セピアおじさんのランダム・ストーリー

皆様にとって、今年も佳い年となりますように!

三年生4月・5月

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(画像・・列車で修学旅行に出発 <イメージ図>              )

昭和二十九年五月九日(日)天候 風雨物凄く強い雨

 今朝は少し雨が降っていたが風雨が強くなった。
 昨夜は星が出ていたのに。
 昼ご飯を食って部屋の掃除をした。

 旅行もいよいよ明日か。
 父にシャツを買ってきてもらった。
 今頃はソワソワして落ち着いて勉強も出来ない。

 三時に風呂水を汲んでわかしてから、福井君が来ているので、何だろうかと思っていたら、
 「会場(公民館)に吹野君がいて、用事があるので来いと言っている。」と言うので自転車で行った。
 何の事はない会場をちょっと掃除しただけ。

 夜は旅行の用意をした。
 ソワソワソワソワ〜。

(注) 旅行=修学旅行、会場=平屋建ての公民館で子供会等をここでやった

<コメント>
 いよいよ明日は修学旅行に出発する。
 部屋の掃除や公民館の掃除を済ませている。

 ソワソワして勉強も手に付かないと言っている。
 それはそうだろう、米子市以外には大都会を見たことも無いから、期待も大きかった。

 実はこの日を最後に、日記を書くのを止めている。
 この後、時々は思い出したように書いてはいますが、実質的には終えているようです。

 子供の他愛ない日記でしたが、長期間にわたりご訪問賜りました皆々様に心から感謝を申し上げます。
 有難うございました。

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(画像・・<上> 名和町の歴史年表
     <中> 旗行列の先頭はこのブラスバンド・・・運動会で校歌を演奏中。
     <下> 校内バレーボール大会の様子                 )

昭和二十九年五月八日(土)天候 晴

 今日は珍しく良い天気になったのでハタ行列がある。 学校へは弁当とカバンを持って行った。
 道路に出たら押村先生が行かれるので、今日の授業はあるかないか聞いたら、無いと言われた。

 墓の所まで来たら女子が旅行の板を持って行くので思い出し、急いで帰った。
 昨日、子供会の掲示板を作るために板を削っていたのでちょうど良かった。
 学校に着いたら掃除をし、それから、集合があって校庭に集合。

 御来屋小学校へ一応集まり、それから、本格的にやると言う。
 校庭に集まって九時半に校旗を先頭にそれから、音楽班のブラスバンドというふうな順序で御来屋
 小学校へ行く。

 校歌を演奏するブラスバンドを先頭に長い列を作って行進した。
 見物人が沢山いる。
 御来屋小学校に集まり、木下町長の式辞があった後、名和公園を目指してハタ行列に移る。

 三年の男子が先頭で行進、日の丸の旗が見事できれいだ。 後は小学生の順。
 自動車が来てもよける者がいないので、自動車もしかたがない立ち往生である。
 行進も終わり名和公園に集合して、バンザイを三唱して分列行進に移る。

 但し、名和中は球技大会があるので、取り消し。すぐ弁当を食べ球技大会の準備をした。
 線を引いたりネットをはったり。三年はバレーで男子五人、女子四人でやるクラス対抗。
 始めにD組は不戦勝なので、小県君と二年のバスケットの審判をした。

 三年のバレーの一試合目、E対Cは二対一でEが勝っていた。
 二試合目はA対Bでこの試合の時は小県と自分は審判そっちのけで見てしまった。
 後は長谷川と中原がやった。

 それからD組は男子と女子で一緒に練習をする。 それからサーブの練習をして終わる。
 五分くらいしたら、AがBに二対0で勝ったので、続けてDとEと試合をした。
 1セット目は21対11で軽く勝った。2セット目は延長戦で敗れた。自分はなかなかサーブが入らない。
 三試合目は21対16で勝った。 うれしかった。 自分は中衛のセンターで決勝戦はAとした。

 Aには問題なく二対0で勝って優勝した。
 女子が頑張ってくれたので助かった。
 カップをもらいに自分に出ろと小県君が言うので出た。
 拍手、拍手、拍手、気分が良い。

 それから教室にカップを持って入り、飾った。 先生も上きげん。
 それから貯金を出して帰った。
 帰りにパンを買おうとしたがやめた。 旅行が近いからである。

 帰ったら疲れて寝て夕方目が覚めた。
 今日は子供会がある日なので八時になってから家を出た。
 収やんや吹野や瞬ちゃんくらいしか来ていないので止めた。

(注) 旅行の板=修学旅行の夜行列車で座席と座席の間に板を渡して寝るためのもの、
    D組=自分のクラス、貯金=修学旅行旅行積立貯金

<コメント>
 今日はやっと天気になり、町村合併祝いの旗行列があるので授業はなく、旗行列の後は校内球技大会
 である。
 修学旅行は夜行列車で出発するので、汽車の座席と座席の間に板を渡して、そこでも眠るようにした
 が、そのための板を持参している。

 旗行列は御来屋町の西外れにある小学校へ集合し、改めてそこから名和公園まで旗行列をした。
 中学三年が先頭で気分が良かったらしい。

 午後の球技大会はバレーボールで男子5人、女子4人のクラス対抗で、自分は中衛のセンターで優勝
 し、優勝カップを受け取りに出て、得意満面の態である。
 帰りに腹が減ってパンを買おうとしたが、修学旅行も近いので無駄使いを我慢している。

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(画像・・名和中学校の桜並木  <広報「なわ」の表紙>      )

昭和二十九年五月七日(金)天候 雨後晴

 今日こそは良い天気であると思っていたが、目が覚めたらドシャブリなので気が抜けてしまった。
 学校への弁当も今日は確実に晴れであると思っていたので、いれて無かったので姉に入れてもらった。
 学校に着いてハタ行列は無いと放送されて一時間目がすんだら、案の定良い天気になった。
 青空も見えるような。

 さて一校時の国語が始まったが、五分もたたないうちにマイクで「三年で関西方面へ旅行する者は
 裁ほう室へ集合、松江方面の者は図書室へ集合」とあった。
 ゾロゾロと教室を出て、二年C組のところで待っていた。あまり良く騒ぐので二年C組の先生が出て
 来られ、注意を受ける。

 それから、十分くらいして戸野先生や他の先生が来られ始まる。
 最初に旅行の案内のしおりが配られた。
 それから、いろいろな注意(旅行に関しての)の話や持ち物等の話があって終わった。

 三校時目が始まりかけたら、例の花火が打ち上げられた。
 その中から出る落下傘を拾おうとワイワイガヤガヤ。
 三辺打ち上げられた。(昨日より名和町発足記念行事が行われている)。

 昼前にハタ行列は明日あるとの事。
 今日は貯金を出し、そして遅くなってから、新たに三班に組み分けをした。
 自分は一班の班長に祭り上げられた。
 それから、汽車の座席を決め解散した。

 遅くなっていたのであるが、公園三つの歌をやっているので見ようと言って行く。
 三人見たら終わりであった。
 今日は朝から大変な人出であった。
 それがすんだら参道は身動きもならぬほど店も大変沢山出ていた。

 万之助君と帰った。
 今日は初めてエンドウを食べた。

(注) いれて=弁当を作って、旅行=修学旅行、例の花火=合併を祝う花火、
    貯金=郵便局への修学旅行積み立て貯金、汽車=修学旅行の夜行列車、
    公園=名和公園の桜祭り、三つの歌=昭和26年11月からNHKラジオで開始された歌番組、
    エンドウ=サヤエンドウ豆

<コメント>
 今日の午前中は大雨だったが午後からは晴れて来たようであるが旗行列は順延となった。
 修学旅行の説明会が開かれた。

 当時の昼の花火からは、小さな落下傘が出るものが多かったがこれを拾おうと大騒ぎ。
 修学旅行は20時頃、名和駅発の夜行列車で出発するものであった。
 班を3班に編成し直し、ガキ中生は1班の班長に祭り上げられたと言っている。

 桜の名所名和公園は多くの露天も出て、大変な人出で、公園では「三つの歌」を余興でやっていた。
 今も毎年菜園でえんどう豆を栽培しています。

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(画像・・<上> 名和神社
          元弘3年(1333)、隠岐を脱出した後醍醐天皇を助け、鎌倉幕府倒幕の
          ために戦った、名和長年公と一族郎党42人を祀る。
          旧別格官幣社(戦前国が直轄した神社のこと)である。

     <中> 重要文化財「絹本着色伝名和長年之像」長谷川信春筆 <東京国立博物館蔵>。

     <下> 大正時代の国定教科書「天皇お迎えの図」松本楓湖画 
          左の武将が御来屋漁港で後醍醐天皇をお迎えした名和長年。

    <上、中、下> とも富長源十郎著「名和長年」より・・・氏は富長集落在住です。)

昭和二十九年五月六日(木)天候 雨後晴

 今日は天気が良いと事間違いなしと思っていたが、とんでもない、雨が降っていた。
 だからハタ行列は無し、明日に延期になった。

 今日はバスケットの練習をし、二軍と試合をした。
 今日は名和神社の夜祭である。

 帰るときには店が出ていた。
 さぞ今日の晩はにぎやかな事であろうよ?

 夜は姉と二人で自転車に乗って名和神社へ行った。
 大変にぎやかなかった。

(注) ハタ行列=名和町発足を祝っての旗行列

<コメント>
 どうも予報では今日は晴れだったようだが、生憎の空模様で旗行列は中止となった。
 当時の名和公園の桜祭りは賑やかだった。

 ちゃっかり姉と夜祭に行っている。
 姉は就職していたから、多分ご馳走してもらったのだろう。

「名和長年」の著者富長源十郎氏は名和長年研究の第一人者で富長集落の雑貨店「富長商店」の店主です。
 しかし、ユーモアのあるガキ中生の3兄が言っていました、名和長年作「剣豪 富長源十郎」の方が響
 きが良いのでは!と(笑)。

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(画像・・<上> 海藻が大量に漂着する集落下の曲渕(まがりぶち)海岸。
          湾曲した右側の頂部の黒く見える物が流れ着いた海藻だが、冬場はもっと大量
          に漂着する。
     <下> この様な海藻(ホンダワラ)が多く漂着する。 魚は釣ったアイナメです。 )

昭和二十九年五月五日(水)天候 曇り

 今頃は休みが続く。  今日も子供の日で休みである。  朝はゆっくりと起きる。
 この間の休みのように、今日もええだん畑に芋うねを作りに行った。

 今日もぼやぼやした天気であった。
 昼からは雨が降りそうであるので、ええだんへ行くのはやめ、海に海草を積みに行った。

 今日は何と言うことか巡視船がから御来屋に来た。
 大きな船でびっくりするよ。

 やっと積むのが終わったのが四時半であったが、ええだんへ一台海草を積んで行った。
 今日は子供会をやろうと言って夜い時より行った。
 明日天気が良ければハタ行列

(注) ぼやぼやした天気=生暖かい春の天気、=境港、夜い時=宵時、
    ハタ行列=この年の4月1日に御来屋町、庄内村、光徳村、名和村が合併して「名和町」として
         スタートしたが、これのお祝いの小学生と中学生による旗行列の事

<コメント>
 海が荒れる冬場はこの曲渕海岸には大量の海藻が打ち上げられた。
 海藻は良い肥料になったので、これを乾燥させ海岸側の草地へ積み上げておいた。
 これを取りに行った事を書いているのです。

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