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閑 日 茶 話
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遠の朝廷

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写真は福岡県太宰府市にある「大宰府政庁跡」を南側(正面)から見たも

のです。

背後にある山は大野山(別名・大城山)と言います。

「大宰府政庁跡」とは万葉の頃に、西海道諸国の統括と大陸外交の拠点

として設置された役所跡の事。(当時は「遠の朝廷」(とおのみかど)

とも呼ばれていた)

先日、念願かなってようやく訪れる事が出来ました。

2日前までの天気予報は、降水確率が50%以上もありました。でも、

飛行機やレンタカーの予約もしてあるので、今度こそ晴天の女神様に見

放されたかと覚悟をしたのですが、何と前日の夕方から天気予報も変わ

り、当日は日本晴れに恵まれ「晴れ女」の実力をまた発揮しました(笑)

この地の詳しい事や、近くの神社等のご紹介は後日に回し、今回はこの

地に関係した歌のご紹介です。

※現在は「太宰府」と書きますが、当時は「大宰府」と書きました


正 殿 跡です

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発掘で明らかになった、建物の柱礎石(一部はレプリカ)跡です

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航空写真(これは借り物です)クリックで大きくなります

当時は朱塗りの立派な南門や正殿、東西棟、回廊等の建物があったので

すね

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大野山  霧立ち渡る  我が嘆く

息嘯(おきそ)の風に  霧立ち渡る
          
           山上憶良(万葉集)巻5−799


<意味>
大野山には霧が立ち込める、我が吐息の風によって霧が立ち込める

山上憶良は斉明6年(660)百済の扶余で生まれました。父の憶仁

(おくにん)は百済王室の侍医の立場にあり、憶良も恵まれた環境で成

長できるはずでしたが、663年の白村江の戦いに敗れ百済は滅び、多

くの高官たちが日本に亡命して来た時、その一員として来日した彼はま

だ4歳の幼児でした。

成長後も渡来人であった為に高い位にも就けず苦労の多い人生だったよ

うです。

この歌は大伴旅人の妻が大宰府で亡くなった時に、旅人の気持ちになり

代わり詠んだものです。

部下として、上司の心を深く読み取り気をつかう彼らしい歌ですね。

※当時、悲しい時には吐息が霧となると信じられていました。

※大伴旅人の妻は大野山に葬られました。

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