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作家でありコラムニストである、山崎光夫さんという方の記事に出会いました。
以下、その記事の一部分です。
>80歳を超えてなお第一線に携わっている内科医の話──。
「わたしの印象では、この国で一番病人が少なかったのは昭和30年代でした」
患者サイドにとっては黄金時代といえる。
それにしても、なぜこの時代に病人が少なかったのか。
「結核の患者が激減したからです」
日本の死因統計をひも解けば、抗生物質・ストレプトマイシンが世に出る昭和25年までは、死の病・結核が常に1位だった。
(中略)
老内科医は昭和30年代に病人が少なかった話をさらに続ける。
「食べすぎとは無縁だったからです。肥満者はゼロではなったが、おおかた適正カロリーを摂取していました。ところが、今では子どもの肥満も珍しくありません」
昭和30年代といえば、戦後の混乱期を抜け出し、高度成長期の始まる前の時期である。
食糧難の尻尾をまだ引きずり、食べ物はそれほど豊かではなかったが、食うには困らなかった。
粗食だったが、食材は本物だった。
たとえば、米は天日干しだったし、卵は有精卵で、その鶏は地べた飼いだった。
何でも手間ひまかけた本物の食材が流通していたのが昭和30年代だった。
記事にある昭和30年代は、私自身も記憶が鮮明に残っています。
米の天日干しの光景は、季節の風物詩のように当たり前の光景でした。
子どもの頃食べた、家で飼っていた地べた飼いの鶏が生んだ卵は、今思い出すと絶品でした。
黄身の色は、あざやかで力強く盛り上がっていました。
そして、一つの卵に黄身が二つ入っているのも珍しくありませんでした。
話変わりますが、妻は私の食べ物の好みが良く分かっていて、いつも工夫して作ってくれます。
本当に感謝しています。
さて、話がもう一段突拍子もなく飛躍します。
「間もなく地球が滅亡します。最後の食事は何にしますか?」と問われたとします(笑)。
たぶん、あれも食いたい、これも食いたいとなりそうです(笑)。
過ぎ越し日々を静かに振り返り熟慮した結果は・・。
ジャ〜ン!
自家製の梅干し入りオニギリです(笑)。
あとノリを巻いて(笑)。
自分の好みの食い物のことを書こうとするとキリがないので、ここまでにします(笑)。
ここで急転直下、また話が変わります(笑)。
徳川家康は、当時としてはめずらしい75歳という長寿でした。
麦飯にみそ汁と香の物という、質素な食事を常としていたのは、、小説等にも書かれているところです。
加藤清正は、玄米飯を食べるように家訓にまで残したそうです。
スゴイこだわりと信念ですね。
上杉謙信は、体の調子をととのえ、精神を安定させるためと称して、梅干しをよく食べたそうです。
偉人の名前を持ち出して、粗食の良さを主張しているみたいになるので、ここまでにします(笑)。
戦国時代に生きた人々もそうですが、戦後の食糧難の頃は粗食だったせいだと思いますが、太った子どもは見かけませんでした。
なのに、野生の強さがあったように思うのは、本物の食材だったということなのかもしれません。
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