カヨです。

豊かな実を結びますように〜日々祈りをこめて

なりたいと思うもの

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元旦のこころ

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 ↑大晦日の午後、雲ひとつない青空で、冬の立山連峰がきれいに見えました。

 新年明けましておめでとうございます

 この一年もどうぞよろしくお願いたします。

 ブログを始めたのは、去年のバレンタインデーでした。

 昨年はブログを通じて、色々な方々との出会い、コメントをいただく中で、自分自身を改めて見つめ直すことが出来た一年だったように思います。
 
 今年は一体どんな一年になるのでしょうか!?

 今年の年頭に掲げる御言葉として与えられたのは、

 「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。ピリピ4:4」

 でした。

 今年は、さらに神様から毎日の生活の中で、祈ること、忍耐、謙遜、勇気などなど、たくさん教えられて、導かれて行きたいと思っています。

 イエス様の愛に基いて、考え、選び、行動していきたいと願います。

 と、心を新たにするのでありました。

 それから、今年の目標はちゃんと聖書を通読すること。

 ここ数年、まともに通読した記憶がないものですから、全く恥ずかしいです。

 などと、気持だけは新たにして、三日坊主にならないように頑張るぞ〜。

   
 

 
 
 

祈り

 
 すべてのことが神様の恵みであることを感謝しよう。
 どう生きていったらいいのか、迷っていた時にも、
 変わらない恵みがいつも私とともにあったんだ。
 ゆっくりと、だけど確実に、私は前に向って歩いていることに気がついた。

 自分の置かれた状況が、目まぐるしく変化していって、
 ずっと落ち着かなくって、なじめなくって。

 誰かが私を必要としてくれる時、私はすごく嬉しい。
 私の居場所が見つけられると、すごく嬉しい。

 どこにいても、どんなときも、変わらない自分でいたいと思うけど、
 周りの環境の変化にもそれなりに対応していかなきゃいけないのもわかる。

 自分を見失いたくないと思うから、
 時々、流れの中で立ち止まってみたくなる。
 自分の今の位置を確認してみたくなる。

 そうやって、ゆっくりと、自分のリズムを感じながら、生きていきたいと思う。 

 何にも代えられない大切なものを心に持ちながら、
 願いを込めて、祈りを込めて。

 私は根が罪深いから、祈りが必要だと感じた。
 あれこれ、なんだかんだ言う前に神様に祈ろうと思った。

 「私にとっては生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。」ピリピ1:21
 って、いつも思えたらいいんだけど。
 
 「イエス様の中に自分を見失う。そして、イエス様の中に自分の全てを見出す」こと、
 忘れたわけじゃないけれど、ずっと心の奥にしまってあって、ほこりをかぶったままです。

 祈っていこう。
 どんなことでも、神様の前に祈っていこう。

 って…
 全然祈ってなかったから、反省の気持ちです。
 
 
 

 すっかり涼しくなりました。

 夜中に寒くて目が覚めてしまいました。

 朝も涼しいから、よく眠れるんですよね。
 
 もう、そろそろ衣替えの季節ですね。

 秋といえば、食欲の秋です。お腹もすくんです。

 アイザクは、夜食にインスタントラーメンをすすってました。

 私は下腹ぽっこりを気にしながら、いただいた羊羹をつまんでおります。


 今日は久しぶりの雨でした。

 アマと一緒に傘をさしてカズを迎えに保育園へ行きました。

 帰り道、約束していた「て○びくん」を買いに、保育園から10メートルの本屋さんへ。

 昨日、ママじいちゃんとママばあちゃんが遊びにきてくれた時、もらったお小遣いで本を買ってあげると約束していたのです。

 アマにもベビー○ックを買ってあげました。
 
 アマは嬉しそうに本の入った袋を握りしめて、歩いて家まで帰りました。

 アマは家の中でも、本を買ってきたときに入れてもらった袋に入れて持ち歩いていました。
 
 その姿がかわいかった〜^^。
 
 カズの方は「ママ、つくって〜」とふろくのおもちゃを作ってくれとせがみます。
 
 夕飯の準備が出来ると、さっそく作り始めます。

 まずは、部品を切り抜くところから。
 
 これが結構大変なんです。部品を切り取ったら、つづきは夕飯の後です。

 寝るまでに、やっと一つのふろくのおもちゃが完成しました。

 ふろく作りは一苦労です。。。。
 
 せっかく作っても、一日ですぐ飽きちゃうのに・・・。
 
 でも、作る過程が大切なんですよね。
 
 カズが手伝ってくれたり、アマがその横でのりを手にして、嬉しそうにいたずらをしていたり。
 
 大切な親子のコミュニケーションの時間を作ってくれるんですよね。
 
 そうすると、『めんどくさいなあ』と思いながら作るよりも、ずっと楽しく作ることができました。
  
「時間がもったいない」とか「無駄なこと」だとかは、思い一つで変えられる。
 
 「もったいないとか無駄なことなんて何一つ無いんだ。」といつも思える自分でいたい。

 と、今日ふと思いました。 
 
 
 
 
  

カヨの決意

 私の日常は相変わらず、子供たちワールド全開である。

 昨日の礼拝中は何をしたかというと、始まってしばらくはしばらくソファの部屋でまったりタイムを過ごした。その後、教会の横の田んぼへ「おたまじゃくし」を探しに行ってきた。

 カズとアマとAちゃんと4人でバケツとコップとお皿を持っていく。

 今では少ないんだネ、「おたまじゃくし」が。私が子供のころはウヨウヨいたのに。

 それでもあぜから田んぼの中を見ていると、小さいのがいるんだ。

 私と小学2年のAちゃんでがんばって10匹くらいはつかまえた。

 カズは小さなアマガエルを捕まえるのに夢中で、5匹くらい捕まえていた。

 それが2センチもないくらいの小さなアマガエルでかわいいのだ。

 アマはというと、気付いたら、横の田んぼの中に入っとるし〜。

 ドロだらけじゃないか〜。

 両手に固まったドロを持って満足げなアマ。

 たくましいのぉ〜。

 カズは教会に帰ってきて、礼拝室にいるアイザクにカエルを見せようと、得意げに手の中に入れて入っていったら、ご婦人の姉妹に「キャ〜!カエル」と叫ばれて、泣く泣く外に追い出される羽目に。

 あ〜あ。今日もまたこんな感じで日曜日が終わっていく〜。
 
 教会に行っても、結局メッセージも聞けないし、交わりも十分に出来ないし、1人だけ取り残された気持ちになることもないわけではない。
 
 もちろん、こんな日が一生続くわけじゃないのは分かっている。
 
 それでも私は何しに教会に行っているのだろう?と思ってしまうんだ。最近、そう思う自分を変えたいと思いはじめた。
 
 鈴木秀子さんの本を2冊続けて読んでから、私の中で大きな変化がありすぎるくらいすごい。
 
「他者は変えることができない。過去も変えることはできない。変えることができるのは自分自身と、じぶんのものの見方だけなのだ。」by鈴木秀子

 なにげない日常を大切に生きていきたい。

 でも日々、抑えられない自我と闘いながら、
 
変えられれば幸せになれるものをよく変える、変えられないものを受け入れる知恵を求めていこう。

 そう心に決めるカヨであった。

 
 


 

永遠の愛

 神様の目はすべてを見ていて、全部お見通しだ。

 神様はすべてを知っておられる。

 私たちの過去も、現在も、未来も、将来どうなるかもすべて知っておられる。

 神様は燃える炎のような目をして、私たちを見ておられる。(星飛雄馬を想像した?)

 神様は私たちの愛、信仰、奉仕、忍耐をすべて知っているのだ。

 お恥ずかしい。。。穴があったら入りたい。消しゴムで消したい。無かったことにしたい。
 
 でも、それもすべて見られているんだ。

 神様の前に隠せるものは何もない。


 神様に私は立ち返ろう。

 神様は確かに私を導いてくださるから。

 神様の前に私が出来ることは、自分の非を認めること。そして感謝すること。

 なぜなら、イエス様がこんなちっぽけで価値のない私を愛してくださって、私の罪のために身代わりに十字架で死んでくださったから。そして、三日目によみがえってくださったから。

 だから神様、ごめんね。そして、ありがとう。

 私を見捨てないで私を信じてくれている神様を、私も心から信じよう。

 私を永遠の愛で愛してくれている神様を、私も心から愛そう。

 私が死ぬまで決して完璧にはなれないと思う。

 でも、そんな気持ちをいつも持って生きていきたい。

 今日は、そんな気持ちになれました。

 

 

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