地であったようです

★日本の野球のルーツ

明治4年に開成学校に招聘されたアメリカ人牧師・ホーレス・ウィルソン氏は、英語を教えつつ、日本に

初めて野球を伝えました

ホーレス・ウィルソン氏の野球殿堂入りを記念して建立された牌があります


設計者の高橋貞次郎の作品として、日本生命館(現・日本橋高島屋)、上高地ホテル、川奈ホテルなど優

れた作品を残しています

学士会館の設計図面は残されています



★ネガ有り 3−35 他1枚(4−31)★


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