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浄瑠璃

浄瑠璃
 
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             (浄瑠璃伝書 (17㎝×390㎝)、寛政10年8月)
 
●井上播磨掾⇒竹本義太夫⇒竹本播磨少掾⇒順四軒⇒布屋九兵衛(嶌九)
 
●宇治加賀掾⇒(教えを受ける門人) 竹本義太夫 (竹本座Ⅰ代)
 
●井上播磨掾 (1632-1685)
江戸前期の浄瑠璃太夫。京都の人。虎屋源太夫に学んで播磨節を創始。
大坂の古浄瑠璃界中期を代表する人物。1658年(万治元年) 受領して大和少掾、藤原貞則、1670年(寛文10年) 再任して播磨少掾藤原要栄(あきひさ)
播磨太夫(1632-1685、一説に -1674)。
 
●宇治加賀掾 (1635-1711)
江戸前期の浄瑠璃太夫。前名、嘉太夫(加太夫)、和歌山の人。
嘉太夫節の祖。古浄瑠璃界最後の大立者。1677年(延宝5年) 受領して加賀掾、 宇治好澄と名乗る。井上播磨掾の曲風に謡曲などの長所を取り入れ、繊細優美な語り口で、近松門左衛門の作品を上演して好評を博した。
 
●竹本義太夫 (1651-1714)
江戸初期の浄瑠璃太夫。義太夫の開祖。本名、五郎兵衛。摂津天王寺の人。
初め井上播磨掾の弟子清水理兵衛に学び、清水理太夫と名乗り、1684年(貞享元年) 竹本義太夫と改名、大坂道頓堀に竹本座を設けて、操り芝居を興行。
近松門左衛門の作を語って人形浄瑠璃を大成。1693年(元禄11年) 受領して竹本筑後掾、藤原博教となる。
 
●竹本座・・・1684年(貞享元年) (2年の説もある) 竹本義太夫が大坂道頓堀西に開いた操人形座。1686年近松門左衛門の「出世景清」を上演して基礎を固めた。
1705年(宝永2年) 竹田出雲が座元となり、近松門左衛門を座付作者として招聘。
以後、独立した東の豊竹座と並んで大いに反映したが1756年(宝暦6年) 竹田出雲の死以降、衰運に向かい、1772年(安永元年) ついに消滅した。
 
<浄瑠璃伝書・仮名『嶌九文書』(訳)>
それ浄瑠璃は井上播磨掾 宇治加賀掾両流を以って当前の祖とす。
然るに播翁の門人に 荒陵山の清水に徳屋利兵衛といへる人四天王寺の辺り堀越の五郎兵衛へ詞曲を傳えられしが 此人天性の妙音備えり。
則ち、竹本義太夫と改め 右、両師に親しみ、曲節を交らえもらひ 自己の一流を
語りはじめせしに鳴りたる 竹本筑後掾 是也。
それよりにして 嶌の内に中紅屋長四郎といへる人 良く成長の頃より この道を好み実にあたりては 自己の肘手にこたゆるに ひとしかりけむ。これ即ち竹本播磨少掾といへる也。
筑翁に親しみ昼夜習学おこたらず 遂に師家の奥義を得て政太夫と号し 筑翁の遺曲をうけ継ぎ 遺言によりて義太夫と称し かさねて播磨少掾と受領を継ぐ。 
また故有りて別号を文正といふ 扨また順四軒士弓先生は知童の時より此道を好み富澤平助といへる弦者に誘れて 播翁へ弟子の禮を執ると 門に入られぬ。
されども 稟半よはくして 音聲の人並みならぬを恥、途半にも及ばずして止なん事を文正翁に辯ぜられけるに 師いましめ申されしは 井上宇治 竹本此二先生達は天性の妙音ありて 吾儕(ともがら)のまねる事も成りがたき名人成りしが、我も其の後をふむといへども 志かはざれど 諺に去。
聲なふして人を呼ぶの 理を思案し 人人のそだてに乗じ 風流 時にあひけるにや
今名を呼ばれたり。汝は此の詞曲を以って業とする人ならねば、音聲に拘る事なく
唯一分に其時の文句に就て 曲節の工夫有るべしと慰めし。
楽しまるれしを愛用して執行有けるや。予 若年のころに此の道に心執ふ。
かの順四軒文士弓の門に入り 切磋琢磨の功を積むに 人まぜの身とならん事を願ひ侍りし内 故人となり給ふといへども 在ります時の教授 日々に有りがたくただただ亡日の事なき折に 各々予が謡曲をしたひ給いひ 稽古有たきとの言葉 辯
ずれども いな舟のいなミがたく、此のたび 子弟の約を結び、聊か師傳の訓意を明かす。それ浄瑠璃に師通なく 謡を親しく心得、誉められず笑らわれず 枯れ木に花の咲きたるやうに語るべし。
かたり姿によりて 人品顕われ いと恥かしき事なりと 先師達の遺訓 是第一の嗜みなるべし。されば播州師は古今無双の音曲の名人。
高位高官士農工商 それが中にも それぞれの 人品 賢愚 善悪 老少 男女 喜怒 只 情ふかく 真実にかたる事 執行第一たるべし との事成。
聞人を見下さず 音聲を定め 情深くかたらば などか 感心せざらんや。
但し絶聲妙音ありて 右の意をふくまば それぞ名人たるべし 千百年誉られんより
一人の聴人に笑ら思い そしらるる所にこころを付け 修行し合点ゆかざる所に尋べし猶藝ともいか程 利口発明たり共 免授なくては道に至る事なりかたく 口授は千変万化授かりし程の秘密 口傳のこすべきにあらず。各々執行によるべき也。
此の一曲甚だいやしといへど辱とや 御別度の勘善懲悪に準じ五常を本とする事ヲ
勘弁し語るこそ是 浄瑠璃の本位なるべき也。
執行の人はまづ父母へ孝行は申すに及ばず 家業大切とそ惰りなく勤労の余暇には 傳ふる詞曲を楽しむべきこと也。また外事在り候ては 上手に至りかたし。
ただ他念なく執行在るべし。酒宴遊興宮欲にふけり 身持不埒なる輩は長く連衆の周りを隔絶いたすべき也。
各々楽々習字をはてし無く不実 水魚の交わりをねがふゆへに早々と弁ぜず愚者を出して 師弟約状となし畢(おわんぬ) 之に依り両師家より師の直印を花押し賜り申す也。 穴賢。
 
 竹本播磨少掾
   直弟
    故 順四軒文士弓
      門人
       文士軒嶌鬼
   寛政十年八月
 
 右御教訓有難く承知仕り候。
 則ち訓言一通慥(たしかに)に落手仕り候。此度我等執心によって門弟に成らせ下さ れ口授を請い候らへば此の曲 一ト通におひては師命の儀 少しも疎略に存ぜず 候。印形拠り仍て如件。
 
  布屋九兵衛 曲名
     嶌 九
 
●順四軒
 竹本播磨少掾の口伝を聞き書きの形でまとめた『音曲口伝書』(1773年)を編者し  た人物。
●嶌 九
 順四軒の弟子であることは明らかであるが詳細不明。
 
 この文書、当家伝来するも、直接当家とは関係が薄いと思われる。
  ただ当町には、「子ども歌舞伎」「俳諧書地元印刷発刊」 など江戸期芸能文化隆盛、土地柄ゆえ、
  関連があるかもしれません。
 
 ※『嶌九文書』 橋本幹子先生に解読等、ご教示いただきました。
 
 
 

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