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日本語の「お蔭様」は外国語に翻訳できないと聞きます。
「オカゲサマ・・?」「ソレッテナニ・・?」の状態になる外国の人の境地は「ドンナンダロウカ?」と想像するばかりです。
つまるところ、「お蔭様」は日本だけに存在する概念ということになるのだと思います。
たとえば、日本人は安否を尋ねられたとき、肯定的な返事の最初に「お蔭様で」という言葉を使います。
ここにあるのは、安否を尋ねた目の前の人だけでなく、目には見えない間接的に繋がっているすべてに感謝していることの意味合いを持っていると言えます。
言い換えると、自分ひとりの力だけで生きているのではなく、周りの助けがあっての自分という視点です。
このことは、日本人に深く潜在的、無意識的に息づく「和」の精神文化が根底にあるからこそ、そこに至るのだと思いますが・・・。
言い方を変えると”和をもって貴しと為す”の概念を、無意識的に実行していると言えるのだと思います。
いちいち空気の存在を意識しないで呼吸しているのと同じようにです。
さて、広く西洋文化では、この概念が存在しないために、生活の中で、日本人には想像もつかない発想が起きるようです。
日本のホテルで起こった、外国人客のトラブルについて記述した情報誌を読みました。(以下、要約して書きます)
>日本のホテルで西欧人のお客がロビーでお転びました。たまたま傍に従業員が立っていて、お気の毒でしたという気持ちでアイアムソリーと言いました。同じ立場にある日本人なら人情として多くの人が言いそうです。ところが、転んだ人が運悪く骨折しました。そして、転んだのは、床に水がこぼれていて滑りやすかったからだと理由をつけて、ホテル側に治療代の負担を迫ったのです。最大の理由は、「傍にいた従業員がアイアムソリーと言ったではないか、それは自分たちの責任を認めたことに違いないではないか」となったのです。(以上です)
このトラブルから考えられることは、「お蔭様」の概念がない社会では、損得で考えることが、何ものにも代えがたい価値観として存在していると言えないでしょうか。
言い換えると、すべてのものごとを合理的にしか考えない状態です。
すべての関係性は利害関係にあるという対立の構図とも言えます。
これは政治の世界も似ていると思います。
ギブ&テイクによってのみ友好関係のバランスが保たれるということです。
はしょった言い方をしますが、ちょっとしたことで友好関係が崩れて戦争になるのは、そのせいではないでしょうか・・・。
私たち日本人に備わっている「和」の精神は、自分と相手(周囲)が繋がっているということを損得の基準ではかるところが、西洋文化のそれと比較して、とても希薄なのだと思います。
更に日本社会では、外に出した言葉というものには重きを置かず、言葉になる前の心の中を察し、それを本音として受け止める文化があるのだと思います。
ありていに言えば、この”察する”ということが西洋文化には徹底して欠けているのだと思います。
こうした流れの中で、世界はずっと、損得を始めとする直接的な利己的欲求で動いてきたと思います。
世界中に蔓延している閉塞感を切り開くのは”和の精神文化にあり”を広く発信する時がやってきたのかもしれません。
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