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岩松寺と小松神社

岩松寺と小松神社
 
1.岩松寺(羽生市上岩瀬)
     曹洞宗の寺院、上州太田の金龍寺の末で瑞雲山と号する。岩松寺四世泉光和尚の『中岩瀬天神宮縁起』によると、天文13年(1544)の春、羽生城主木戸伊豆守忠朝によって建立されたとある。
     また、境内に存する『当山開創縁起』碑には、開基は小田原城主北条氏康の軍将である柴山縫殿介で、法名を岩松院春桂居士といい、元和3年(1617)2月13日に没した。開山は、金山金龍寺第6世住職の叡州玄珠であるとあるとし、次のような文が追記されている。
西岩瀬に禅僧がいた。僧は晩年の出家であったが上野国金龍寺の住職にまで上り詰めていた。その僧と親しかった縫殿之介は僧を招き岩瀬に寺院を寄付して、岩松寺と号した。縫殿之介に一人の子供がいた。徳川入封後、幼年の折、岩松寺に隠し、成人後、柴山新次郎重吉と名乗った。その後、羽生代官大河内金兵衛に許されたので、岩松寺の法具を整えるとともに、その僧・信嶺を招き、父の法要を行った。新次郎は、信嶺を開山にと願ったが、固辞されたので、金龍寺6世玄州禅師を勧請し開山とするとともに、父縫殿之介に岩松院を贈号して開基とした。信嶺は岩松寺の2世住職となったと記されている。
本堂は、天保3年(1832)8月に建立された。茅葺で約85坪あった。しかし老朽化したことから、明治36年8月には前本堂の古材を利用して改築し、屋根も茅葺から瓦葺とされた。広さも約45坪と狭くなった。その後、平成6年5月、檀家の増大と老朽化対策のため、開創450年に併せて、広さも当初建築に近い約80坪に改築され、現在に至っている。
本尊は、釈迦牟尼仏で、右脇に文殊菩薩、左脇に普賢菩薩が安置されている。
    他に本堂には、大権修理菩薩、菩提達磨大師、高祖・道元禅師、太祖・蛍山禅師、開山・叡州玄珠大和尚の像が安置されている。
     寺宝として、これら本尊等の仏像のほか、柴山家の念持仏、柴山縫殿之介使用の鎧、本堂の屋根替えの折に偶然発見された宝暦4年(1757)に荒木村の絵師によって描かれた岩松寺境内図、柴山家から寄贈された狩野探幽の書になる「八方にらみの達磨の絵図」、中国浙江省天童寺醒初の書になる「瑞雲の掛軸」、福田平八郎の画による「掛軸」等、その他多くの物を有している。
     また、無学愚禅和尚が75歳の文化4年(1807)の書になる本堂の「岩松山」の額は一見の価値がある。
境内には、柴山家5代墓所、岩松寺歴代住職墓所、當山開創縁起碑及び野本冶兵衛紀功碑(「養蚕揺藍の地」)等がある。
参考:【當山開創縁起碑文】
   武州羽生の住人柴山縫殿介法名春桂居士ハ信州の生縁ナリ資性淳直
   ニシテ深ク文武ノ道ニ達ス永禄ノ間北条氏康ノ招ヲ得テ相府ニ来リ
   住ス此時武州忍城住成田下総守長泰ト羽生城主木戸伊豆守忠朝ト境
   ヲ論ジ合戦数回ニ及ブ北条木戸ニ左担シ加勢ノ兵ヲ遺ス時ニ柴山ヲ
   以テ軍将トナス謀已ニ成テ敵ヲ退ケ遂北シテ武威近郷ニ振ヘリ行餘
   禅門ノ学ヲ嗜ミ西 岩瀬村 に禅僧ノ信宗ト云フモノアリ日ニ交リ月ニ
   参ズ此信宗ハ俗姓上州由良ノ一族ナリ故アリテ同国金龍禅寺ニ投ジ
   テ剃染ス晩年ノ出家ト雖頴悟絶倫居士ト師壇ノ約ヲ結ビ寺境ヲ寄付
   シテ瑞雲山岩松寺ト号スルモノ是ナリ 天正ノ頃小田原落城ノ前北
   条附庸ノ白々瓦解氷消ス柴山居士モ羽生城ヲ出デ流浪スルコト数年
   一子幼年ニシテ隠レテ岩松寺ニ育テラル成人ノ後柴山新次郎重吉ト
   云フハ此人ナリ其後東照神君関東御打入レ羽生ノ御代官大河内金兵
   衛巡郷ノ骨相ヲ見テ頻ニ招キ冶民ノ謀ヲ談ゼジム一日岩松野寺基ハ
   亡父縫殿介草創ノコトヲ物語ス奉行其志ヲ感ジ寺内ノ御縄ヲ除カル
   是ヨリ以来晨香夜燈法具共ニ張ル皆是新次郎重吉ノ功ナルノミ或年
   金龍寺信嶺和尚ヲ請ジテ岩松寺ニ亡父冥福ノタメ結制一會スト此寺
   ハ信宗ヲ開山トスベキモノナレド未嗣法ノ故ヲ以テ信嶺ノ嗣法師金
   龍六世勅叡州玄珠禅師ヲ勧請シテ開山トナシ信嶺ハ二世トナル春桂
   居士ニ岩松ト贈号シテ開基トナス皆コレ新次郎ノ素意ニ任ズト云爾
先代仙山禅光老和尚憂慮本記粉亂久矣今茲得機会勒所蔵由緒原文以継承千代之意志者也
    大正十五年三月孟春  現董廿二世天外一秀謹誌  
   
2.小松神社(羽生市小松)
     小松神社は元羽生領72ケ村の総鎮守として、熊野大権現、白山大権現、小松大明神の三社座を祀り小松三神社と称していたが、明治6年に小松神社に改められた。景行天皇の代、日本武尊が東征の途、当地のアラカ土手に陣営を敷き、ここに小詞を建立、イザナギノミコト、イザナミノミコトを祀ったとあり、神亀3年(726)に藤原宇合(ふじわらのうまかい)・高橋安麻呂が夷賊討伐の折に参拝、天慶3年(940)に平貞盛が平将門討伐を祈願し征伐後に藤原秀郷とともに社殿を再興、長元4年(1031)には平忠常の乱に際し源頼信が祈願し鎮定したといわれている。(『埼玉の神社』)
承安年間(117175)に小松内府平重盛の領地となり、その重盛から神領が寄進されるとともに、熊野白山権現が勧請され、社殿も修復された。重盛が没すると重臣筑後守平貞能は、重盛の遺骨を当社境内に葬り、その脇に目印としてイチョウを植え、追善のため小松寺も建立した。村人たちは重盛公を慕い、イチョウの脇に祠を建て重盛の霊を祀った。これが小松大明神である。
隆盛を誇っていた神社も室町時代の後半には荒廃してしまっていたことから、天文23年(1554)には、羽生城主木戸伊豆守忠朝が社殿を修理し、本地仏を彩色するとともに、天正12年(1584)には十一面観音を再造している。現在小田原の安楽寺の所有となっている「三宝荒神の懸仏」も忠朝及び広田直繁が天文5年(1536)に当社へ奉納したものである。また、慶安元年(1648)には忍城主阿部豊後守忠明も社殿を修理している。
この熊野白山権現は朝敵征伐の折、武家の長が勅を奉じて祈願をするなど武運長久の祈願所として栄えていた。
参道には石鳥居があり、『羽生ふるさと探訪』によると、享保3年(1718)に小松寺法印栄照が建立したと記されているとある。
【小松寺(廃寺)】
   新義真言宗、上羽生村正覚院末、観台山と号する。本尊は阿弥陀如来。『新編武蔵風土記稿』によると、小松内大臣重盛追福のために小松殿家臣平筑後守貞能が追善のために造立したとあり、慶安元年(1648)に社領20石を賜ったとある。かつては境内及び参道沿いには、法蓮坊、安養坊、善林坊、宝珠坊、不動坊、山本坊、明見坊等の僧坊が存在していたほどの寺院であった。明治政府による神仏分離令及び廃仏毀釈により小松寺と本地堂は廃され、小松寺の住職が小松神社の宮司に、明治まで存在した2僧坊の明見坊と山本坊の僧が禰宜(ねぎ)に就任した。この時宮司となったのが小松家で、禰宜になったのが西小林、東小林の2家であった。その際、本地仏2体は取り壊しを逃れた薬師堂(参道沿いに現存)に移された。その木造十一面観音坐像及び木造阿弥陀如来坐像の2体は市文化財に指定され、現在、市立郷土資料館に寄託されている。
【念仏堂】
羽生バイパス近くに念仏堂がある。バイパス工事により現在地に移設されたことから堂の建立は新しいが、そこには、安永2年(1773)建立の廿ニ夜念仏供養塔、明和4年(1767)建立の道祖神、宝永3年(1706)建立の庚申塔、および聖徳太子供養塔などが地蔵菩薩像とともに存している。
この堂に併設する念仏堂墓地は約10基ほどと少ないが、新たに造成された小松神社西南の十王堂墓地に移っている。
 【乳房樹之記碑文】
       武蔵国北埼玉郡小松ノ里ニ小松神社アリ社傍ノ老樹ヲ乳房樹ト稱ス謹ンデ史ヲ按スルニ往古寿永年間平貞能内府重盛公ノ遺骨ヲ奉シテ常陸ニ穏ルト曰ウ葢シ当時源氏再興シ阪東諸国概ネ其ノ旗下ニ属セルハナシ之ニ因テ貞能深ク慮リテ公ノ遺骨ヲ陽ニハ常陸ニ葬ルトナシ陰ニ此處ニ葬リ其ノ上ニ公孫樹ヲ植エテ以テ標トシ而シテ其ノ身ハ常陸ニ隠シタルモノナラン爾来数百年ヲ経テ斯ノ如キ大樹トナレリ余謂ラク貞能ガ公ノ遺骨ヲ此ノ地ニ留ムル所以ハ公在世ノ時深ク熊野両所ノ大神ヲ崇信セラレル然ルニ偶此ノ地ニ熊野両社アルヲ以テ傍ニ霊骨ヲ葬リ祠ヲ建テ公ノ霊ヲ祀ル小松大神即是ナリ故ニ地ヲ小松ト稱スルニ至レリ是レ里人公ノ徳ヲ慕ヒ社号ヲ以テ地名トセルモナルベシ又此ノ樹ヲ乳房樹ト稱スル所以ハ公ノ仁心啻ニ在世ノ時ノミナラズ昇天ノ後モ洽ク蒼生ヲ済ハセ給フ故ニ遠近ノ人々祠ニ詣リテ尊崇スル者衆シ眞ニ霊験 赫灼タリ殊ニ産婦ノ乳汁少キ者大神ニ祈願スルトキハ多ク出ツルヲ以テ庶人尊称シテ乳房ノ樹ト謂フ余等洪大ノ神徳ヲ被フルコト久シ因テ少カ由緒ヲ記シテ浹人ニ傳エトス         
大正八年十一月     当所   荒木太三郎謹記
【小松神社改築記念碑文】
    謹ンデ按ズルニ郷社小松神社ハ元羽生領七十二箇村ノ総鎮守ニシテ
    熊野大権現白山大権現小松大明神ノ三社座マスヲ以テ小松三神社ト
    称シ来リシガ明治六季小松神社ト改称シ郷者に列セラル社殿ハ寛永
    季間忍城主阿部忠秋ノ再建ニ係リ其壮観上武地方稀ニ見ル所ナリシ
    ガ歳月ノ久シキ殿宇朽敗ニ近ズキ加フルニ規模狭隘ニシテ壮重ナル
    祭事ヲ行フニ便ナラズ氏子ノ者常ニ之ヲ憂フ大正七季二月社司小松
    義道氏主トシテ改築ノ議ヲ唱フ鄰里郷黨蒼然トシテ之ニ應ズ直チニ
    工ヲ起シ事ニ従ヒ今次全ク其功ヲ竣ヘタリ壮観実ニ舊ニ倍ス願フニ
    経神崇祖ハ我日本国民ノ精神ナリ則チ壮麗ナル社殿ニ拝シ厳粛ナル
    祭祇ヲ挙ゲ以テ誠ヲ神明ニ致スハ独リ修身斎家ノ道ニ益アルノミナ
    ラズ以テ忠君愛国ノ情操ヲ涵養スルニ足ルモノアラン郷人永ク改築
    ノ事ヲ記念セント欲シ余ニ文ヲ属ス余會職ニ村長ニ在リ不文ヲ以テ
    之ヲ辞スルヲ得ズ謹シテ撰ス
    大正十季十一月十五日 
        岩瀬村 長勲八等入江幾三郎撰 勲四等小澤愛次郎書
 

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