セピアおじさんのランダム・ストーリー

皆様にとって、今年も佳い年となりますように!

一年生11月

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(画像・・・雪の名和神社参道。 正面奥の鳥居が神社、手前右側に名和公園の入り口が見える。 ここ      を入ったところで3年の女性軍と雪合戦になった。 入り口の反対左側が中学校の正門。       参道は手前に急に下って名和駅、御来屋町商店街に至る。)
昭和廿八年一月三十一日(土)天候 雪
 昨日の夜は雪が降らず、朝はもう溶けていたが六時半ごろからアラレが降りだしたので十センチばかりたまった。 今日の習字の時間は大変良い字を書いたと思う、僕にしては。 午後は蔵田君と長谷君と僕と火ばちにあたっていたら、女子がどっと来たので、かなわんやになったので逃げた。

 帰りがけに公園にいた三年の女子が僕らちに雪を投げるので公園に上がって雪投げをした。 三年の女子が上で、おらんだちが下でやった。 なんべんも当ててやったがやめないので、えっとあてちゃった

 来週からいよいよ週番だ。 しかられんやにせにゃいけんが。 もう今日で一月も終わりだ。 学校から帰って厳君たちとスキーをやった。

(注) かなわんやになった=どうにもならなくなった、おらんだち=自分達、
    えっとあてちゃった=多く当ててやった、週番=一週間交代の職員室との連絡当番
    しかられんやにせにゃいけんが=叱られないようにしよう
<コメント>
 スズリ箱を冬休みの工作の宿題で作ったりしたので、気合が入ったか。 火鉢は男子が当たっている時、女子は当たらないが、今日は多勢に無勢で女子に追いやられている。

 名和神社の参道を下って下校するのであるがこの参道が急傾斜で海抜3メートル位の御来屋町の商店街まで一気に下っている。 この急な坂で雪の日など滑って転倒する者が多く出る。 余りにも急坂で自転車に乗って登る事は出来ない。

 名和公園自体は多少の段差はあるが平坦地なので公園にいる者は上になり、下校する者は下になる訳。この上側にある公園から、3年の女子が下の道路を下校中の僕達に雪を投げて来た訳。 そこで、僕達も公園へ通じる階段を上って、応戦している。 公園も上段(女性軍)と下段(僕達)に分かれていたので、下段は不利であった。 学校から帰って、家向かいの2年生の厳さんとスキーをしている。

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(画像・・・ハト罠の餌の大豆を実はネズミが食べていたのを知りがっくり。・・十二支の年越しそば)
昭和廿八年一月三十日(金)天候 雪
 朝起きて見ると雪が白くたまっていた。 もうハトのわなに行って見るのがたいぎになって来たのでもう行かない。 学校へ行ったら火ばちが出たので良かった。 尾山君たちと雪投げをして遊んだ。

(注) 雪が白くたまって=雪が白く積もって、たいぎ=億劫、雪投げ=雪合戦
<コメント>
  ハト捕獲用罠の餌である大豆が無くなるので、1月25日に国井君に「君の方はどうだ?」と聞いている。 すると国井君は「ネズミが食べるのだと言われたので、自分はもう止めている。」と言った。

 そのことがあってから、5日間頑張ったがハトが獲れないので、漸くハト罠猟を諦めた。

 今日のように雪が降らないと火鉢は出ないようだ。

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(画像・・・映画「原爆の子」の像。 新藤兼人・監督・脚本、乙羽信子主演。)
昭和廿八年一月二十九日(木)天候 雪
 今日は富長神社のサアーノ神様なので朝五時半に起こしてもらって、姉と子供をせおったねえさんの三人でまいった。 おいが僕の父に作ってもらったをそなえて帰りがけに見たらもうなかった。 神社の近くの子供が毎年うちのを取るが、今年も持って帰ってしまった。 朝はおいしいダンゴだった。

 今日はまちにまった映画の「原爆の子」と「はだか大名」をかんらんした。 原爆の子は非常に日本のかなしいすがたをあらはしていた。 あの原爆の一つで人間の衣類は全部やけるというか、なんと言っていいかはからなかった。 あの映画を見ればだれもが戦そうはいやだというだろう。 もうなんと言っていいかわからないくらいだった。

(注) サアーノ神様=冬の神事、=稲藁で作った馬の人形で高さ20センチ横40センチ位、かんらん=観賞
<コメント>
 この日は「サアーノ神様」と言って、氏神様である富長神社へ早朝、ダンゴや稲ワラで作った馬の人形を持ってお参りする風習があった。 姉と義理の姉に背負われた甥の4人でお参りした。 稲ワラで作った父の人形はなかなか良く出来ており、子供の時からお供えし、置いて帰るのか惜しかった記憶がある。

 神社の入り口にある家畜の神様にお供えして、本殿にダンゴ供え、帰りに見るともう誰かが持って帰って無くなっており、がっかりしたものである。 朝飯は美味しい団子汁。

 待ちに待った原爆の子の映画を観て相当ショックを受けている様子が判る。映画は原爆投下より前、広島で幼稚園の先生をしていた乙羽が、夏休みに瀬戸内海の小島から船で広島に向う、幼稚園の教え子の内、3人生き残っていると言うので会いに行く・・・ところから始まった。

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(画像・・・普通、傘には屋号とか、名前が油紙に大きく書かれていた。 余り大きい字だと何となく恥      ずかしかったものです)
昭和廿八年一月二十八日(水)天候 雨のち晴
 今日は学校へ早くいかねばならないのに尾山君がカサをもって来ないので、もう行こうかなと思ったら来たので、学校へ行ったらもう掃除がすんでいた。 今日は学校しさつに来られるので、今日にかぎって放送なんかをしたのでおかしかった。 
<コメント>
 昨日の帰りに僕の家より遠くへ帰る尾山君にカサを貸したようである。 今日も朝から雨が降っているので、尾山君が僕の傘を持って登校して来るのを待っていたので遅れてしまった。

 他校の先生達が学校視察と言って、授業見学に来られることが度々あった。 学校としても、いい所を見せたいので、普段やらない校内放送などやったので可笑しかったと言っている。 

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(画像・・・以前米子駅前の土産物店で買った様な気がする。 実際には取っ手がもっと太い竹で出来て      いた。 こんな大きさのカサを持ち歩くのは避けたいから、少々の雨なら持たずに走ったも      のです。 ♪ジャノメでお迎えうれしいな〜♪・・・分かるでしょうか,この雰囲気?)
昭和廿八年一月二十七日(火)天候 晴のち雨(雨→晴れ→雨)
 今日は朝天気が良かったので、カサを持って行かなかったら、帰りかけは大きな雨が降り出したのでこまった。 尾山君は今日にかぎって、いい服を着ていたのでよけいに悪い。 尾山君は「カサを細谷君の家へおいて来た」と言う。

(注) カサ=番傘、おいて来た=預けて来た
<コメント>
 天気は早朝は雨→登校途中は晴れた→下校時は雨であったのだろう、尾山君も登校途中にある細谷君の家にカサを預けて登校して来ていた。 しかも今日に限って、新調の学生服を着て登校していたから気の毒であった。 僕と相合傘で下校したようである。

 カサは重くてかさばる番傘なので、出来れば持ち歩きたくなかった。 当時、御来屋町にも番傘を作る傘屋さんがあり、良く覗いていた。 番傘とは時代劇で落ちぶれた浪人が長屋でカサ張りの内職をしている、場面があるでしょう、あの傘です。

 番傘製造は淀江町(名和駅より2駅米子より)が盛んで、列車が淀江駅にさしかかると、駅周辺一帯に油を塗った色とりどりの番傘の天日干しが窓から見えた。 担任の細田先生はこの淀江町の出身であったこともあり、中学校へ傘を数十本を寄贈された。

 傘を忘れた生徒が帰りに借りられるようにと。 しかし、借りた傘を返さない者が多く、貴重品の傘が無くなってしまい、この制度は残念ながら消滅した。

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